クリスマスパーティ2
その後もパーティは続いた。
食卓では椅子に座った慶太郎に向かって、凛央が何事かこんこんと説教をする。そのかたわらで、小夜がしきりに頷いている。
今日初めてゲームをやったという萌絵は、一人でテレビに向かってコントローラーを握っている。すっかりハマってしまったらしい。
瑞奈は張り切って朝早くから起きていたせいか、ソファでうとうと居眠りを始めていた。
唯李はまたお腹へってきたと言って残ったフライドチキンをかじっていたが、いつの間にか姿が見えない。手洗いにでも行ったか。
暖房とみんなの熱気に当てられたせいか、少し気分が優れない。悠己は一人ベランダへ抜け出して、小休止を取る。
外はすっかり日が落ちて暗かった。
冷たい外気が、火照った顔の表面をさましていく。
何度か深呼吸を繰り返すと、ぼうっとした頭がいくぶん冴えてきた。
手すりに体を預け、遠くを見つめる。空は雲に覆われていて、星は見えなかった。そのかわり眼下の住宅の庭先に、小さなクリスマスツリーの光を見つけた。
ゆっくりと点灯を繰り返すその光を眺めていると、ガララ、と背後で戸の開く音がした。
隣に立った影が、同じように手すりに寄りかかる。唯李だった。
「たそがれてるねぇ~」
白い息が漂う。唯李は一度夜の街を見渡したあと、悠己の顔を見た。
「どうかした? 今日なんか元気ない感じしたんだけど」
「そう? いつもこんなんでしょ」
「だよね」
唯李はくすくすと笑うと、身を翻して部屋の中を見た。
先ほどまでみんなで大騒ぎしていたが、今はすっかり落ち着いた。時間的にもそろそろお開きだろう。
唯李もそんな空気を察したのか、まるで今日のことを振り返るように言う。
「あたし正直言ってクリスマスって、あんまりいいイメージなかったんだけど。今年のクリスマスは、今までで一番楽しかった。悠己くんのおかげかな」
「なんで俺のおかげ?」
「ほら、みんなでパーティしたらいいじゃんって」
そういえばそんなことを言ったか。
しかしそう提案しただけで、悠己自身はほとんど何もしていないに等しい。
今日のパーティが楽しかったというのなら、それは瑞奈と小夜、そして他のみんなのおかげだろう。そう思って言った。
「まあ俺は何もしてないけどね」
「そう? でもそれだけじゃなくて、楽しかったよ? クリスマスデートも」
唯李は皮肉めいた言い方をして、ふふ、と笑う。
今度はとっさに返す言葉が浮かばなかった。黙っていると、唯李は思い出したように言う。
「くるみんと翼さんは、今ごろお家で仲良くケーキ食べてるのかな~?」
きっとそのはずだろう。あれ以降翼からの連絡もなければ、学校でのくるみとの接触も激減した。
くるみにしてみれば、悠己は大勢いる知り合いの中の一人。その一人になっただけでも、十分マシとも思える。
肯定の意味を込めて視線を向けると、唯李はさらに続けた。
「なんかゴタゴタしたけどさ、あれって結局お互いがお互いのこと、心配だったんだなって。まぁくるみんはちょっと暴走気味だったけど」
「いいお兄さんだよね、本当に」
「それはでも、悠己くんたちだってそうでしょ? ていうか妹大好きで言ったら、むしろ勝ってるまであるよね」
わざとらしく意地悪そうな顔をして笑いかけてくる。
今度は黙ることなく、すぐに言葉を返した。
「俺は翼さんとは違うよ」
「え? あー、はいはい。一緒にすんなってね」
「本当に、違うから」
――なんだかんだでアタシは、今が楽しいんだって。だからこのまま……兄貴にも、みんなにも。変わってほしくないって。変わりたくないんだって。
逃げてごまかして、今を引き伸ばしているのは、自分も同じ。
あのとき、本当はくるみと同じ気持ちだった。ただくるみに同調して、終わりにすればよかった。それなのに、なぜあんなことを言ったのか。
自分も誰かに同意がほしかったのかもしれない。あのくるみなら、いつもの調子で、悠己の言葉をさらりと否定してくれると思った。けれど、そうはならなかった。
「俺、昔は瑞奈のこと、嫌いだったんだ」
もう逃げ場はないと思った。覚悟は決まっていた。だから言った。
「父親も母親も、何かあると瑞奈が瑞奈がって……瑞奈のことばっかり気にして。瑞奈ばっかり褒められててさ。でもしょうがないんだよ、瑞奈はああ見えてちゃんとやったら、なんだって器用にこなすし、俺と違って才能があって、センスがあって……優れてるんだから」
彼女の顔を見ることはせず、前を見て一息に、吐き出すように言った。
本当ならあのとき、観覧車の中で言うべきだった。こうやってはっきり否定するべきだった。
けれどそうしなかったのは、まだ淡い期待を抱いていたのかもしれない。現状に甘えていたかったのかもしれない。
「だから俺は、翼さんみたいにはなれないよ。唯李が思ってるような、いいお兄ちゃんなんかじゃない」
けれど今度こそ終わりだと思った。後悔はなかった。
いったい唯李はどんな顔で、それを聞いていたのか、表情が伺い知れない。単純に顔を見ることができなかった。
目の前に白い空気が流れてきた。息遣いがして、声がした。
「……それならあたしだって、そういうときあったよ? うちの親もそんな感じだったし、親戚で集まったときとかも、いつもお姉ちゃんばっかり褒められてて持ち上げられてて。美人だしコミュ強っていうか、しゃべるの上手だし、ああ見えて頭もいいんだあの人」
唯李は拗ねるような口調で続ける。あれこれと付け足すように、不満を漏らした。しかし最後に声は笑った。
「ちょっとびっくりしたけど……でもそれ聞いて、逆に安心したかも。悠己くんもそういうこと思うんだなって」
困惑、失望、嫌悪、憤り。
唯李の言葉は、悠己の予想していたそのどれでもなかった。
けれどもある意味、予想通りでもあった。なぜなら唯李は、優しいから。だからこそためらいがあった。恐れがあった。
しかし口にしたからには、もう後戻りはできない。話を上書きするように、言葉を重ねる。
「ニセ恋人も、もう終わりにしよう」
本当は恋人同士などではないこと、きっと瑞奈も気づいている。気づいていて、気づいていないふりをしている。それは前々から、薄々思っていたことだ。
今日だって瑞奈はみんなのいる前で、そのことには一言も触れなかった。言えば悠己たちを、変に困らせてしまうとでも思ったのだろう。
「どうして?」
きっと瑞奈にも、気づかれているから。
そうは答えなかった。それよりも、もっと根本的なこと。
「もう必要ないからだよ」
ただ一言、簡潔に言う。
反論はなかった。それは唯李も感じていたのだろう。黙っている。
長い沈黙の後、隣を振り向いた。
唯李はまっすぐ遠くを見つめていた。何事か考えているようだったが、口にするには至らないのだろう。なぜならもう話はついているから。
最後に謝罪と、お礼。それだけ言って、部屋に戻ろうとした。
けれどそのとき、一人つぶやくような唯李の声がした。
「あたしさ……あのとき、くるみんの言ってたことすごいわかる。今が楽しいからこのままがいいって、変わってほしくないって……それもそうだなって。だって、あたしもそうだから」
唯李は空を見上げた。吐いた息が宙を舞った。
「でも悠己くんは難しいこと言ってるなって思って。あたしは空気読んで黙ってたんだけどさ、今が楽しいんだったら、ずーっと続いたらいいなって思うじゃん?」
視線を戻して、悠己の目に問いかけてきた。悠己はすぐに答えた。
「そんな楽しいことばっかりは続かないよ。いつ何が起こるかなんてわからないし、ある日突然、なくなるかもしれない」
「それはそうかもだけど……でもワンチャン続くかもしれないじゃん? もしダメだったとしても、それはそのとき、未来のあたしがなんとかしてくれるよきっと。今よりもっとレベル上がってると思うし」
今度はすぐには答えられなかった。また沈黙が続いた。
唯李がそう言うのなら、きっと唯李は、そうなのだろう。それを否定するつもりはないし、することもできない。
彼女は以前とは、見違えるようになった。
席替えをしてすぐ、一緒に帰ったときのこと。
あのとき唯李は、急に黙られると不安、そう言って機嫌をうかがって、まるで相手の気をとりなすように、おどけてみせた。
凛央と揉めたあとの、パーティの帰り。
友達に嫌われるなんて嫌。本当は、ずっと怖かった。今にも泣き出しそうな顔で、彼女はそう口にした。あのときも唯李は、ごまかすようにおどけてみせた。
けれど今の唯李の言葉には、力があった。
じっと悠己を見つめる瞳は、力強かった。こちらの顔色をうかがうような、反応を気にするようなそぶりは見せなかった。
「……そうかもね。唯李はきっと、大丈夫だろうね」
「でしょでしょお~? はいまた論破~うふふふっ」
小さな子供のように微笑む横顔を、部屋の明かりが照らした。
ひどく眩しかった。苦しさすら感じるほどだった。そのうちに見ていられなくなって、視線を冷たい空に逃した。
けれど同時に、胸をなでおろしていた。
唯李ならきっと、大丈夫。これから先も、そうやって乗り越えていける。彼女にはみんなを笑顔に、変える力があるから。
そしてそれは、瑞奈も同じ。
瑞奈は過去をごまかしてなんていない。囚われてもいない。
母の死と、正面から向き合ったからこそ、今は前を見ている。
そこにもう自分は必要ない。これから瑞奈は一人でも、前に進める。仲間を作っていける。振り返ることなく、進むべきだ。
妹と二人で過ごした時間。何事もうまくいかなくて、お互い失敗ばかりだったけど……それはそれで幸せな時間だった。
何もかも変わっていく。けれど何の問題もない。それこそ悠己が、望んだことだったはずだ。
なぜなら、自分はいつだって……。
――瑞奈に優しくね。お兄ちゃん。
妹のことをただ見守り続ける、優しいお兄ちゃんなんだから。
次からシリアス担当の人と交代します。
ギャルゲー(死語)でいう最終ルートです。