彼女とクリスマスデート
「…………うん、うん。問題ないよ。……勉強? 大丈夫だって、ちゃんとやってるって」
いつもどおりの会話をして、通話を終える。父からの電話だった。
今日は入浴後、早めに寝室に引っ込んだ。ベッドに横たわると、壁越しにかすかに瑞奈の笑い声が聞こえてくる。おそらくスマホで動画でも見ているのだろう。
今日は少し早めに寝ようとスマホでアラームのセットをする。するとそのおり、端末が小さく震えて誰かからメッセージが届いた。
『いきなり彼女とクリスマスデートとか、絶対嘘に決まってますよ。何か知ってます?』
やたら長文だった。突然すみません、に始まり、文の末尾はそう締めくくられている。相手は小夜だった。こんな夜遅くに、もそうだが、メッセージを送ってくること自体珍しい。
文面からして、慶太郎がまた余計なことを言ったのだと思われる。おそらく何事かバトって、すぐさま真偽を確かめるべく小夜が連絡を入れてきたのだろう。
それにしても物は言いようだ。100%嘘というわけではないが、どう説明したものか。
「一応知ってるけど」とだけ返すと、立て続けに長文で質問が送られてくる。ちょっとしんどいので、「電話していい?」と聞いて、通話に切り替える。
受話口の向こうで、少し緊張気味の声がした。
「あの、すみません、遅くにいきなり……」
と最初こそおずおずと控えめ。
大丈夫、と二言三言あいさつをかわすと、小夜による怒涛の質問攻めが始まる。
「それで、その相手って、悠己さんも知ってる人なんですか? どういう人なんですか?」
「どういう人っていうか、まあクラスメイトの……そんなに気になる?」
「え? あ、いや気になるっていうか、ま、まぁ別にどうでもいいんですけどね!」
さんざん受け答えさせられたあと、結局最後はそれ。明らかに気になってしょうがないという口ぶりだ。
一応簡単に経緯は説明したが、ちゃんと理解しているのかどうか。
「まあデートって言ってもそれきりだよ。すぐに振られるよきっと」
「そうですよね、そうに決まってます」
それで小夜は安堵したような様子だった。
しかしこうなると小夜とくるみも少し状況が似ているな、と思って好奇心がてら聞いてみる。
「小夜ちゃんもお兄ちゃんに彼女ができたりすると嫌?」
「え? 嫌っていうか……ムカつくじゃないですかドヤってくるから」
なるほど、とすんなり腑に落ちる。デートする、というだけでも慶太郎にさんざん騒がれたのだろう。くるみもこれぐらい単純明快ならいいのだが。
小夜は今のできっぱり切り返してやった、と言わんばかりに得意げに続ける。
「まぁどんなのを連れてくるのかっていう、怖いもの見たさ的な部分はありますね。言うなれば動物園のオリを眺めるみたいな」
「そのわりには動物の動向が気になってしょうがないみたいだけど」
「なっ……なんでそうやって意地悪言うんですか!」
こちらもツンデレというやつなのか。いやそれとも違う気もするが。
笑みを噛み殺しながら謝罪を入れると、気になっていたクリスマスパーティの準備のことを尋ねる。
「そういえばパーティの準備は大丈夫そう? 凛央にも手伝ってもらうんだって?」
「大丈夫ですよ全然。みなっちも張り切ってるんで、二人で十分かなって。あ、今度飾り付けにお家にお邪魔しますね」
瑞奈は「ゆうきくんは手助け無用」と言って詳細を話してこない。心配していたがだいぶ余裕そうだ。なんだかんだで、悠己も手伝うことになると思っていたのだが……。
「それにしても、やっぱりクリスマスが近づくと……なんかそういうのって、あるんですかね~」
受話口の向こうで、小夜のたどたどしい声がする。何か探るような口ぶりだが、意図がわからず尋ねる。
「ん? それって?」
「え? あ~えっと、あのー……。もしかして、みなっちから聞いてないですか?」
「何を?」
「いやあの、男子から告白されたって……」
気を遣ってか、小夜は言いにくそうに言葉を濁した。気にせず話して、と促す。
詳しく話を聞くと、瑞奈が少し前にクラスメイトの男子に告白を受けて断った、のだという。
「いつの間にかそんなことになってたんだ」
「クラスでもわたしと話すようになって、学園祭のときもちょっと目立ってたりして。そういうとこが見られてたんじゃないですかね?」
学園祭で絵が注目を浴びて……というのもやはりほら話ではないらしい。近くで見ていたであろう小夜が言うのだから間違いない。
「それに……なにせかわいいですからね。わたしと違って」
「小夜ちゃんもかわいいよ」
「んなっ!?」
小夜はスマホを取り落したのか、ガタゴトと異音がする。悠己は耳に当てたスマホを少し離した。
「……そんなので騙されませんよ。どこかのちょろい誰かさんとは違うんです」
「ちょろい誰かさん?」
「わたしはその……悠己さんの鈍感クソ野郎みたいなところはあんまり好きじゃないです」
「誰が鈍感クソ野郎だよ」
「なんかそれ、わざとやってないですか?」
「いやただの鈍感クソ野郎だよ」
「だからなんですかそうやって!」
ムキーっと金切り声がする。またスマホを少し耳から離す。
一度謝罪をして落ち着かせると、小夜はまたとつとつと話し始めた。
「わたしも相談されたんですけど……不安だったので、凛央さんにも意見を聞いてみたりして……」
「またこれ一緒に迷宮入りしそうなところに」
「そうなんですか? 凛央さんいかにも経験豊富そうな口ぶりでしたけど……」
凛央さん頼られていいところ見せちゃったらしい。
恋愛に関してはさっぱりだと、前に自分でカミングアウトしていたはずなのだが。
「それで、結局断ったって?」
「はい。初めてのことでパニックになっただけで、そういう気はもともとないと。でも『ゆうきくんにも相談してみる』って言ってたはずなんですが……」
言われてみると少し前だったか、瑞奈が妙な素振りを見せたときが……思い当たるフシがあるような、ないような。しかしそれも確証はない。ただの思い違いかもしれない。
「俺じゃ頼りにならないと思ったんじゃない。実際、俺がアドバイスできることなんてないしね」
「そんなことないですよ、きっと恥ずかしいだけだと思います。わたしだって兄になんて絶対相談しないと思いますし」
「とか言いながら結局しそう」
「だからしませんってば!」
とはいえ仮に瑞奈に相談されたとして、悠己の中にも明確な答えはないのだ。凛央のことだって悪しざまに言えない。
会話の中でとっさに口をついて出たが、まさにそのとおりだと思った。
もう妹に対し、手本となることも、道を指し示すようなこともできない。けれどそれは今に始まったことではなく、ずっとそうだったのかもしれない。
結局瑞奈を変えたのは、唯李や凛央、そして小夜が……。
「……あの、悠己さん? どうかしました?」
「とにかく俺、小夜ちゃんには感謝してるから。これからも瑞奈と仲良くしてあげてね」
「はい」といい返事が聞けて、通話を終える。
スマホを置いて、耳を澄ましてみる。もう瑞奈の笑い声は聞こえない。いい加減に寝たか。
こちらも寝る前に一度トイレに行こうと、ベッドから降りる。けれど部屋を出たところで、悠己は立ち止まった。足はトイレとは逆のほうへ向かっていた。
奥にある和室の敷居をまたぐ。寝室から漏れる明かりを頼りに、仏壇の前に膝をつく。
最近の瑞奈は、ほとんどこの部屋には立ち入らなくなった。仏壇と向き合う姿も、見かけることはない。
過去のことは思い出したくない、忘れたいというのなら、それでもいい。どちらが正解で、どちらが不正解なのかも、もうわからない。瑞奈の決断に、とやかく言うつもりはない。
父も母のこと、今どう思っているのか……何を考えているのか、わからない。そのことにはもう、触れようとしない。だから悠己も触れない。それだけ。
ならばせめて自分は……自分だけでも続けよう。
薄闇の中に、母の写真がうっすらと浮かぶ。いずまいを正して、目を閉じる。
――お父さんをサポートしてあげて。瑞奈には優しくね、お兄ちゃん。
頭の中で、声を聞いていた。母の残した言葉。
悠己は、いつものように答える。
(大丈夫だよ。ちゃんと、やってるから……)
三章のけつに鼻ビーーームしました