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初詣

 休みに入ってから年末まではあっというまだった。何事もなく、大晦日の夜が更けていく。

 リビングは宴のあとのような静けさだった。食卓には早めのおせち料理が広げられ、蕎麦を食べた器が脇にのけられている。


 和輝はちびちびと一人で酒を飲んでいたが、いつのまにかダイニングテーブルにうつ伏せになっていた。

 十二時過ぎまで寝ないと勢い込んでいた瑞奈も、ソファに身を横たえて寝息を立てている。手からはスマホがこぼれ落ちていた。

 夕方からずっとつけっぱなしのテレビだけが、目の前でやかましく騒いでいる。悠己は眠気に押されながらも、ソファで画面の明滅をぼんやり眺めていた。


 だいたい例年通りだ。

 だけど今年は少し様子が違った。父が珍しく酒を飲んだり、瑞奈がしきりにスマホで誰かとやりとりをしたり。本当に例年通りなのは悠己だけのように思えた。


 それでも来年はきっと……来年の今頃、自分はなにをしているのだろう。

 受験生でこんなにのんびりしていないかもしれない。誰に相談するでもなく進路は漠然と進学、としているが、特に学びたいことがあるわけではない。父とも具体的な進路の話は出なかった。


 高校受験のときも父は特に干渉してくることなく、悠己が自分一人で決めた。決めたと言っても、家から一番近い学校を選んだだけだった。父は今回も口を挟む気がないのか、それともまだ先の話だと思っているのか。

 テレビのチャンネルを変えると、隣で瑞奈がゆっくり体を起こした。目をこすりながら言う。


「あけましておめでとう」

「まだ明けてないよ」


 瑞奈は寝ぼけながらスマホをいじりだした。日付が変わるまであと数十分。年明けから始まるスマホゲームのイベントを待っているようだ。


「ゆうきくん初詣は?」

「だからまだ明けてないってば」

「なんで行かないの」


 また寝ぼけているのかと思ったがそうではないらしい。ここ数日、この前のクリスマスパーティのメンツで初詣に行こうという話が持ち上がっていた。

 しかし悠己は先約があると言って断った。そのことを言っているようだ。


「だから言ったでしょ、父さんと行くって前から話してたって」


 実際その前から、父と初詣に行くという話は決まっていた。これも例年通りと言えば例年通りだ。瑞奈は人混みに出たがらないので、いつもたいてい二人で行く。

 瑞奈は奥のテーブルで伏せっている和輝をちらりと見て言った。


「え~……和輝となんて絶対面白くないじゃん」

「いいじゃん、なら瑞奈は唯李たちと行けば」

「ゆうきくんは両方行けばいいじゃん」

「一回行けば十分だよ。俺がいてもいなくても変わらないでしょ」

「ゆうきくんがいないとボケが足らないんだよなぁ」

「別にボケる必要ないでしょ」


 大人数のコントでもするつもりか。というか瑞奈がいるとツッコミをさせられるハメになる。

 瑞奈はわざとらしく口を曲げて、困り顔を作ってみせた。何事か考えていたようだったが、急に膝を打って身を乗り出してくる。


「もういいわかった、瑞奈も成戸家で行くから」

「一緒に来るの? なんで?」

「心配だから」


 心配されることなど何もない。むしろ心配事が増える。

 瑞奈は顔を近づけてきて、ぱちぱちとまばたきを浴びせてくる。


「この紅一点の美人がいたほうがいいでしょ」

「あまり調子に乗らないように」


 ぐいと顔を押しのける。


「いいから唯李たちと行ってきなよ。小夜ちゃんかわいそうでしょ」

「いやいやいや」

「別にいいってこっちのことは」

「いやいやいやいや」


 負けじと首を振ってくる。いったい何を考えているんだか。






 初詣は一日に行く予定だったが、瑞奈の希望で二日になった。当日になってさらに午後から、と指定が入る。いろいろと支度があるから、というが現れた瑞奈はいつぞやのコート、タイツにスカートと、特別めかしこんだ格好ではなかった。


 三人一緒に家を出て、バスに乗る。珍しく瑞奈も一緒に行く、ということで和輝は朝から上機嫌だった。久しぶり、いついつぶり、というような話を延々としていた。

 神社前のバス停で降りる。これも瑞奈の希望というか指定である。辺り一帯で最も大きな神社で、どのみちここに来る予定ではあった。


「神社に来るのはいいんだ?」

「さすがにそれぐらいセーフだろ。セーフっていうか、まぁ禊みたいなもんだ」


 悠己の問いに和輝はカラカラと笑う。冗談めかして軽口も飛ばせるようになっていた。談笑しながら歩く背後を、瑞奈が黙ってついてくる。


 神社周辺は人で大賑わいだった。ふだんはがらんとしている神社も、まるで別世界のような様相を呈していた。立ち並ぶ屋台からは、飴を焦がしたような甘い香りとソースの匂いが漂ってくる。境内に続く道はロープで仕切られ、長い行列ができていた。石段の脇では警備員らしき人物がメガホンで注意喚起をしている。相当待つことになりそうだった。


「う~……なんでこんなにいっぱい人いるの」


 瑞奈が顔をしかめながらあたりを見回す。人混み嫌いは相変わらず。こんなはずではなかったと言いたげだ。


「これだと先にお参りしたほうがいいか……」


 和輝が首を伸ばして行列の様子をうかがう。悠己も同様に人ごみを見渡していると、急にうしろから腕を引かれた。


「何?」

「しーっ、こっちこっち」


 瑞奈が声をひそめながら、あさっての方角に歩き始める。そのまま和輝を置き去りにしようとするので、足を止めて聞く。


「何だって?」

「いいからいいから」


 ぐいぐいと腕を引っ張られる。和輝が瑞奈の不審な動きに気づいた。


「ん? どうした瑞奈?」

「ちょっとトイレ行くから! あとで電話する!」


 瑞奈は返事も待たずに悠己を引っ張って参道から離れていく。人の波を横切り、どんどん外れのほうへ。


「瑞奈? トイレ向こうだよ?」


 声をかけるが無視された。手を引かれるがままやってきたのは、神社裏手にある駐車場だった。案内板の前で立ち止まり、やっと腕を解放される。瑞奈は周囲を見渡すと、スマホを取り出してぶつくさやりだした。


「も~遅い、なにやってるの……」

「だから何が?」

「こっちの話」


 何か隠しているな、と思ったそのとき、瑞奈がぱっと手を上げた。その先には見知った小さな影……小夜がこちらに向かって手を上げていた。


「あけましておめでとうございます!」


 小走りに近づいてくるなり、ぺこりと頭を下げた。意識的に揃えているのか、瑞奈と似たような装いをしている。


「さよおめー!」


 横から瑞奈が抱きついていく。頬ずりをせんばかりに顔を寄せると、こそこそ耳打ちを始めた。


「どうかね首尾は」

「すっごいいい感じ! 見た目だけは最強!」


 小夜は声を弾ませると、両手を上げて後方へ大きく手招きをした。

 その向こうで花がらの着物姿が袖を振って応えた。停まっている車の陰から一人、二人と同じく着物姿の人影が現れる。


「あけましておめでと~」


 笑顔で手を振りながらやってきたのは萌絵だった。きらびやかな花の髪飾りが目を引く。そのあとについて、よく見慣れた顔ぶれ――凛央と唯李の姿もある。


「あれ? みんな……?」

「や~偶然、ほんと偶然だね~」


 隣で瑞奈がわざとらしく言う。謎のしたり顔。どうやら一緒になるように仕向けたらしい。


「みんないいよいいよ~。こっちに笑顔ちょうだ~い」


 あいさつもそこそこに、さっそく瑞奈がスマホを向けて写真を撮り始める。そこに小夜も混じり、わきゃわきゃと女子たちが盛り上がりだした。


 呆然と眺めていると、横あいから何者かが肩をぶつけてきた。振り向くと派手な茶髪頭が視界に飛び込んでくる。肩や腕や手にカバンや上着をぶら下げて、物かけスタンドのようになっている。


「あれ、慶太……」

「よっ、オレも急遽呼ばれてな」

「それいじめられてるの?」

「女子ってなんでムダにカバン持ち歩くんだろうな」


 荷物持ちとして役目を与えられたらしい。

 その背後から、メガネをかけた七三分けがのそりと顔をのぞかせた。ごつめのカメラを首からぶら下げている。悠己は先んじて会釈をする。


「どうもはじめましてお父さん」

「お父さんではない園田くんだ」

「なんでいるの?」

「ダメもとで萌絵ちゃんに初詣デートを申し込んだら、これがなんと二つ返事でオッケー! 時代はやっぱりエモエモォ!」

「何? 発毛デート?」

「髪はまだあるんだが」


 気温はだいぶ低いとはいえ顔が暑苦しい。

 慶太郎が園田の肩を叩く。


「お前はみんなも来るから来なよって言われただけだろ」

「違う! デートだ! お試し体験コースだ!」


 またすぐ喧嘩する。

 やかましく言い合っているところに、着物姿の凛央が割って入ってきた。


「しばらくね、三人組も」


 微笑を浮かべている。髪を結わえて縛っていて、やたら大人びた雰囲気だ。凛央単体だとすれ違っても気づかず素通りしてしまいそう。

 慶太郎と園田は口論をやめ、仰々しく頭を下げていく。


「RIOさんおざっす! おつかれ様です!」

「……やめてくれる? そういうノリ」

「『控えろ下郎が』って言ってみてくれないかい」

「何よそれは」


 二人の勢いに押され、凛央は一歩二歩とあとずさる。悠己へと視線を逃してきて、目が合う。


「凛央も着物……」

「これうちにあったの」

「マジでなんでもあるね」


 恐るべし対応力。その上しっかり様になっている。

 感心していると、萌絵が凛央の背中に寄りかかりながら顔をのぞかせた。


「みんなと一緒に写真撮りたかったから、わたしが誘ったの。それとせっかくだから見せる相手がいないと張り合いないかなぁって」


 藤橋家のしきたりにより、正月は毎度振り袖を着させられるらしい。それに唯李と凛央も巻き込んだのだと。今日も萌絵宅で一緒に着付けをして、車で送ってもらったという。


「で、ゆっきーにはサプライズ! どう~? ゆっきーご感想は?」

「うん、みんなかわいいよ」

「ほうほう。じゃあ誰が一番かわいい~?」

「俺」

「またそうやってすぐ逃げる!」


 逃げるも戦うもない。ここで一人指名していいことなんてないだろう。

 萌絵はお気に召さなかったのか、ちびっこ二人とじゃれている唯李に手招きをする。


「ねえねえ唯李ちゃんこっち来て!」

「ぴーぴーうるさいヒヨコたちに新年のあいさつをしてやるか……クンッ」


 瑞奈が手にしたスマホに向かって、唯李はドヤ顔で中指を立てている。謎の写真……いや動画を撮っているようだ。萌絵は無理やり唯李の腕を引いて連れてくると、


「ほらほら唯李ちゃんかわいいでしょかわいいでしょ~?」

「えっ、ちょ、ちょっと!」


 前に押し出されて、唯李が足元をふらつかせる。

 髪を部分的に編んで、お団子に縛り上げていた。髪飾りはいつぞやの花火のときにも見覚えがあった。


「ど、どうも……」


 面と向かうや唯李は上目に細かく頷きながら、しきりに前髪を触りだした。

 こうして顔を合わせるのは、この前のクリスマスパーティ以来だ。年明けにラインが来て「あけましておめでとう」ぐらいの返信はしたが、それだけ。


「どうも……」


 とりあえずあいさつを返す。が、特にあとが続かない。変な間が生まれる。

 すぐに萌絵が顔を割り込ませて、横から茶々を入れてくる。


「あれ? 唯李ちゃんなんか急に元気なくな~い?」

「え? や、別にぃ……」

「あらら~? もしかして恥ずかしがってるのかなぁ?」

「ど、どこがよ? 何を恥ずかしがることがありますか」

「そうだよね、ねじりはちまき巻いてるわけでもないし」

「それは言うな」

「それとも巻いたほうが元気出る?」

「やめい」


 くすくすと笑う萌絵。仲睦まじいことだ。


「あのね、ゆっきーは唯李ちゃんがこの中で一番かわいいって~。やー悔しいなぁ、ね~ゆっきー?」

「はっ、この負け犬が」

「なんでそういうこと言うの?」


 睨まれるがなんでそういうこと言うの? はお互い様だ。

 おしゃべりもそこそこに、一行は駐車場から境内へ続く小道を進む。道の幅に合わせ、自然とおのおの二人組に分かれた。


「萌絵お嬢のお通り~。貴様ら図が高い」

「唯李ちゃんそういうのやめてって言ってるでしょ」


 いつの間にか調子づいた唯李が萌絵と先を行く。わりと本気のトーンで怒られている。


「またそうやって休みのたびに染めて……髪が痛むわよ」

「だから発毛デートじゃねえっつうの」

「なによそれ? 気にしてるじゃないの」


 凛央と慶太郎のやりとりが背後から聞こえる。


「あれあれさよっち正月ナイト引けてないん~?」

「え、今回様子見って言われてるのに引きにいっちゃったんですか~? 石ドブ捨て乙ですぅ~」


 最後尾から瑞奈と小夜の声。


「そして隣ではおじさんがカメラで盗撮をしている」

「人聞きの悪い事を言わないでくれないか」


 園田がカメラを向けると、萌絵が笑顔で振り返ってピース。何度かシャッターを切った園田は、感無量の面持ちで天を仰いだ。


「え、なんで泣きそうになってるの」

「初詣、着物……僕は今、猛烈にリア充している……。カッコつけてあきらめないで、よかった……」


 とはいえ周りを見ても着物姿はそれほど珍しくはない。ただ三人揃うとそれなりに人目を引きそうではある。

 それより正直、園田がこの場にいることが意外だった。去年の暮れから塾だ模試だと忙しくしていて、もうあまり関わることもないだろうと思っていただけに。


「ねえねえ、どんなふうに撮れてるか見せて~」


 前を歩く萌絵が急に立ち止まって、園田のカメラに手を伸ばす。「ゆっきー先行って」と半ば強制的に唯李の隣へ。無言で歩いていると、ちらちらと横から視線を感じる。


「何?」

「い、いやぁなんかその……ゆっきーは唯李ちゃんが一番かわいいらしいじゃないですか~。参っちゃいますねぇ~」

「ああ、それダジャレね」

「ダジャレってなによ。どこもなんもかかってないけど」


 声のトーンが下がる。こりずににやにや笑いを向けてくる。


「や~唯李ちゃんの晴れ着姿に言葉もなくなっちゃいましたか~」

「……」

「言葉なくなっちゃったね。ガン無視だね」

「いやでも、全然聞いてなかったからびっくりした」

「びっくり感ないからもっとびっくりしてもらっていいよ」


 特に話すことはないと思っていたが、どんどんペースに飲まれていく。応酬が止まらなくなる。やがて混雑した通りに戻ってくるが、人混みのやかましさもわずらわしさも、さほど気にならなくなっていた。いつしかやりとりに夢中になっていた。


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