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いいお兄さん

「どしたのそのお嬢様みたいな座り方」

「そ、そう? こういうときに素が出ちゃうよね」


 唯李は足を揃えて背筋を伸ばし、両手を膝の上に添えながら座っている。こんな姿は見たことがない。これから面接でも受けるつもりか。

 悠己は立ったままゴンドラの外を指さす。


「上がってきたよほら、見える?」

「あ、大丈夫です。こっから見えるんで」

 

 口だけで頑なに席を立とうとしない。

 それでも外の景色……高さが気になるのか、おそるおそるガラス窓から外を覗くように首をもたげる。


「何? やっぱ怖いの?」

「いや別に怖くないっすよ? 下がスカスカじゃなければ大丈夫だから。余裕」

「何その謎理論」


 プールのときもそんなふうなことを言っていた気がする。悠己は背後に忍び寄ると、おっかなびっくり外を見ている唯李の背中に声をかけた。


「わっ」

「うぎゃあああああ!?」


 想定外の悲鳴を上げられ、思わず後ろに体がのけぞる。

 顔を赤くした唯李が、きっと上目に睨みつけてきた。


「こ、こ、殺す気か貴様ぁ!」

「今俺のほうがびっくりした」

「とか言って顔がびっくりしてねえんだよ! もうやめてよねそういうのマジで!」


 ふうふう、と呼吸を荒らげるのを、両手を上げてなだめる。 


「ごめんごめん、そこまでなるとは思わなかったから」

「……ま、まあ今のはリアクション芸っていうか? そういうのも極めてるから」


 なおも強がるように言って咳払いをすると、唯李は座り直していずまいを正す。


「でもそんなんやるの珍し。悠己くんのことだから、一周する間ぼーっと座ってるだけかと思ったら」


 そう言われて、たしかに浮かれてるな、と思った。不思議な感覚だった。

 頭を下げて、再度謝罪の意を表す。


「悪かったよごめん。でも、唯李は優しいよね」

「……へ?」

「ほんとは無理してるんでしょ? また俺が乗れないからって」


 そう言うとむくれ気味だった唯李の顔が、どこか決まりの悪い表情に変わる。

 唯李はふいと視線をあさってのほうへそらして、


「……ま、まあね、そりゃもう唯李さんの優しさは海をも割りますよ。ていうかそもそも怖くはないけどね別にね」


 もにょもにょと早口で語尾を濁す。まだそのスタンスを貫くつもりらしい。

 やや気まずい空気が漂いかけたが、悠己はお構いなしに唯李の隣へと腰を下ろした。


「ちょ、ちょっと! ふたりともこっちに座ったらヤバイでしょバランスが!」

「大丈夫だって」


 唯李の慌てっぷりに笑みを噛み殺しながら、スマホを取り出す。


「あのさ、写真……撮ってもいいかな?」

「へ? ああ、外の風景ね、どうぞご自由に」

「いや二人一緒に」

「えっ……?」


 驚いた顔がこちらを見た。そしてすぐ向けられる疑いの眼差し。


「ど、どうしたのかな~……。き、急にそんな……」

「いやほら、瑞奈にデートの証拠写真。さっき撮ったのラインで送ったんだけど、『こんなのダメに決まってるでしょ?』って」

「あーはいはい瑞奈ね、ジャンボミナ王ね。あったねそんなの」


 二人一緒に映っているもの以外は認められないという。

 不審そうにしていた唯李がすぐさま納得顔になる。悠己はカメラを起動して顔の前にかざす。

 

「あれっ……誰もいない……?」

「そういうしょうもないのいいから。早くインカメにしてもろて」


 思えば自分のスマホでインカメラを使う、というようなことがまずない。

 カメラを内側に切り替えると、二人分の顔を収めるべく体を近づけた。画面に映る唯李の顔は、笑っているとも怒っているとも困っているとも取れない微妙な表情をしている。


「なんか顔が変じゃない?」

「か、顔が変って失礼な! なんか改めて写真撮るってなると、緊張しちゃって……」

「ほら、お望み通りのラブコメイベントだよ」

「お、おお! これがラブコメ!」


 唯李はまばたきを繰り返しながら、声を張り上げる。さんざん騒いでいたが、いざとなると挙動がおかしい。

 写真を撮るやいなや、見せて見せてとスマホごと奪い取られた。


「や~ちょっと写真映り悪いかな~これ」

「そう? かわいいと思うけど」

「お、おう……」


 唯李は歯切れの悪い返事をすると、またも疑いのまなざしを向けてくる。


「何?」

「いや、いつ落としてくるのかなって」

「あはは、いくらなんでもここから落とすわけないじゃん」

「言っとくけど観覧車から落とすの落とすじゃないよ? 当たり前でしょ怖いわ」


 悠己はスマホを受け取ると、立ち上がって唯李の対面に座り直した。なんとなくだ。

 お互い向き合うと、変な沈黙になる。唯李はいくぶん慣れたのか姿勢を崩してはいるが、今度は外よりこちらを警戒しているようだ。まるで悠己の様子がおかしいとでも言いたげ。


 そんな状況とは関係なく、ゴンドラはゆるゆると頂上付近に近づいていた。悠己は窓の外を見て言った。


「俺、観覧車って……ちょっと苦手かも」

「は?」


 思いもよらない発言だったのか、唯李はぽかんと口を開けた。悠己は気にせず続ける。


「いや苦手っていうか、好きは好きなんだけど。上がっていく途中ワクワクして、一番高いところが最高で……。でもそのあとって下がるだけで、終わりに近づいていくと、もう終わっちゃうんだって……ちょっと悲しい」


 そこまで口にしたところで、自分はいきなり何を言ってるんだろうと思った。

 少しだけ首を傾げた唯李と目があった。不思議そうに瞳を瞬かせる。よほど変に思われただろう。取り繕うように話を切り上げる。


「でもしょうがないよね、そういうものだから」

「んー……そしたらもう一回乗ればいいんじゃない?」

「え?」

「終わっちゃうと嫌なら、飽きるまで乗ったらいいじゃん? はい論破。うふふっ」


 そう言って、唯李はおかしそうに笑った。

 今度は悠己が、ぽかんと口を開ける番だった。呆然として……けれど視線はまっすぐ前を向いていた。彼女の笑顔を、見つめていた。


 家族で乗った、観覧車。今思えば最初で最後の、観覧車だった。

 乗りたいものに乗れなくて、我慢して……きっと、ひねくれていたんだと思う。だけど最後に乗った観覧車は、楽しかった。すべてを帳消しにした。どうしてかそのことを、今の今まで忘れていた。 


 それは今も、同じだからだと思った。

 今もそのときと、同じ気持ちになっているのだと。だから、思い出した。


 長いまつげが揺れる。きれいな目をしている。高さのある小鼻。口角の上がった唇。笑った口元からのぞく白い歯。


 本当にそれだけなら、なんとも思わなかったはずだ。

 こうやって、くるみたちのよくわからない面倒事に巻き込まれても。ファミレスだって、ボウリングだって、ゲームセンターだって。


 せっかく遊園地に来たのに、ろくに乗り物にも乗らなくて、くだらないことばかり言って……それでも、楽しい。ただ一緒にいるだけで、楽しい。


 流されるように、ずるずると来てしまった。けれどその気になれば、いつだって断れたはずだ。はっきりとそれは違う、と答えていれば、くるみも、周りも、きっと無理強いはしないだろう。

 けれども答えてしまえば、その時点で、今の関係すら終わってしまいそうな気がして……。


 過去のこととか、今の自分のこと、そしてこれから先のこと。

 思うことはあった。

 やっぱりそれはありえない。自分にできるはずがない。もともと届くはずのない、不釣り合いな存在。いずれは失うのであれば、最初からいらない。


 そんな思考が、迷いが。何もかもが、この一瞬に消え去った。それはただの衝動だった。得体の知れない衝動に、突き動かされていた。

 

「あの唯李、俺、唯李のこと……」

「やーそれにしても、あれだね」 


 自分の声と、唯李の何の気なしに発した声が、偶然重なった。

 それは本当に、ただの偶然だったのだと思う。けれどもその偶然が、正気を呼び戻した。

 我に返ることで、言葉を飲み込んでいた。


「翼さんもさ、妹のために一生懸命って感じで、いいよね。なんだかんだでいいお兄さんだよ、うん。でもそれで言ったら、悠己くんも負けてないかー。妹だーい好きって感じで」


 唯李は小さく笑う。いたずらっぽい笑み。

 瞳は色のついた照明の光を反射していた。赤、黄、緑、とかわるがわる輝きを変えていく。


「あ、別にね? 今の嫌味とかじゃなくて、全然いいことだと思うんだけど。ほら、瑞奈ちゃん家出事件のときもさ。悠己くんのそういうとこ、いいなーって、思ったりとかしてて……」


 目を伏せた唯李は、そのままうつむいて言葉を濁した。

 沈黙の中を耳馴染みのあるメロディーが流れた。視線は膝の上で組まれた彼女の手元を見ていた。


「あーでもまぁ、ちょっとやりすぎな感もあるけどね!」


 ぱっと顔を上げた唯李が、笑いながら声を張り上げた。

 つられるように笑みを浮かべる。飲み込んだ言葉は、もうどこかに消えてなくなっていた。


 安堵していた。

 悠己がわずかに早ければ。唯李がわずかに遅ければ。

 言葉はすべて溢れていただろう。衝動に任せただけの、ただの無責任な言葉が。


 外へ視線を逃がした先で、景色がゆっくりと上がってくる。きらびやかな人工の光は、変わらず夜の闇を明るく照らしていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 自分からクラッシュしていくのか…(困惑)
[良い点] これはひどい [一言] とはいえ、なにやら感情を自覚したのはいい傾向か。
[一言] ようやく物語が動き始めそうだったのに…
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