使用済み消しゴム
「あー悠己くんだー」
唯李の声がするやいなや、悠己はぱっと二人から解放された。
慶太郎は突然携帯を耳に当ててくるっと回れ右をしていなくなり、園田はぱっと背を向けてメガネを外しレンズを布で拭き出した。
「シュッシュッ!」
近づいてきた唯李が、すれ違いざまに腕を構えて空ジャブを繰り出してくる。
すると隣を歩いていた女子が唯李に不思議そうな顔を向けて、
「なにやってんの唯李?」
「ライバルだからね」
「なにそれ、ウケる」
キャハハ、と笑いながら女子三人が横を通り過ぎていく。
やたらチラチラとこちらを振り返られて、
「あれ誰?」
「いや同じクラスでしょ」
「ああ……いたような?」
そんな会話が少し聞こえてきたがあまり気にしない。
ちなみに園田は「やぁ」とキメ顔で斜め四十五度に手を上げていたがガン無視されていた。
少しかわいそうだったので悠己が見てやると、園田は「何か?」とまるで何事もなかった顔をしてきた。
「いや別に何も……」
無視されてたけど大丈夫? とは聞きづらかった。
しかし口に出さずとも感じ取ったのか、園田は若干口元を引きつらせながら、うーん……と腕組みをして唸る。
「どうやら今の彼女は……成戸くん。君を落とすことしか考えていないらしい。隣の席キラーは、狙った得物は確実に仕留める。これまでの彼女の勝率は、僕の知る限りでは100パーセントだ」
「いや、もうそれわかってたら落とされるもクソもないでしょ」
「その考えは甘いな。何を隠そう、学年トップの僕のことだから、その時から疑念はあったんだよ。これはからかわれているだけなのでは……? とね。しかし、彼女の怒涛の攻めに、でもこれもしかしてイケんじゃないかぁ~? の波に押し流されて、無事敗北を喫した」
「怒涛の攻めって、そんな言うほどでもないよね」
「ふっ……まあそういうわけだから、君もせいぜい気張りたまえよ」
そう言って園田はぴっと人差し指と中指を立てて腕を振った。
なんかキモかったので悠己はノーリアクションでさっさと踵を返して教室に戻った。
その日最後の授業が終わって、放課後になる。
悠己は自分の席でゆっくり大きく伸びをした後、机の上の筆記用具を筆箱にしまおうとすると、つまもうとした指先で消しゴムを弾いてしまう。
「あ」
机の上から落ちた消しゴムは、床で大きくバウンドして転がりちょうど唯李の足元へ。
すぐに気づいて床に視線を落とした唯李は、座ったまま腰を曲げて消しゴムを拾った。
それを見た悠己はふと、昼に慶太郎の言っていたことを思い出す。
(ふっ、てやるのかな?)
慶太郎を告白に駆り立てたという必殺技。
実際どんなものかと唯李の挙動を見ていると、
「もーらい」
盗られた。
唯李は拾った消しゴムをそのまま自分の筆箱に入れようとするので、
「こら」
「はい?」
注意すると唯李はわざとらしく目をぱちぱちさせて、しらばっくれた顔をしてくる。
悠己が目線をじっと唯李の手元に送ると、唯李は消しゴムを手のひらに転がして見せてくる。
「あなたが落としたのはこの角の丸い消しゴムですか? それとも……」
「そういう茶番はいいから返してもらっていいかな」
長くなりそうだったので途中で遮って言うと、唯李はむっと口をとがらせて、
「茶番て。もう、悠己くんノリ悪いなぁ」
「消しゴム拾ってくれてありがとうございます。で、いいですか渡してもらって」
ネコババされないよう自分のものであるアピールをする。
すると唯李は急に口元をにやつかせながら、ちらっと悠己の方に流し目を送ってきた。
「ん~……何か悠己くんの持ち物が欲しかっただけなんだけどな~……」
人の持ち物を欲しがるという、まさかのスキあらばかっさらうぞ宣言に悠己は戦慄する。
「まさか隣の席にシーフとは……」
「いやいや……。なんで今のが理解できないかなぁ……」
「消しゴムがないと地味に困るんだけど」
「そうだ、じゃああたしのと交換しよっか」
そう言って唯李は自分の筆箱から消しゴムを取り出し、すっと机の上に乗せてくる。
そしてうふ、と笑いかけてくるが、実際手にとって見ると悠己が使っていたものより一回り小さい。
これでは詐欺だ。
「こっちのほうがすり減ってるけど?」
「せこいこと言うね。ぶち壊しだよもう」
「うまいこと大きいのに乗り換えようったってそうはいかないね」
「そちらはJKの使用済み消しゴムですよ。小さくても価値があるよ」
「なるほど。写真付きだったら売れるかな」
「ガチっぽくするのやめて? 冗談だからね?」
もういいです、と唯李は自分の消しゴムをひったくって、どん、と悠己の落とした消しゴムを机に置く。
どうやら自分の狙い通りにいかなくて若干機嫌を損ねたらしい。
(う~ん、これはやはり……)
園田の言う通り、彼女は心に何らかの問題を抱えていると考えてもおかしくはない。さすが学年トップは伊達ではないようだ。
こういったおふざけにも深い理由があるのだとすると、唯李のことをあまり邪険にするのもかわいそうだと思う。
それに運よく悠己はそういう子に対して、接し方にそれなりに心得があるつもりだ。
(なんとかしてあげられればいいんだけど)
というのはまさに妹の瑞奈のことで、悠己には過去の経験に裏打ちされた自信とそれらしい実績がある。
その当時のことを思い出しながら、悠己は唯李に対し頭ごなしに文句をつけることはせず、あくまで優しく声をかけてやる。
「あのさ、何かこう……悩みとか、困っていることがあるなら、聞くよ。一応」
そう申し出ると、唯李はじっと不思議そうに悠己の顔を見た後、勢いよく右手を上げた。
「はーいはーい」
「はいどうぞ」
「隣の席の人がこうやって上から目線で変なこと言ってくる」
「んー……じゃあ何を言えばいいかな」
「何を言えばって、それは……え~っと……」
唯李は目線を上にやりながら、何やら考え込みだした。
一体何を考えているのか、唯李は一瞬にまっと口を緩めたかと思えば、はっとあわてて真顔に戻る。
「じ、自分で考えれば!」
「自分で……?」
今度は悠己が天井を仰ぐ番になる。
やたら横からジリジリと視線を感じるが、瑞奈の時はどんなだったかなと記憶をたどる。
「まあ色々と、あるんだろうけど……安心して」
「……何を?」
「大丈夫だから。きっとね」
「だからそれ何なの? さっきから……」
唯李は警戒心たっぷりに眉をひそめる。
もちろん唯李自身のことも気がかりだが、このまま彼女を野放しにして、これ以上気持ち悪い被害者を増やしたくない。
なんとなくそんなことを思いながら、まっすぐ唯李の目を見つめて微笑んでみせる。
すると唯李ははっとうろたえたように目を泳がせて顔を背けかけたが、ぐっと持ち直して見つめ返してきて、でもやっぱりすぐにガタっと席を立った。
「か、帰る!」
「大丈夫? 一人で帰れる?」
「か、帰れるわ! 子供か!」
「気をつけてね。寄り道してあんまり遅くならないようにね」
「よ、余計なお世話じゃい! おかんか! いやおばあちゃんか!」
唯李は頬を紅潮させながら、やや興奮気味にそう言ってカバンをひっつかむと、慌ただしく席を離れていってしまった。
(やっぱなんか違うな……)
当たり前といえば当たり前だが、瑞奈の時とはひと味もふた味も勝手が違う。
それだけ今度の相手は一筋縄ではいかないということだ。
席に残された悠己は、思案顔で一人首を傾げた。