友だちと遊びに
正月だったが帰省などはしなかった。
県をふたつまたいだところに父の実家があり、叔父夫婦が住んでいる。父はそちらとはもともと仲がよくない。親の面倒も見ず勝手をしていると陰でそしられていて、稼ぎもいいから僻まれている、といつだったか父がこぼしていた。
悠己が小学生の時に祖母が亡くなってから、父の家とはいっそう疎遠になった。その後母が亡くなったときも、援助らしきものはないに等しかった。瑞奈は行きたがらないし、悠己も同じだった。よい印象はまったくと言っていいほどない。叔父夫婦の顔を見たのは、母の葬式が最後だった。
三日の朝、和輝はちょっとうちに行ってくる、と言って一人で出ていった。はなから顔を出す気がなかったここ数年からすると、これもまた変化だった。
父は夕方に戻ってきた。ついでにスーパーで買い物をしてきたらしく、買い物袋を下げていた。どうだった? と尋ねると、兄貴はパチンコに行ってて会えなかった、とだけ言った。それ以上は悠己も聞かなかった。
なにもしないままに、冬休みが過ぎていった。
悠己がその大半を家で過ごす一方で、瑞奈は連日どこぞに出かけていった。
ひたすら家にこもっていた去年までとは、もはや別人だった。まるで今までの埋め合わせをするかのようだった。
正月のテレビを眺める。スマホを眺める。家でやることと言ったらそのぐらいしかなかった。学校で出された課題はすでに終わってしまった。
例年であれば、瑞奈に買い物につきあわされたり、ゲームにつきあわされたり、一緒にアニメを、マンガを読まされたり。そしてその合間に家事と、時間はいくらあっても足りなかった。
父もまた、時間を持て余しているように見えた。
掃除、洗濯、食事の用意。「とりあえずオレが休みの間は気にしなくていい」と言って、率先してこなしている。手伝おうとすると拒まれる。しかし仕事を奪われると、やることがない。
家事をする父を横目に、リビングでだらだらと過ごすのは憚られた。
寝室に逃げて、小さい本棚にあった本をいくつか読みすすめた。十年ぐらい前のミステリー小説。ずっと前に古本屋で買ってそのままだったものを、今になって手に取っていた。
それこそ母が存命だったときは、よく飽きもせず読んでいたものだ。ゲームはいい顔をされなかったが、読書は褒められた。背伸びをして、よくわかりもしない難しい小説を読んだりもした。
「悠己は友達と遊んだりしないのか?」
二人だけの昼食のときに言われた。曖昧な返事をして、父の作った焼きそばを口に運んだ。
遠慮しないで遊びに行っていいんだぞ、と悠己を気遣っての発言なのだろう。けれど「お前はどうしてずっと家に一人でいるのか、なぜ友達と遊びに行かないんだ」と、なじられているような気がした。
迷った末、慶太郎にスマホでメッセージを送った。思えばこうやって自分から連絡をするのは、初めてかもしれなかった。
『今日ヒマ? ってなんだよいきなり煽りかよ』
数分後、茶化すような返事が来た。
ヒマじゃなければいいよ、と返すと、
『いいよ親戚のガキが来ててうぜえから行くわ』
と送られてきた。
昼下がりの駅前で慶太郎と落ち合った。相変わらず派手派手しい格好だったが、急だったせいか髪型のセットが甘い。毛が寝ている。
「なんだよ、本当にお前だけかよ」
あたりを警戒しながらやってきた慶太郎は、拍子抜けしたように息をつく。
何かよからぬ企てをしているとでも思っていたのだろう。それならそれでがっかりさせてしまったかもしれない。
「てかさ、なんもなしにお前から遊びに誘ってくるとか、マジで珍しい……いや初めてじゃね?」
同じ疑惑が持ち上がる。お互いそう思うのならそうなのだろう。
いつも誘われる側。悠己から誘うにしても、何か別の目的や意図があった。それは相手が慶太郎に限ったことではない。
「どうかしたんか?」
「いや、別に……」
素直に話す気にはなれなかった。父親に言われたから、なんて言ったら気を悪くするだろう。笑われるかもしれない。
自分の都合のために彼を利用したようで、急にうしろめたい気分になった。
慶太郎は不審げに悠己の顔を見ていたが、
「まぁいいわ。で、何をするって?」
「え? あ……ゲーセンでも行く?」
「ゲーセンだぁ? ここにきて二人仲良くゲーセンかよ」
「じゃあカラオケとか……?」
「マジ? お前がカラオケとか大雨どころか大洪水起きるだろ」
「いや、そういうの好きかなと思って」
「オレが? なんだよそれ、お前が行きたいんじゃないのかよ」
慶太郎の言うとおりだ。自分で誘っておいてそれはおかしいだろう。けれどなにかやりたいことがあるわけでもない。これといって思いつかない。
「まぁいいけどさ……や~しかし男二人でカラオケっていうのもなぁ……。どうせなら女子も誘えよな」
「女子? そしたら凛央とか……」
「いや、それはいい」
「萌絵とか」
「それもいい」
「じゃあ唯李?」
「いやキツい」
「あ、真希さんとか」
「勘弁してくれ」
全部NG。試しに言ってみただけで、誘う気はさらさらない。
「しょうがねえ、じゃあ園田っちでも呼ぶか~」
慶太郎はスマホを取り出して、勝手に電話をかけ始めた。
電話ごしにしばらく押し問答をしていたが、カラオケというとすんなり通った。現地で集合ということで話がつく。意外にも園田は大のカラオケ好きだったらしい。
通話を終えた慶太郎とともに、駅近くのカラオケ店に向かった。駅前の通りはそこかしこに正月飾りが見られ、年始の装い。独特の雰囲気がある。様子の違う街並みを歩きながら、悠己はふと思いついて尋ねる。
「あのさ、慶太って他に友達とかいるんだっけ?」
「いきなりぶっこんでくるな? 学校じゃいないように見えるかもしれんけど、普通にいるからな? ネットで知り合ったやつとか」
「友達と遊ぶって、いっつもなにやってるの?」
「なにやってるって別に……ゲームとか? いや別に陰キャとかじゃね―ぞ、もともとそういう系のダチだから。まったり系のな」
途中から弁解じみた口調になる。
聞くところによると、銃で撃ち合うオンライン対戦型のゲームなどをしているらしい。通話しながらやるのだとか。無料でできるからと悠己もだいぶ前に誘われたが、そういうたぐいのゲームはやらない、苦手だと答えた記憶がある。
「それ、面白い? 俺には難しいかな」
「何だよ急に。や~でも今からガチガチの初心者で入るのはキツいかなぁ。よっぽどセンスがあったら別だけど、お前トロそうだしなぁ」
笑われて一蹴された。
カラオケ店に到着する。軒先で待って、園田と合流した。「先に入っていればよかったのに」と言われたが勝手がよくわかっていない。慣れている風を装っているわりに、慶太郎は会員になっていなかった。園田が受付でスマホを出して、手慣れた様子で手続きをした。ふだんから一人でよく来るらしい。
途中セルフの機械で人数分の飲み物を作って、部屋に向かった。固めのソファに腰を落ち着ける。隣に座った園田がうれしそうに言った。
「にしても成戸くんがカラオケ好きとは意外だったね。それならそうと早く言ってくれればいいのに」
「おいロックオンされてるぞ悠己。ていうかこいつと二人でカラオケとか地獄だろ」
少しだけいつもの調子が戻ってきた。
慶太郎がいち早く選曲をして、マイクを手に取る。慶太郎はお店に行くとかかっているような、流行りの歌を歌った。下手だった。うろ覚えらしくところどころ歌えてなかった。
園田は古臭い歌謡曲を歌った。知らない曲だったが無駄に上手だった。慶太郎がリモコンで間奏をスキップしたら怒っていた。
悠己の番になった。ミドルテンポの音楽が流れてくる。よく歌われている曲ランキング、という中から知っているものを選んで入れた曲だ。歌い終わってマイクを置くと、沈黙になる。悠己は首を傾げて二人を見た。
「あれ、ダメだった?」
「いや別にダメじゃねえけど……普通?」
意見を促すように、慶太郎が園田に視線を投げる。
「うーむ……音程は取れてるけども、感情表現が足りないね」
「無茶言うなよ、こいつに感情表現を求めるとか」
「なんというか、別にカラオケ好きじゃないけど誘われたからしょうがなく歌った感がするんだが」
園田は少しムスッとしていた。カラオケ好きでもなんでもないことが一発でバレたらしい。
かわるがわる歌って、波乱もなくマイクを回していく。なん週かしたところで、飽きたのか歌うネタがなくなったのか慶太郎が「オレもうパス」と言って手を上げた。
「なーんか普通すぎてつまらんわ。ていうか悠己お前ボケろよいつもみたいに」
「いつもみたいにって?」
「あるだろほら、謎の中国ソング完璧に歌うとか、オレがグダった曲を直後いい感じに歌うとか、オレの歌う番になると毎回トイレ行くとか」
「そんなことやってほしいの?」
「いやたとえだよたとえ」
人に何を求めているのかしらないが、勝手に変な期待をされても困る。淡々と歌うだけで、面白おかしく盛り立てていくような空気ではなかった。
「まぁ、たしかに今日はちょっとおとなしいかもしれないね」
園田までそんなことを言いだした。なんと返すか迷った末、反論していく。
「いや今日は俺が言い出しっぺだし、あんまりふざけるわけにはいかないかなって」
「は? なんだそれボケか? 精一杯のボケかそれが~」
慶太郎はグラスに刺さったストローをくわえながら、スマホをちまちまといじりだす。ふたりとも歌わないなら僕が、と園田の独壇場となる。
知らない曲が園田の歌声に乗って流れていく。薄暗い部屋で、悠己はディスプレイに浮かぶ歌詞をぼんやり眺めていた。どうやったら面白くなるのだろうかと、真面目に考えていた。
「じゃあとりあえずみんな水○一郎縛りね」「たこ焼き食べる人~? おい全員目そらすな」「もっとこぶしを入れましょうだ~? 望み通りグーパン入れたろかこのポンコツ機械」
あれこれ言いながらはしゃぎまわる姿を想像していた。凛央や萌絵、瑞奈と小夜の姿もあった。みんな笑っていた。慶太郎も園田も楽しそうに、和気あいあいとした雰囲気だった。部屋はずっと明るく感じた。
悠己は端っこの席に座って、黙って様子を眺めていた。みんなが順番に、または一緒になってマイクを手に取る。盛り上がっていた。中心にいる彼女に全員の視線が集まっていた。
悠己のことは誰も気に留めていないようだった。けれど声を上げようとは思わなかった。自分が水を差すような真似はしたくなかった。
すると真ん中にいた影が急に近づいてきて、目の前で立ち止まった。笑いながら腕を伸ばして、マイクを差し出してくる。見下ろす瞳と目があった。ぼやけた影の輪郭がしだいに形をなして、鮮明になっていく。
差し出されたものを受け取るか迷った。自分はそれを、受け取るに値するのだろうか。受け取ったとして、うまく歌えるのだろうか。彼女を失望させてしまわないだろうか。みんなは納得してくれるだろうか。
近くで電話の鳴る音がした。はっとして立ち上がって、壁に備え付けられた受話器を取る。終了時間確認の連絡だった。頭の中の映像は、一瞬でかき消えていた。
盛り上がらないまま、カラオケは二時間もしないうちに切り上げた。
支払いを済ませて店を出る。なんだか悪い気がして、多めにお金を払おうかと思ったが言い出せなかった。
外はもう薄暗かった。薄着の慶太郎が寒そうに背を丸めた。五時前という微妙な時間だったが、特にどうするという案も出ず解散となる。去り際に園田が言った。
「カラオケは全然いいんだけども……前もって言ってほしかったかな。僕にも予定というものがあるからね」
「あ、うん。ごめん」
謝ると、慶太郎は笑いながら肩を叩いてきた。
「ふはは、何普通に謝ってんだよ。『園田くんに予定とかあるんだ』っていつもみたく言えよ」
「失敬な。というか僕を誘ってきたのは速見くんじゃないか」
「ん~? そうだっけか? 忘れたわそんな昔のことは」
二人はここぞと声を張り上げて言い合いを始めた。いくらか調子が戻ったと思ったが、少しわざとらしく感じた。
「まぁ、たまにはこういうのもいいか。楽しかったぜ」
最後に慶太郎はもう一度悠己の肩を叩いて言った。
わざわざそんなことを言ったのに違和感があった。気を遣わせてしまったかもしれない。申し訳なく思った。
二人と別れたあとも、すぐには帰らなかった。ゆっくりとした足取りで、駅の反対にある古本屋に向かった。これといって目当てのものがあるわけではなかった。家にあった本を読み終えてしまいそうだったので、これから読む本を探そうと思った。