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はりぼての歯車

 ホームルームが終わると、悠己は足早に教室をあとにした。下校する生徒たちの波に飲まれることなく校門を出る。何かに急かされるように帰路についていたが、早く帰ったところで特に用事があるわけでもないことに気づく。気持ち歩みをゆっくりにして、少しだけ遠回りをした。


 自宅を通り過ぎて、近場の小さな公園に向かった。ちょうどお昼どきのせいか人の姿はなかった。日なたにあるくたびれたベンチに腰掛ける。太陽の光を浴びてぼんやりしていると、誰もいないブランコに目が止まった。


 小学生のころ、瑞奈に請われてよく一緒に遊びに来ていた。ブランコに座った妹の背中をいつも押してやっていた。遊具で遊ぶような子供はほとんどいなかったが、妹は妙にこだわっていた。一人で乗れるようになった姿を母に見せたかったらしい。


 いつだったか通りすがった近所の男の子たちに、指をさされて笑われた。「あいついつも妹と遊んでる」とからかわれているのは知っていたが、何も言い返せなかった。

 瑞奈と公園に行きたくないと母に言おうか迷った。けれどそんなことを言ったら、母を失望させてしまうと思って言い出せなかった。


 太陽がぶあつい雲に遮られて、日差しが届かなくなった。急に肌寒くなる。自動販売機で温かい飲み物でも買おうか迷ったが、お金がもったいないと思ってやめた。


 結局すぐに帰宅した。

 家では和輝がフライパンを振るって、昼食用に炒飯を作っていた。


 不思議な感覚だった。例年なら父は家にいない。たしか去年は三日にはもう赴任先のマンションに戻っていたはずだ。

 食卓で向かい合って、父が作った昼食を済ませる。瑞奈は午後から部活だと言っていたので帰宅は夕方だろう。自分で簡単なお弁当を作ってみせて、父に驚かれていた。


「あさって戻るから、よろしくな」


 食べながら和輝が話をする。

 連休明けから仕事なので、あさってマンションに戻って、また週末に帰ってくるという。


 長めに休みを取ったと言っていたが、仕事先からちょくちょく連絡があるらしく、ときおり難しい顔で電話に出ていることがある。相変わらずだった。


 父は自分の仕事に関して、具体的な話はほとんどしなかった。尋ねれば答えてくれるが、自分から話すことはしない。母には仕事の愚痴など話しているらしかったが当然今はそれもない。


「そういえば、転職するとかって話はどうなったの?」

「ん? ああ進んでるぞ」

「それって、瑞奈には……」

「そんな心配するなって。それよりどうなんだ学校は」


 瑞奈には話さないのか聞こうとしたが、逆に質問されてそれどころではなくなった。

 どうと言われても、可もなく、不可もなく。


「もうちょっとで悠己も三年生か。早いもんだな、来年の春には卒業だもんな。進学するつもりなんだろ?」

「うーん、どうだろう……」

「なんだ、まだ決めてないのか? なにかないのか? 勉強したいこととか、もしくはなりたいものとか」

「今のとこは特に……ないかな。普通に、会社員とか……」

「普通に会社員か、う~ん……。会社員って言ってもいろいろあるからな。なら何かしたいこととか……好きなものとかから考えてったらどうだ」


 笑った顔。怒った顔。困った顔。いたずらっぽくからかってくる顔。

 問われて、唐突に頭に浮かんだ。表情、声音、仕草。まつわるあらゆるものが、脳内で再生される。


 けれど今そんなことを口にしたら、きっと父は首を傾げるだろう。笑うか、呆れるか、いずれにせよ失望されるに違いない。情けなく思われるだろう。そもそも彼女とのことは、今なんの関係もない。今は進路の話をしている。


「別に、これといって……」

「そういえば、陸上はもうやらないのか」


 これも想定外の質問だった。またも答えに窮した。目をそらして言った。


「まあ……あれは疲れるからね」

「そうか。悠己は昔から結構飽きっぽいもんな」


 飽きっぽい、と言われたらそれまでなのかもしれない。

 それなりに評価をされていたとはいえ、突出した才能があるというわけでもない。仮に今からまた始めたところで、何になるということもない。それは自分でよくわかっていた。


 話はそこで途切れて、沈黙になった。

 お互い皿の上はきれいになっていた。話は終わりなら、席をたって部屋にこもりたい気分だった。これ以上父が何も言わないなら、そうしようと思った。


「もう少し、真面目に考えたほうがいいんじゃないか?」


 どきりとして、頬がひきつるのを感じた。いつしか父の顔からは笑みが消えていた。

 またも沈黙が流れた。

 なにか言わないといけないと思って、急いで考えを巡らせる。


「いやまあ何もそんな、焦ることないか。ゆっくり考えればいい。はは、なんかオレが焦ってるみたいだな」


 父が頭をかきながら笑ったのを見て、少しだけ気が緩んだ。

 しかし父の言うことももっともだと思った。

 いつまでも遊んでいる場合ではないのだ。自分のこと、本当に何もしてこなかった。特段優れたものがあるわけでもない。なにかに秀でているわけでもない。

 何者でもないはずのに、のんびりと構えていた。強くありたいと思って……何事にも平然として、揺るがない。そう振る舞って、装って……錯覚していたのかもしれない。


「……どうするのが、いいかな?」


 尋ねながらじっと父の顔色を、表情の変化を伺っていた。今自分はなんと答えればいいのか、正解を探っていた。

 和輝は腕組みをして、難しそうな顔でうつむいた。回答を放棄するようなことはせず、真剣に考えてくれている。


 けれどその仕草がわざとらしくも感じた。父だって今の今まで、何も考えていないはずがない。本当は腹の内に秘めていることがあるのだろう。どうせなら濁さずに言ってほしかった。自分にどうしてほしいのか……自分がどうするべきなのかを。


「……なんだかんだで学歴は重要だろう、何もないならなおさらな。何か見つかったときのために、選択肢は多いに越したことはないだろうし」

「うん、そう……だよね」

「そしたら塾とか、行かなくていいのか? 周りは行ったりしてないのか?」

「行ってる人はいるみたいだけども……でも、お金だってかかるし」

「金のことはお前は心配しなくていい」


 また少しだけ父の口調が強くなった。不用意な発言だった。

 これまでだって、お金のことで不自由を強いられたことはないのだ。父だってそれなりに稼いでいるという自負があるのだろう。怒らせてしまったかもしれない。


「そのぐらいは、ちゃんとさせてくれ」


 まるで逃げ道を塞がれたようだった。けれど逃げると言っても何をどう逃げるというのだろう。逃避しているのは自分のほうだ。


 父は道を示してくれている。ならば自分はそれに、おとなしく従えばいいだけのこと。

 はりぼての歯車はきしんで、限界に来ていた。一時しのぎのものにしてはよく耐えた。ずっと頑丈なものと入れ替わった今、なくなっても誰も困らない。そんなもの邪魔にしかならない。


「塾はちょっと……友達とかにも聞いてみようと思う」


 絞り出すように答えると、父は満足そうにうなずいた。







 連休二日目の朝早くに、和輝はボストンバッグを担いで家を出ていった。和室には布団を敷きっぱなしだったが、そのままでいいと言い残していった。きれいさっぱり物を捨てた部屋はがらんとしていて、こうなると少し寂しい感じもする。


 父の気配がなくなるやいなや、勢いよくドアが開く音がして瑞奈がリビングに姿を現した。部屋のど真ん中に立ち止まって、両手足を大きく広げてみせる。


「解・放!」


 今日は寝巻きのままだ。部屋にこもって様子をうかがっていたらしい。

 瑞奈は満面の笑みを浮かべてポーズしたまま悠己を見た。ソファに座ったままリアクションしないでいると、隣にどかっと腰掛けてくる。


「やー邪魔者がいなくなってすがすがしい朝だね! きよきよしいね!」


 いきなりやかましい。朝から絶好調だ。和輝のいる間はセーブしていたらしい。それがいなくなったとたんにこれだ。


「さーて今日はっと……」


 瑞奈は取り出したスマホを触り始める。父がいると家にいたがらないのか、昨日も小夜の家に行くと言って朝早くからいなくなった。今日もまた出かけるのかと思い、悠己は先んじて尋ねる。


「今日出かける? ご飯いらない?」

「うん出かける。ご飯いらない」


 こちらを見もせずに答えて、聞き返してくる。


「ゆうきくんは出かける? ご飯いらない?」

「出かけない。ご飯は気にしなくていいよ」


 手早く返すと、瑞奈はスマホから目線を剥がして顔を上げた。そっけない調子で言う。


「そ、じゃ早く、準備して」

「何を?」

「出かける用意」

「なんで?」

「今日はゆうきくんとお出かけするから」

「は?」


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