ラブコメ殴り合い
今度の唯李は安定択を取ることにしたようだ。レシーブでいきなりドライブスマッシュを打ち込んでくるようなことはせず、無難に球を繋いでくる。
それでも素人の悠己からすると、十分球は低く速い。やがて調子が戻ってきたのか、さらに唯李の球筋が安定してきて、鋭さが増してくる。
こちらはなんとか球に触るのが手一杯で、こうなると本当に手も足も出ない。サーブもまともに返すことができず、悠己はその後一点も取ることができなかった。
「いえ~いうぇ~~い! 唯李にゃん完全・勝利!」
唯李は両手を広げて勝利の舞をしながら近づいてくると、「ねえねえ今どんな気持ち~?」とばかりに顔を覗き込んでくる。最後の最後まで手加減なし。
ただそれで不愉快だとか、腹立たしいとか、そんな気持ちにはまったくならなかった。
むしろ唯李の意外な特技にすっかり舌を巻いてしまい、つい感嘆の声が漏れる。
「すごい上手でびっくりしたよ。本当だったんだ」
「だから嘘じゃないって言ったでしょ~?」
「ごめんごめん。いやでも、ほんとすごいよ」
まっすぐに唯李の目を見て、素直にそう褒める。
もう好きなだけ舞い上がってくれ、と思ったが、意外にも唯李はおとなしくなって、しおらしい態度になる。
「どうしたの? もっとドヤりなよ」
「いやなんか、ガチで褒められると恥ずかしいっていうか……」
自分で言ってドツボにハマったのか、唯李は視線をそらしてうつむき、急に顔を赤らめだす。そういう反応をされると、こちらも気まずいは気まずい。
けれども唯李の実力が本物、ということになると、少し気になることがある。
「でもうまいのになんでやめちゃったの? 卓球」
「え? それはさっきも言ったじゃん。なんか部活の雰囲気が違かったからって」
「ああ、それで卓球嫌いになっちゃったみたいな?」
「いや嫌いじゃないし、今も好きだけど?」
唯李のあっけらかんとした表情を見るに、決定的な事件か何かがあった、というわけではないらしい。
だけどそんなふわっとした理由でやめた、というのが、悠己にはわからなかった。
「それって……後悔してないの?」
「後悔? まあちょっと残念かなって思うけど、そんな後悔ってほどのものでは……どうしたの急に?」
まるで悠己がおかしなことを言っている。そんな口調だった。
けれども言われて自分でもそう思った。何をこんな、しつこく食い下がっているのか。
「ごめん、なんかしつこく聞いて」
「あたしの中学は部活強制みたいなもんだったけど、高校はそうじゃないし、やっぱり一緒にやる人って重要じゃん? 別に楽しいことなんて他に見つければいいし。実はあたし、マンガ研究会気になってるんだけど、今から入るのちょっとな~って」
唯李は言いながら、ラケットの上でボールを転がしてみせる。悠己の謝罪も、何もかも気にしていない様子だった。唯李の言葉に対して、二の句が継げずにいると、
「……あ!」
唯李があさっての方角を見ながら、驚いた声を上げてその場にしゃがみこんだ。
かがんだ姿勢のまま、卓球台を離れて近くのゲーム機筐体の陰に移動し、悠己を手招きする。
わけもわからず悠己もそれにならい、唯李のそばにしゃがみこむ。
唯李が無言で指をさすその先には、どこか見覚えのある女性が二人。エアホッケー台を挟んで対峙していた。
「ていうか抜け駆けじゃない? 一人で勝手に翼の家に行くとか」
「そっちこそ停戦協定破ったでしょ? 翼が大学に合格するまで待つって」
二人で何事か言い争いをしている。
物陰から様子をうかがっていた唯李が、やや興奮した面持ちでこちらを振り返る。
「やっぱりマユちゃんとミカちゃん! やべえ修羅場ってるよ!」
もはやどっちが誰なのか名前が合ってるのかすらわからないが、あの二人で間違いない。偶然にも鉢合わせしたらしい。
ゲームスタートの派手な効果音がしたあと、カキンカキンとパックを打ち合う音が聞こえだした。二人がエアホッケーを始めたようだ。
「幼馴染は幼馴染でも、私のほうが出会いが早かったのよ? 保育園で同じ桃組だったし!」
「なによそれ、私とほとんど変わらないでしょ? だいたい早いとか遅いとかそういう問題かしら?」
わりとどうでもよさげなところで争っている。しかし二人とも幼馴染とかいう話は初耳である。
やがて声がしなくなるかわりに、パックを打ち合う音が激しくなっていく。どちらも譲る気配はなく、ときおりガチャン! とけたたましい音が響いて得点が決まる。
「……なんか怖いんですけど。音が」
唯李が苦笑いをしながら体をすくめる。
唐突に壮絶なバトルが始まってしまったが、肝心の翼の姿は見当たらない。ガキンガキンと激しい打ち合いは続いていたが、しばらくして音は止んだ。
「……何? 終わり? 時間切れ?」
「ちっ……同点ね」
「じゃあ次は遊園地で、いい加減決着つけましょうか」
「ふん、望むところよ」
その捨て台詞のようなものを最後に、二人の気配が消えた。
完全に姿が見えなくなったのを確認すると、「いやー怖い怖い」と唯李と一緒に物陰から這い出ていく。唯李はバトルを目の当たりにして、だいぶビビっている様子。
こちらもそろそろ撤収しようかと、ラケットとボールを片付けようとすると、
「わっ」
「ひぃっ!?」
隣で唯李が悲鳴を上げる。
何事かと振り返ると、背後から脅かしてきたのは翼だった。またパシられていたのか、手にペットボトルを三つ抱えている。
唯李はうろたえながらも、笑顔を作ってごまかしていく。
「あ、あら~翼さん偶然ですわね~」
「二人とも、さっきもボウリング場にいたでしょ? もうだいぶ前から気づいてたよ、うるさいのがついてきてるなって」
まさかの尾行丸バレ。たしかにあれだけぎゃあぎゃあ騒いでいたら、気づかれていても何らおかしくはない。
「何? どういうつもりのなの? 二人して……」
翼がじろりと悠己たちに視線を送ってくる。
挙動不審になった唯李が、「どうする……?」と目配せをしてくるので、悠己は翼に向かって答える。
「本当に翼さんがハーレム状態なのかと、あの二人がまともな子かどうか確かめようとしてたんです。唯李もくるみに頼まれてました」
「また全部バラしちゃったよ。あんた最高だよ、もうかなわんわ」
呆れ返った表情の唯李。ここはラブコメっぽくわちゃわちゃして欲しかったのか。
あの二人がまともかどうかはさておき、彼女たちが翼を取り合っている、というのは今ので確定した。
「じゃあ謝ってもらいましょうか、勘違い鈍感野郎は僕の方でしたって」
「な、何をバカな。何を根拠そんな……」
「さっきも翼さんをめぐって二人がエアホッケーで殴り合ってましたよ? この目で見ましたので」
「な、殴り合い……? またそうやってふざけて……二人して僕をからかおうとしているな! 僕をいじるのは別に構わないけど、そういう冗談はよくないよ!」
「翼さんをいじるのはいいんだ」
「あれだけ言ったのに成戸くんもくるみを放ったらかしで遊んでるなんて、いい加減鈍感がすぎるよ!」
「よし球なしでエアホッケーやるか」
「やめろやめろ凶器デスマッチやめろ」と唯李に止められる。
唯李は仲裁をするように間に入ってくると、珍しく理性を見せていく。
「まあまあ、ここは似た者同士ということで二人とも落ち着いて……」
「だいたい今日だって唯李ちゃんがいるから、なんかおかしなことになってると思うんだ僕は!」
「誰がラブコメに邪魔な不純物だよ」
かと思えばすぐキレた。
しかし翼も翼で、人をイラつかせる何かを持っているのは間違いない。
こいつもうやっちまうか、と唯李と二人でアイコンタクトをする。珍しく意見が合った。
翼は分が悪いとでも思ったのか、後ずさりをすると「もう追ってこないでくれよ!」と逃げるように去っていった。
「なんで捨て台詞であたしがディスられるわけ?」
「やっぱあの兄妹ちょっと似てるかもね」
「ヤベーとこ似てるね」
先ほど逃げていったくるみと、翼の後ろ姿がどこかダブる。
しかしこれだけ言えば、どこかのタイミングで翼もいい加減気づくだろう。そう願って今回は見逃すことにした。
目と目で通じ合う二人つまりラブコメ