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帰宅後

 ひととおり参拝を終えると、悠己は和輝とともに帰宅した。

 しばらく休んだのち、和輝は晩飯の買い出しに行くと言って出ていった。ここ数日は食事の準備をはじめ家のこと、自分から買って出ている。


 入れ替わりになるように瑞奈が帰ってきた。悠己たちに遅れること数時間、外は陽が落ち始めていた。

 足音荒くやってくるなり、瑞奈はソファに座る悠己の前に立ちふさがった。


「なんで違うって言ったの?」


 第一声から詰問口調だった。むっとした顔をしている。主語もなにもないので聞き返す。


「何が?」

「何がって、ゆいちゃんのこと! 彼女じゃないって!」


 とことん問い詰める気なのだろう。瑞奈は腕組みをして正面から見下ろしてくる。

 余計なことを言うのも時間の無駄だ。回りくどいことはせず、手短に話をつけることにする。


「瑞奈のほうこそ、もういいでしょ」

「もういいって、何が?」

「もう、気づいてるんでしょ? 俺と唯李のこと」


 瑞奈は虚をつかれたかのように目を見張った。視線を悠己の膝下に落として、そのまま押し黙る。

 予感は当たっていた。口調を柔らかくして尋ねる。


「唯李は、なんか言ってた?」

「……お父さんの前で、恥ずかしかったんじゃないの、とかって」


 最後までごまかそうとしたらしい。申し訳ない気持ちになって、何も返す言葉がなかった。

 黙っていると瑞奈はゆっくり隣に座った。前を見たまま少しだけうつむく。悠己はその横顔に尋ねた。


「嘘つきとかって、言わないの?」

「瑞奈も知ってて黙ってたから、嘘つきはお互い様」


 いつから気づいていただとか、どうして気づいただとか、細かいことは聞かなかった。近いうちこうなること、瑞奈もおぼろげに察していたに違いない。態度が物語っていた。これ以上あれこれ言うのは、それこそ余計なことだと思った。


 ただ一言、言っておかなければならないのは。

「言い出しっぺは唯李だから。唯李にお礼、言ってあげて」


 瑞奈はうつむいたまま動かなかった。ややあって面を上げた。


「でもね、瑞奈は本当に二人が恋人同士だったらいいなって、ずっと思ってて……それは本当だよ?」


 返答に困った。何かしか返さないと、と思って言った。


「でも最初にうちに来たときさ、俺と唯李が釣り合うわけないって、瑞奈だって言ってたじゃん」


 どうして今そんなことを担ぎ出して、口にしたのか自分でもわからなかった。

 あのときの瑞奈の言葉は、半分冗談のようなものだと悠己もわかっていた。それを言い出したら、最初からすべてが冗談みたいなものだ。


「そっか」


 否定も何もせず、瑞奈はにこりとした。笑顔の意味がわからなかった。

 話は終わりらしかった。拍子抜けだった。てっきりいつものようにわめきだして、また無茶を言ってくると思っていたのに。


 けれどそれで話がつくならもういいだろう。変にぶり返すこともない。気分を変える意味も込めて、話題を変える。


「父さんも、もう大丈夫だから。きっと」


 これまでは帰ってきても居心地が悪そうだった。それが明確に変わった。振る舞いに余裕ができている。軽い冗談だって言い合うようになった。何より本人に変わろうというはっきりした意思を感じる。

 掃除で出たゴミも処分して、今はきれいさっぱりなくなった。あれは父なりのけじめをつける意味があったのだろう。


「瑞奈だってそう思うでしょ?」

「ん―……まあ、ちょっとは変わったみたいだけど……」


 言いよどむ。まだ引っかかりがあるようだった。


「これからもっと変わるよ。こっちに戻ってきて、仕事も変えるかもしれないって言ってたし」

「なにそれ、聞いてないんだけど」


 瑞奈には話していないようだった。まだ確定したわけではないと言っていたし、きっと余計な心配をかけたくないのだろう。


 瑞奈は露骨に気分を害したようだった。ソファに勢いよく上半身をもたれて、足を投げ出す。


「……何が、気に入らないの?」


 単刀直入に聞くが、瑞奈はすぐには答えなかった。促すように視線を向けると、瑞奈はふてくされたように口を開いた。


「……だって、勝手に自分ひとりで……もう大丈夫みたいな顔してさ」


 瑞奈の言いたいことも、わからないでもない。

 あまりに唐突だ、というのだろう。


 しかしよくよく思うと、それほど急なことではないのかもしれない。父は夏を過ぎたあたりから、どこどこのパワースポットに言ってきた、という話をすることはなくなっていた。お土産、と言って怪しげなものを持って帰ってくることもなかった。

 徐々に変化はしていた……けれども、それに悠己たちが気づかなかっただけ。


「何となく言い出しづらかったんじゃないかな。ちょうど年の節目で、気持ちを切り替えようとしてたとか」


 自分で言いながら、きっとそうに違いないと思った。

 日常に忙殺されながら、以前から機会を伺っていて、何かしらのきっかけを探していて、やっと今、言い出すことができたのかもしれない。そういう意味で年末の大掃除は、物を捨てるのにもいい口実になる。


「うん、でもさ……」


 瑞奈はそれでもまだ納得がいかない様子だった。しかしその態度こそ、こちらは納得がいかない。業を煮やして、ぴしゃりと言う。


「話したくないことだって、あるでしょ?」


 仮にここ最近、何か心変わりするような出来事があったのだとしても、父に語る気がない、語りたくないというならば、それを尊重すべきだ。


 きっと子供の自分たちには及びもつかない事情があって、理由があって……決断をしたに違いない。それに対して文句をつけたり、不満を漏らしたりできる立場じゃない。

 父は間違いなくよくなったのだ。無理に詮索して、かき回す必要なんてない。変に反抗的な態度を取るのも、もうやめてほしい。


「だからさ……わかるでしょ?」


 念を押すと、瑞奈は小さく頷いた。それでもまだ、どこか釈然としない表情だった。何か言いたそうに、悠己の目を見つめ返してきた。けれど結局、何も口にはしなかった。ただ口元を緩ませて、笑った。




 夕飯時になった。

 食卓には、伊達巻、数の子、かまぼこ、食べかけの栗きんとんなどの、余ったおせち料理が並ぶ。

 メインは和輝の得意料理のであるカレーライス。何かと小細工をするらしく、企業秘密だと言って作り方は教えてくれない。アンバランスなメニューだが、味は確かなもので瑞奈も文句を垂れたりはしなかった。

 夕食の話題は、今日の振り返りだった。


「瑞奈が友達友達って言ってるから心配だったけども、変なお友達じゃなくてよかったな」


 自分の目で見るまでは心配だったのだろう。対面に座る父が安堵の笑みを浮かべる。


「まぁ、ちょっと変わった感じの子もいたけども」


 おそらく唯李のことを言っている。やりとりを思い出しているのか、和輝は少しおかしそうに笑った。


「やたら騒がしかったけど、かわいい子だったよな。ちょい残念美人って感じか? いつもあんな感じ?」


 第一印象こそあまりよくなさそうだが、記憶には残ったらしい。

 その後何もフォローを入れていないため、悠己のことをふざけてからかっている瑞奈の友達、で終わっている。唯李には悪いと思ったが、変に話がこじれるよりはいい。


「まぁ、あんな感じかな」


 和輝はどちらに尋ねたわけでもなさそうだったが、瑞奈が何も言わないので悠己が相づちをうつ。それ以上は掘り下げられず、会話は途切れた。

 珍しくテレビがついていなかった。さじが食器にぶつかる音だけが食卓に響く。


「ゆいちゃんって、ちょっとお母さんに似てるんだよね」


 沈黙を裂いて、瑞奈が誰にともなく言った。

 とっさの発言に悠己はぎくりとした。スプーンを握る手が止まっていた。


「ゆいちゃんって……その子が? はは、いや全然似てないだろ」


 和輝はいとも簡単に笑い飛ばした。歯牙にもかけていないようだった。一瞬空気が張り詰めたような気がしたのも、悠己の思い過ごしらしかった。

 胸をなでおろしていると、瑞奈は一人つぶやくように言った。


「全然似てないって……ゆいちゃんのこと、知らないでしょ」


 唯李はどこか、母に似ている。幾度となくそう思ったのは、悠己も同じだった。以前なら……今も父がいなければ同意していただろう。

 けれどそうはしなかった。そのかわりすばやく視線を走らせて、父の表情を盗み見ていた。


 父は無言でカレーライスを口に運んでいた。目元はおだやかだったが、顔から笑みが消えているような気がした。口元は咀嚼を繰り返している。表情が読めなくなった。


 父にたしなめられ、身をすくめた姿。ぎこちなく笑った口元。顔を赤らめ、子供のようにはしゃぐ騒ぎ声。

 やはり違うのだ。母をもっともよく知る父が言うのだから、間違いない。だいたい母はあんなふうに取り乱したりはしない。いつも余裕があって、穏やかな口調で、柔らかい笑みで……。


「ゆうきくんもそう思うよね」

 唐突に水を向けられ、はっと我に返る。その拍子に父と目が合った。

 悠己のことを、じっと見ている。悠己が何か言うのを、待っている。


 急に胸が早鐘を打ち出す。視線が泳いで定まらなくなる。カレーの味がわからなくなって、そのまま飲み込んだ。

 仮に似ていたとして、だからなんだというのか。唯李の父への印象を、少しでもよくしようとでもいうのか。

 とにかくこれ以上、父の前でこんな話はしたくなかった。一刻も早くこの話題を切り上げたかった。


「いや……俺はそうは思わないよ」


 もうやめてほしい、という意図を込めて、妹を見た。睨んでいたかもしれない。いや、睨んでいたのだろう。瑞奈は目を伏せると、黙ってスプーンを動かし始めた。


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