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父と二人で

 和輝に連れられてやってきたのは、駅の裏通りにある小洒落たレストランだった。

 落ち着いた雰囲気のお店で、席数もさほど多くない。子供連れはおらず、周りは若いカップルや女性客ばかりだった。


 二人がけの席に父と向かい合って座る。家を出たのは昼過ぎ。ランチのピークタイムは過ぎていた。

 悠己は初めての店だったが、和輝はいくらか勝手を知っているようで、入店はスムーズだった。ウエイトレスの置いていったメニューには本格イタリアン、とある。悠己はメニューの数字を指さして言った。


「けっこう値段するね」

「ん? まぁ、たまにはいいだろ」

「瑞奈が聞いたら文句言いそうだけど」


 お互い笑い合う。和輝はメニューをめくる手を止めて、


「実際、どうなんだ? 友達と出かけるって言ってたけども」

「全然、問題ないと思うけど。前も電話で話したじゃん、ちょうど俺の友達の妹が同じクラスで……」


 自然と瑞奈の話になる。

 和輝は不安げだったが、悠己はもうほとんど心配していない。以前から小夜にも何かあったら遠慮なく相談して、と伝えていて、特に問題が持ち上がることもなかった。それより今は瑞奈が父と変に衝突しないかのほうが気がかりだ。


「ちゃんとやってるみたいだよ。うちだと相変わらずかもだけど」

「う~ん、うちだと悪化してるような気が……。まぁ、そういう年頃なんだろうけども。なんにせよ元気になったようでよかった」


 話が一区切りして、メニュー選びに戻る。父は好きなもの頼め、というが値段を見て目移りしてしまう。決めきれず任せる形にした。


 和輝が注文を終える。沈黙の中を静かなクラシックのBGMが流れた。

 最後に二人きりで外食をしたのはいつだったか、すぐには思い出せなかった。

 こうやって改まると、話すことがあるようでない。父も自分のことをあまり積極的に話すタイプではない。そういうところは似ているのだと思う。


 場所柄も手伝って、なんとなく落ち着かない。悠己は一度、水の入ったグラスを口元に運んで戻す。手持ち無沙汰だったが、スマホを取り出して触りだすのははばかられた。あてどなく店の内装を眺めていると、突然和輝が口火を切った。


「悠己、悪かったな」


 父の目がまっすぐこちらを見ていた。真剣な顔だった。

 面食らいながらも聞き返す。


「何? どうしたの?」

「家のこと、瑞奈のこと……ほとんどお前に任せきりにして」


 今度は返答に詰まった。まともにあいづちすらできないでいると、和輝は一人で続けた。

 年始は長めに休みを取った。これからは帰ってくる頻度を増やすようにする。知り合いのツテで転職しようかどうか迷っている。給料は少し下がるけども、今みたいな状態ではなくなって、一緒に住める。タイミングを見て今のマンションも引き払おうと思う。


 というような話を、和輝はとつとつと語った。そして最後に、やっぱり家族と過ごすことが大事だと思った、と付け加えた。

 悠己はその話にただ頷いて、あいづちを打った。父が間違ったことを言っているとは思わなかった。否定することも、何か意見をするようなこともなかった。父の仕事が大変だということは理解しているし、今の家が広すぎると思っていたのは悠己だってそうだ。


「悠己は……どう思う?」

「うん、いいと思うよ」


 はっきりと賛成の意を示す。答えは改めて聞かれるまでもない。

 そもそも自分の意見なんてものはなかった。仮にあったとして、それが父の考え抜いた答えよりも正しいとはとうてい思えなかった。父がそうしたいというのなら、ただそれに従うだけ。今までだってずっとそうしてきた。だからそれで何も問題はない。


「すまなかったな、悠己」


 最後にもう一度、父は謝罪の言葉を口にした。

 それに対し悠己は責めることも、不満を口にすることもしなかった。

 唐突なことで驚きはあった。困惑もあった。いろいろな感情が渦巻いて、内心動揺していた。けれど表には出さず、悟られまいとした。


 少し遅れて胸のあたりに、温かいものがこみ上げてくる。心臓の鼓動が高鳴る。残ったのは負の感情ではなかった。じんわりとした高揚感が、徐々に広がっていく。

 認められた、と思った。報われた気持ちになった。そして何より、安堵していた。ずっと張り詰めていたものが、一気に溶けてなくなった感覚がした。





 遅めの昼食を済ませたあと、その足で映画館に向かった。和輝の提案だ。


「もしかしたら瑞奈と行き合ったりしてな。他人のふりされそうだけども」


 和輝はときおり冗談を交えながら、機嫌よく話をした。もともと口数の多いタイプではないから、今日は少し無理をしているように見えた。

 映画館付近は混雑していた。中高生の集まりもいくつか見かけたが、瑞奈と鉢合わせるようなことはなかった。瑞奈は悠己が掃除を手伝い始めた頃に家を出ていった。映画はとっくに見終わっているだろう。


 同年代らしきグループが群れている横を素通りする。慶太郎によく似た後ろ姿を見かけてどきりとしたが、人違いだった。通りすがりに楽しげな笑い声が上がると、父親と二人でいる自分がなんだか場違いな感じがした。


「今からだとこの二つか。どうする? 悠己は見たいやつあるか?」


 入り口の案内板の前で尋ねられたが、特別見たい映画があるわけではなかった。ここでも選択を父に委ね、付き従うようにシアター内へ。しばらくして始まったのは派手なアクション映画だった。

 正直やかましいのはあまり好みではなかったが、上映が終わったあと和輝は「面白かったな」と興奮気味に感想を口にした。そんな姿を見て悠己も満足だった。


「たまにはこう、行き当たりばったりもいいだろ?」


 ふだんは無計画に行動するような人ではないから、今日はわざとなのだろう。

 映画館を出てあてどなく通りを歩きながら、和輝は「この辺も結構変わったな」と話を振ってくる。悠己は情報を付け足しながら相づちをする。けれどそのうちいよいよ話すことがなくなって、お互い無言になった。


 人混みの中を、微妙な距離感で歩く。

 本当はもっと、話すべきことがあるような気がした。

 父はいつも忙しくしていて、休みの日もどこか疲れた顔をしていた。大変な仕事をしている、ということは母からも聞かされていた。

 話しかければもちろん嫌な顔はせずに相手をしてくれる。けれどいつしか、自分から声をかけるのをためらうようになっていた。それは今だってそうだ。昔からそうだった。


「どうだ? なんか面白いもんないか?」


 気づけば父がこちらを見ていた。冗談めかした口調で微笑を浮かべていた。


「や、特にそんな面白いものは……」


 意図の読めない質問に困惑しながらも、口元を緩めて答える。父が何を求めているのか、求められているのか、考えたがわからなかった。

 曖昧に濁すと、和輝は歩きながら気持ち視線を上に向けて、何事か思案を始めた。

 そしてものの数歩もしないうちに、急に立ち止まった。


「そうだ、久しぶりにボウリングでもやるか」





 歩いてきた道を折り返して駅へ戻る。わざわざ電車に乗って、ボウリング場のある最寄り駅へやってきた。本当に行き当たりばったりだと思ったが、口にはしなかった。

 ゲームセンターのある建物に入る。二階のボウリングフロアへ。近場では選択肢があまりないとはいえ、偶然にもこの前唯李と一緒にやってきたボウリング場だった。


「すごい久しぶりだなぁ。悠己が中学にあがる前だったか? それ以来だもんな」

「そうだったっけ」

「オレも相当腕が鈍ってるかもなぁ」


 このあいだ唯李とボウリングをしたばかりなのは言わなかった。久しぶりだ、と懐かしんでいるところに、わざわざ水を差すようなこともないだろう。


「あ~ダメか、残った」


 ピンを一本倒しそこねた和輝が、首を傾げながら戻ってくる。それでも終始笑顔を崩さない。楽しそうだ。

 悠己が投げる番になった。ボールを手にレーンに立つ。背中から視線を感じて、手に変な汗がにじんだ。

 提案されるままにやってきたが、本当は来たくなかったのかもしれない。体がこわばっていた。周囲のピンを弾く音が遠くに聞こえる。女の子と二人きりのときよりずっと緊張している、というのもおかしな話だ。


 ほんの遊びのはずなのに、真剣だった。

 正面を見つめて、構えて、基本に忠実なフォームで投げた。球の行方を、じっと睨みすえる。ボールは小さく弧を描いて滑り、ピンをすべて倒した。振り返ると、和輝は手を叩いて喜んでいた。


「やるなぁ。やっぱ小さい頃オレが教えたおかげか、はは」

「おかげさまで」


 本当はこっそりネットで調べて、上手な人の動画を繰り返し見て、ひとりで勉強した。一緒に行ったときも父はほとんど瑞奈につきっきりで、ろくに教わった記憶はなかった。

 けれどそれも、悠己の記憶違いということもある。どちらにせよささいなことで、今こうやって父が喜んでいるのであれば、どうだっていいことだ。そう思って話を合わせた。


「よし、三連続ストライク」


 すぐに調子を取り戻したのか、和輝は危なげなくストライクを連発するようになった。

 最終的なスコアは和輝が上回った。途中難しい配置もクリアして、さすがのテクニックだと思った。その後何ゲームかプレイしても、結果は同じだった。


「最後は惜しかったな悠己。でもまあ、オレに本気を出させるとはたいしたもんだ」


 残った飲み物を空にすると、和輝は楽しそうに笑った。

 ふと負けて悔しがっていた唯李のことを思い出したが、悔しいというような気持ちは微塵もわかなかった。むしろ以前の父が帰ってきたように思えて、自分が子供の頃に戻ったような感じがして、心地よくす

らあった。





 夜は家で何か作ろうということになり、帰りに近場のスーパーに立ち寄った。ちょうど夕飯の買い出しどき。店内は混雑していた。

 かごを手に張り切って入店した和輝が、振り返って尋ねてくる。


「夜は瑞奈も食べるだろ? どうする?」

「うーん……鍋とかは? 寒いし」

「おっ、それいいな」


 悠己の提案ですぐに決まった。鍋は楽なので冬はよくやる。

 外周をぐるりと回るようにして、食材を吟味しながらカゴに入れていく。悠己の手際を見て和輝は笑った。


「はは、なんか主婦みたいだな」

「言うほど料理はあんまりしてないけどね」


 最近は瑞奈も「ご飯どうする?」と協力してくれるので、だいぶ楽になった。たまに自分で買い物をして、まるまる用意してくれたりもする。ただそれも毎日となると話が変わってくる。米だけ炊いて、おかずは出来合いのものを買ったほうが楽だったりする。気力がないときはお弁当で済ませる。


「大変だよな、そうだよな」

「ううん、まあ慣れれば別に」


 慌てて首を振る。嫌味っぽくなってしまったかもしれない。現状それで問題はないのだ。


「いつの間にか大量だな」


 セルフレジで和輝が袋詰めしながら言う。正月のことも考え、ついでに出来合いのお節料理なども購入した。これも悠己の提案だった。和輝が感心しきりだったので、調子に乗って買いすぎたかもしれない。




 帰宅後、さっそく夕食の準備に取り掛かった。まだ少し早い時間だったが父はやけに勢い込んでいる。手伝いはいらないオレがやるから、というので悠己はリビングで待つ。

 ソファでテレビを眺めていると、キッチンから野菜を刻む音が聞こえてくる。父が率先して料理をするのは珍しい。いつも帰ってきたときはたいてい外食か、何か買ってきて済ませてしまう。最近食事はどうしている、という話をしたせいか、気を遣っているのかもしれない。


 しばらくして瑞奈が帰ってきた。まっすぐ自分の部屋に引っ込んだあと、部屋着に着替えてリビングへやってくる。悠己のすぐ隣に腰掛けるなり、耳元で声をひそめた。


「……廊下に置いてあるゴミ袋とかダンボールとか、あれ何? 掃除あきらめたの?」

「全部捨てるんだってさ」


 瑞奈は目を丸くして、声のトーンを上げた。


「えっ、捨てるの? なんで?」

「もういらないからって」

「ふーん……? もったいなー」


 腑に落ちない表情をする。

 会話を盗み聞いていたのか、和輝がキッチンから顔を出した。


「瑞奈、欲しい物があれば持ってっていいぞ」

「いらなーい」


 そっけなく言って瑞奈はスマホを触りだした。視線を落としたまま、誰にともなく口にする。


「だいたい神頼みとかね、そんなのは弱い人間のすることですよ」

「はは、言われちゃったよ」


 和輝は苦笑するが、少し肝が冷える発言だ。悠己はすぐにフォローを入れる。


「瑞奈だって魔除けとかって言ってブレスレッドしてたじゃん」

「あんなダサいのもうしてませーん。『それ魔法防御力上がりそう。身代わりに砕け散りそう』とかってさよにもいじられたし」


 瑞奈が口を尖らせると、和輝が声を上げて笑った。気にもとめてないようだった。

 それから三人で食卓を囲んだ。コンロの上で土鍋がぐつぐつと煮える。

 瑞奈と二人のときはあらかじめ皿に取り分けて出してしまうが、和輝はわざわざカセットコンロを引っ張り出してきた。頃合いを見て、肉を順次投入していく。


「む……このお肉は高い」

「お、瑞奈も肉の値段がわかるようになったか」

「そのぐらいわかりますぅ~」

「じゃあ問題、これは牛肉か豚肉か」

「そんぐらいわかるわい!」


 妹と父のやりとりに自然と笑みがこぼれる。今日は奮発して、いつもよりいい肉なのは間違いない。悠己もつい口を挟む。


「でも瑞奈さ、『肉って全部牛の肉じゃないの?』って言ってたよね」

「それはずっとまえの話でしょ!」


 顔を赤らめた瑞奈がべしんと肩を叩いてくる。和輝は笑みを浮かべながら、


「だけど瑞奈もちょっとだけ大人っぽくなったな。髪型変わったせいか?」


 ここ最近の変化が著しい。悠己でさえ思うのだから、和輝が言うのも無理はない。

 今度は何も返しが浮かばなかったのか、瑞奈は気恥ずかしそうに視線をさまよわせた。和輝はさらに続ける。


「これは美人になるなきっと」

「……もうなってますけどぉ」

「問題は中身か」


 ひときわ大きな笑いが起きる。

 久方ぶりの家族での夕食は賑やかだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 瑞奈は父親が好きじゃないのかと思ってたけど、最後を見ると意外と仲良さそうな感じでちょっとほっこりするのがいい!
[良い点] 悠己の嬉しいような寂しいような複雑な心境がなんとも言えない空気を醸し出してる [一言] どっかで唯李に遭遇しないかなーって面影を探してしまう自分がいた
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