バイバイ
駅から伸びる歩道橋を、瑞奈について歩いていく。
先を行く後ろ姿は無言だった。早足で人気のないほうへと進んでいく。
暗くなった空を、冷たく強い風がときおり殴りつける。そのせいか休日にも関わらず人通りは少ない。
「どこ行くの?」と尋ねても「いいから来て」とだけ返されてそれきり。明るい駅付近から遠ざかるにつれ、どんどん懸念が膨らんでくる。
瑞奈とは正月に初詣で会ったとき以来だ。
ニセ彼女の件についてはお礼を言わせるようにしたから、と悠己に言われて、自分から言い出すのもどうかと思い、とりあえず様子を見ていた。けれどお礼などはなく、連絡そのものがなく、なんとなく避けられているような感じ。
どのみち電話やメッセージで済ませるのはよくない、そのうち面と向かって話さないと、と頭を悩ませてはいた。いや引き伸ばしにしていた。悪い癖だ。そんな折にこうして偶然出会ってしまって、でも姉のいる手前、いきなり話を切り出すような雰囲気でもなくて。
不意に瑞奈の歩みがぴたりと止まった。
慌てて唯李も足を止める。同時に頭の中の思考も停止した。
瑞奈は何も言わずに振り向いた。背後で光る百貨店の看板が、体の輪郭を浮かび上がらせた。肝心の瑞奈の表情はよく見えなかった。
「あの……ごめんね、ずっと嘘ついてて」
唯李は先に切り出していた。
最初に始めたのは自分、なら終わらせるのも自分。それが筋だ。
別になんてことない、と悠己は言っていたが、実際は違ったのだろう。
きっと嘘をつかれていたこと、怒っているんだと思う。もしくはがっかりさせて……悲しませてしまったかもしれない。
思えばそれも当然だ。あれだけ彼女だなんだと言い張って、瑞奈は瑞奈で後押しだってしてくれて、仲を心配してくれて。それが全部、ただの茶番だったわけだから。
――大丈夫、瑞奈ちゃんも焦らないで、ゆっくり頑張ればいいよ。
いつか彼女にかけた言葉すら、とたんに力を失うことになる。嘘つきの言うことなんて、説得力もなにもないだろう。兄の恋人でもなんでもなかったら、自分は瑞奈にとってなんなのだろうか。どんな存在なのだろうか。
またも頭の中がぐちゃぐちゃになる。よぎる不安を押し留めつつ、必死に言葉を紡ぎ出す。
「でもその、別に騙そうとしたわけじゃなくて、なんて言ったらいいか……。それならいいかなって、その場のノリでひらめいて、そこまで深く考えてなかったっていうか……」
出てきたのは、ありのまま。嘘偽りのない事実。
我ながら情けないことを言っている、とは思うけども、これ以上嘘に嘘を重ねるわけにはいかない。
悠己のこと、瑞奈のこと。細かい事情などろくに知りもせずに、よくも言いだしたものだ。本当に勢いだけだった。最終的にどう話をつけるのかなんて考えてなかった。バレたところで最悪笑い話にでもなればいいかと、軽い気持ちだった。
今だって「何も考えてなかったんかい!」と瑞奈が面白おかしく乗っかってきてくれればいいのに。なんてずるいことを考えていた。
やっぱりダメだ、ちゃんとしよう。
あくまで正直に、真摯に続けようとすると、ずっと黙り込んでいた目の前の影が動いた。顔を唯李の胸元に押し当てるようにぶつかってくる。そのまま両腕を腰に回され、抱きつかれる。
ふらつきながらも唯李は瑞奈の体を受け止めた。
予期せぬ動きに息を呑んでいると、瑞奈の両腕が腰を締め上げてきた。
「い、痛い痛い痛い! だからごめんってば! すいませんでした!」
悲鳴をあげると、すぐに腕の力は緩んだ。
しかし瑞奈は額を唯李の胸元に埋めたまま、顔をあげようとしなかった。
「瑞奈ちゃん?」
不審に思って呼びかけるがなんの反応もなかった。瑞奈は抱きついたまま微動だにしない。
ふざけているわけでもなさそうだ。意図がわからず混乱する。
しばらく沈黙が続いた。耳元を風が通り抜けていって、下の車道の音をかき消した。
やがて瑞奈は腕をほどくと、ゆっくりと顔を上げた。それでもまだ視線は下を向いていた。
「ごめんね」
そうつぶやいたのが聞こえた。怒っている気配はなかった。けれど声が少し震えていたような気がして、よっぽど不安になった。
「なんで瑞奈ちゃんが謝るの?」
「……瑞奈は、やっぱりゆうきくんのそばにいないといけないから」
暗くて目元がよく見えなかった。目線の高さを合わせようと身をかがめると、瑞奈は避けるように背を向けた。
「だから、ごめんね」
どういう意味なのかわからなかった。もしかしたら最近悠己の様子がおかしいのにも関係しているのかもしれない。今日だって出会い頭から元気がなさそうで、ついさっきも姉がうまく止めに入らなかったらどうなっていたか。
「あのさ、なんか困ったことがあるなら……言ってほしい。あたしで力になれるかわかんないけど」
「ううん、大丈夫だよ」
今度はすぐに首を振った。迷いがなかった。
瑞奈は顔を上げて笑って、手を振った。
「それだけ、言いたかったから。バイバイ」
身を翻して、遠ざかっていく。瑞奈は振り返らなかった。彼女にしてはあっさりした去り際だった。まるでずっと前からこうすると、決めていたかのようだった。短い別れの言葉が、今はなぜか重たく感じられた。