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気になるのは

 翌日、隣の席は空席だった。

 HRが終わり、一限目の授業が始まっても、席の主は姿を現さなかった。

 席替えをして以来、初めてのことだった。

  

 休み時間になっても悠己の席には誰も寄り付かなかった。

 廊下側の席にいる慶太郎と一瞬だけ目があったが、露骨に視線をそらされた。

 

 席の周りは静かだった。

 一人いないだけで、ずいぶん様相が違う。

 悠己は耳にイヤホンをしながら読書をしていた。この席になる前は、いつもそうやって過ごしていた。

 

 波風のない静かな日常。

 なんのことはない。本来あるべき姿に戻るだけだ。

 時の流れるままに。流れに逆らわずに、日々をやりすごす。


 ここ数日で読み進めていた小説も残りわずかとなる。

 話はちょうどクライマックスを迎えるところだった。伏せられていた謎が解けて、解決の場面。

 

 一行も読み飛ばさずに来たはずなのに、内容が頭に入ってこなかった。

 どうして買い置いていた本を急に読み始めたのかもよくわからなくなった。半ば義務のように残りの頁をたぐると、隣で椅子の動く音がした。

 

「おはよ」


 声は悠己のいる窓際を向いていた。上がり調子のご機嫌な声だ。

 どきりとして、文字を追っていた目が止まった。視線だけ向けると、椅子に横向きに座って、こちらに身を乗り出す姿があった。


「うふふ、どうしたの陰気くさい顔して。あ、いつもか」


 ケラケラと笑う声がする。

 それだけで、なぜかすっと胸のつかえが取れたような感覚がした。


 顔を上げると、彼女と目があった。

 頭のイメージの笑顔と、目の前の彼女の笑顔が揺らいで見えた。

 すぐに違和感に気づいた。彼女によく似た彼女は、いたずらっぽく笑った。


「ンフ、どう? 似てた? 唯李ちゃんのマネ」


 萌絵は自分の顔を指さした。

 その言い方もそっくりだった。よく観察している。

 

「唯李ちゃん、風邪で休みなんだって」

 

 聞いてもいないのに萌絵はひとりでに話しだした。

 けれど風邪、の一言を聞いて、悠己は安堵していた。

 

 彼女が登校してこない原因。

 もしや昨日のことが、などと頭をよぎりかけていたが、ただの思い違いだった。

 そもそも自分が何か言ったぐらいで、彼女がどうなる、というのもおこがましい。強い子なのだ。いらない心配だ。 


「残念だねぇ、今日は唯李ちゃんに会えなくて」


 返事はせずに、目を合わせて離した。


「唯李ちゃんにラインとか、してないの?」

「俺が? なんで?」

「唯李ちゃんが休むとか、珍しいじゃん。心配じゃないの?」


 今度は目線でも答えなかった。

 本に視線を落として、なぜか右上にあるページの数を見ていた。


「なんかさ、ゆっきー変だよね、最近」


 最近も何も、萌絵と知り合ったこと自体が最近だ。せいぜい三、四ヶ月ほどの付き合い。

 転校当初こそ話す機会は多かったが、今となってはめっきり減った。

 同じクラスといっても、顔を合わせたらあいさつをする程度。場合によっては言葉をかわさない日もある。

 

「そう?」

「そうだよ、変だよ」


 萌絵は悠己の机の端を指で叩くような仕草をする。

 爪になにか塗りつけているのか、やけに光沢を放っている。


「まあたしかに最近、変だったかもね」


 この席になる前は⋯⋯彼女と出会う前の自分は。

 今よりもずっと強かったはずだ。こんなふうに余計な思考に頭をかき乱されることなんてなかった。


 第一その頃に比べたら、今はずっと楽になったはずだ。

 妹のことも、父のことも⋯⋯もう心配する必要はないのだから。


「でも萌絵と俺って、そこまで仲良くもないじゃん?」

「なんでそんなこというの」

「俺のこと、別にそんな興味ないでしょ」


 萌絵はむっと口をとがらせた。

 そういった仕草も、そこらの男子からしたらいわゆるかわいらしい、扱いになる。

 悠己自身もそう思う。だからこそ、自分のような人間にこうして構ってくるのが不思議だった。

 

「聞いてほしいの? じゃあ好きな食べ物は? 今ハマってるものは? 誰推し?」

「いや、そういうのは⋯⋯」

「好きな人は?」


 前のめりになる萌絵に向かって、悠己は大きくため息をついてみせる。

 彼女はいつも自分のことはよく話すが、人のことは質問してこない。しかしされたらされたで面倒だ。 

 返事が返ってこないと見るなり、萌絵は珍しく真剣な顔になった。

 

「あのさ、やっぱりちゃんと言ったほうがいいんじゃないの? 唯李ちゃんだって、待ってるよきっと」


 何を、とは言わなかった。

 なのでこちらも言わずに答える。

 

「言ったよ」

「え?」


 萌絵はぱちくりと目をまばたかせると、さらに身を乗り出してきた。


「そ、それで?」

「それで、元通り」

「もとどおり⋯⋯って? なにそれ、なんて言ったの? なんて?」

「いや、だからもういいでしょどうだって」


 近づけてくる顔を押し戻そうとすると、萌絵の背後から声がかかった。同じクラスの女子だ。

 

「ねえ、藤橋さん? 呼んでるよ~?」

「えっ、なに?」

 

 萌絵は落ち着きのない小動物のようにくるりと振り返った。教室の戸口を指さされて、一度そちらを見たあと声をひそめた。   


「えー⋯⋯今いないって言っといて」

「いやいやいるじゃん。もう見つかってるし向こう手振ってるし」


 萌絵が渋っていると、もう一人クラスメイトの女子が横入りしてくる。


「もしかして藤橋さんって、佐々木先輩と付き合ってんの?」

「え!? なにそれ違うよ! ちゃんと言ってくる!」


 萌絵は勢い込んで席を離れた。

 その様子を、数人の女子生徒たちが面白おかしそうに見守っている。

 萌絵本人としては不本意な形かもしれないが、クラスメイトともそれなりに馴染んでいるようだ。


 ちょっと前までクラスで孤立しかけていたようには見えない。

 けれど、そのときだって彼女を救ったのは唯李だ。彼女を諭したのも唯李だ。彼女が慕っているのも唯李だ。

  

 萌絵が気になるのは唯李にまつわることであって、悠己自身のことではない。

 だから唯李との関係がなくなれば、きっとすぐに興味を失うだろう。

 しかしそれが悪いことだとは思わない。むしろ萌絵はよい方向に向かっている。彼女の、親友のおかげで。

 

 嵐が去っていくと、窓際の席は元の静けさに戻っていた。

 悠己はふたたび手元の本に視線を落とした。

 




 午前の授業が終わって、昼休み。

 窓際の悠己の席は、そこだけまだ授業中のように静かだった。

 いつもなら今ごろ隣が騒がしくなるが、今日は相変わらず空席のままだった。

 

 教室の賑やかさをよそに、悠己は自分の席を動かなかった。家で握ってきたおにぎりをカバンから取り出す。

 口に運びながら、スマホを片手にニュースサイトなどを流し見する。

 

 そのとき机の傍らに影が落ちた。視界の端に見える女子の制服はそのまま動かない。

 不審に思って面を上げると、黙ってこちらを見下ろす顔と目があった。


「⋯⋯何?」


 問いかけると、凛央は微笑んだ。


「たまには一緒にお昼でも食べようかと思って」

「⋯⋯俺が? 凛央と?」

「なにをそんな驚いてるの? 前も一緒に食べたことあったでしょ?」


 出会ってすぐ、一悶着あったころ。

 幾度か昼食をともにしたことがある。のちに唯李も含めて、何度か三人で食事したこともある。 

  

 それも夏休みが明けてからは、自然となくなっていた。 

 今となってはそういえばそんなこともあったか、という感覚だ。

 

「俺、もう食べてるし」

「久しぶりに付き合ってくれてもいいじゃない」

 

 最初からそのつもりで来たのか、手には小さなバッグを下げている。

 凛央は誰もいない隣の席を見下ろしながら言った。

 

「今日、唯李風邪で休みなんだってね、珍しいわよね、唯李が学校休むのって、私が知るかぎりじゃ見たことないから」


 唯李が休んでいること、すでに知っているようだった。

 口ぶりからするに、誰かから連絡が行ったか。


「昨日はちょっと雪も降ったし、夜も寒かったものね」


 話を聞き流しながらおにぎりを口に運んでいると、凛央は腰をかがめて手元を覗いてきた。

 

「それ、おにぎりだけ? 飲み物は? じゃあ、ついでに買っていきましょうか」

「行くって、どこに?」

「外行きましょ」

「いや、いいって」

「どうして? 私とじゃ嫌?」

 

 押し問答をしていると、なんとなく周りからの視線を感じた。

 以前の彼女は悪い意味で目立っていたが、今は別の意味で一目置かれるようになった。


 そうでもなくとも、わざわざ他のクラスから女子が男子のもとにやってくる、というだけで人によっては変な勘ぐりをするかもしれない。

 

「ほら、いいから行くわよ」

 

 その当人はどこまで意識しているのかどうか。

 強引に腕を引いてくるあたり、そこまで考えが及んでいるようには見えない。

 拒否したところで引き下がる気はなさそうだ。どのみちこの調子で居座られてはたまらない。


「わかったから、離してって」


 二の腕を掴んでくる手を振りほどきながら、悠己は席を立ち上がった。


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