ラブコメ尾行
「どうする? 俺たちも帰る?」
その場に残された悠己は、同じように残された唯李に尋ねる。
もうこうなったら本日は終了、かと思ったが、翼たちの背中を睨んでいた唯李は、当然のように首を振った。
「いや帰りませんよ? むしろこっからが本番でしょ? こうなったら尾行ですよ尾行」
「え? なんで?」
「ニセ彼氏うんぬんはもういいとして、あたしは一応くるみんからミッションを受けてるわけだからさ。あの二人が大丈夫な相手なのか女子目線で見てって」
「ああ、それ本当に引き受けるつもりだったんだ」
「まぁくるみんには一応借りみたいなものもあるからね」
そう言って唯李は三人のあとをつけるように、同じ方角へ歩いていく。
なるほどニセ彼氏問題は一応落ち着いたが、そっちはまだ解決していないわけだ。
それにあの二人が翼に好意を持っていて取り合いをしている、というのもまだはっきりしていない。
翼の言うとおり、もしかしたらただのパシリにされている可能性もある。
だけどそんなことは正直どうだってよかった。尾行だなんだというのもバカバカしいというのが本音。それでも口には出さなかった。
やっぱりこのまま帰るのはつまらない。そんなことを思いながら、悠己は唯李の隣を歩いていた。
『くるみのこと、あとは任せたよ成戸くん。ここが腕の見せ所だよ』
翼から謎のラインが来た。
この男はこの期に及んで、まだ何か勘違いをしているらしい。
「そもそもこの前ニセ彼氏だってはっきり言ったのに、食い下がってくるのがよくわからないんだけど」
「だから、翼さんはくるみんが本当は悠己くんを好きだと勘違いしてて、くっつけてあげようとしてるんでしょ? 悠己くんなんか気に入られたんじゃない?」
「ふ~ん……? さすがラブコメの神」
「でしょ? ていうかやっぱラブコメ向いてないね君」
唯李は得意げにふんぞり返るが、それでもいまいち釈然としない。こんな隙あらば煽ってくるやつが、本当に妹の彼氏にでもなったら困ると思うのだが。
「もうなんでも聞いてもらっていいよ? このラブコメの神に」
「なんでラブコメの神なのに本人はラブコメっぽくならないんですか?」
「それはわからぬ。唯一それだけはわからぬ」
神にも答えられないことがあるらしい。
『そっちこそ謝るなら今のうちですよ?』と先ほどの会話の続きを、翼にラインでやり返す。
「しかしあの翼さんの勘違い具合も相当なもんだよね」
「それ同族嫌悪ってやつじゃん? 人のこと言えないでしょ」
「いや一緒にしないでもらいたいねあれと」
「一緒でしょ、きっと図鑑とかでも同じ科に分類されてるよ、ざんねんないきものってね」
「うるさいばーか」
「お? なんだ? やんのか?」
唯李がこちらを見上げて思いのほかキレてきたので、落ち着かせてなだめる。
今日は薄く化粧でもしているのか、いつもより肌が白くきれいに見える。こころなしか目元もぱっちり。
それが今にも掴みかかってきそうな勢いなので、つい吹き出してしまう。
「何を笑ってるわけ?」
「いやなんか、面白いなって」
「ん? ああ気づいた? 今あたしに笑いとラブコメの神が降りてきてるのに」
「どこに落ちてる?」
「そのまま地面に激突しちゃったよ」
そんなどうでもいい話をしているうちに、翼たちの姿が人波に飲まれそうになる。
唯李は「まずい見失いそう」と言って早足になると、軽く腰をかがめて首をすくめてみせた。
「クックック……あとをつけられているとは夢にも思うまい。ねえやばくない? 今あたしたちもかなりラブコメしてない?」
「どのへんが?」
「だって尾行してるんだよ尾行。なんかウケるんだけど」
確かに人を尾行する、というシチュエーションは実際はあまりないだろう。
それがラブコメっぽいということらしいが、ラブコメ神のくせにどこかバカにするような態度はどうかと。
駅まで戻ってきた翼一行は、駅に直結した大型ショッピングモールへと入っていく。
中はいくつかの階層に分かれていて、吹き抜けの天井に湾曲した通路と、小洒落た作りをしている。
翼たちはときおり店先で立ち止まっては軽く中を覗いて、を繰り返す。
特に何か買うという気配もなく、ただブラブラと冷やかしのようだ。
一方こちらは、そのいくつか手前の店で服を見るフリをしながら、三人の様子をうかがう。
「あたしの見たところ、ミカちゃんが優勢かな。あの髪長いほう」
「あれ? 髪短いほうがミキちゃんじゃ?」
「え? そっちはマキちゃんじゃなかった? あ、違うマキはうちのお姉ちゃんだ」
お互い顔と名前が一致しない。
やがて三人が何事か盛り上がりだすと、唯李は軽く眉間にシワを寄せる。
「チッ……キャピキャピしてんなおい」
「なんで舌打ちしてんの」
「ああいうの見てるとぶち壊したくなるよね。背後からステルスキルしたろか」
「ラブコメの神じゃなかったの?」
いつの間にかラブコメ破壊神にクラスチェンジしている。早くも当初の目的を忘れてそう。
唯李は無言で悠己の顔を見返してくると、わざとらしくため息を吐いた。
「それにひきかえこっちは……もうちょっとラブコメっぽくできないもんですかねぇ」
「いや俺にラブコメやれとかさんざん言ってくるけど、唯李のほうこそやる気がないんじゃなくて?」
「は~? あたしにダメ出しですか~? 舐めてるでしょあたしのラブコメ力を。ラブコメぢからを」
「ラブコメだったらもうちょっとかわいくしたら? そんなイキり散らしてるヒロインいないでしょ」
「たしかに!」
「じゃあイキりツッコミ禁止ね」
「なんだよイキリツッコミってどれだよ。じゃあ悠己くんもボケ禁止ね? そのせいで突っ込まざるを得なくなってるんだから」
「えっ……」
「なにその世界が終わりそうな顔。あ~わかった、ほんとは恥ずかしくてごまかすためにそうやってボケちゃうんでしょ? あらあらかわいいでちゅね〜」
「そうそうかわいいでしょ~?」
「あんまりかわいくねえな主にその真顔が」
唯李が人の顔を指さしてくるので、指さしはやめなさいと言って手でのける。また指さしてくる。三回ほど繰り返したあと、
「じゃあ唯李がラブコメっぽいのやってみてよ、かわいいやつ。お手本」
「お手本~? ったくしょうがねえな~」
すでにラブコメヒロインの口調ではない。唯李はダルそうな顔から一転、口角をぐっと持ち上げると、目尻に向かって横ピースを当ててみせた。
「ラブコメ唯李にゃんだぞ☆ てへりん」
「かわいい」
「え……なにその一周回って普通の反応。ていうか2.5周ぐらいしてるでしょそれ」
「3.14周ぐらいかな」
「円周率かよ。でも見たでしょ? ラブコメ唯李にゃんもやればできんだよ」
「ラブコメ唯李にゃんか……ラブコメ……ていうかラブコメって何?」
「ゲシュタルト崩壊しちゃったよ」
いよいよ頭が痛くなってくると、唯李が「あっ、やばいどこ行った? 今中入ってった?」と騒ぎ出す。翼たちの姿が見当たらない。
ついさっきまで視界にいたはずなのだが、このようにガバガバ尾行のためすぐ見失いそうになる。
「きっとあそこのお店の中入ってったと思うんだよね。でもこれ今入ったら絶対鉢合わせしそう」
唯李がおそるおそる店の前から覗き込むが、奥は結構広くなっているのか翼たちは見当たらないようだ。
付近をウロウロと、ステルスゲームなら明らかに不審がられるこの行動。
結局近くのエスカレーター周りにあるベンチで、出てくるのを待つことにする。
唯李は隣に腰掛けると、店の軒先を眺めながら、誰にともなく言う。
「にしても翼さんハーレムですなぁ。今ごろキャッキャキャッキャしてるんだろうなぁ」
「女の人二人とも美人だよね」
「美人? あー……まあまあ、そうね」
「何?」
「いや悠己くん的にああいうのが美人っていうんだ。なんかもっと子供っぽいのがタイプなのかと思って」
「なんで?」
いえいえ何でも。と唯李はまた首を振る。
何か誤解を受けているようなので、
「俺好きなタイプとかそういうの別にないっていうか、よくわからない」
「へ、へえ~? じゃあ、彼女にするならこういう子がいいとか、そういうのも?」
「彼氏彼女、なんていうのはただの言葉。彼氏だからこうしなければならない彼女だからこうであるべき、とかそういうのは無い」
「無い。って言われたよ。超めんどくさい感じ出してきたね」
「ましてや未成年同士の口約束。そんなものに何の強制力も制約もない」
そう言い切ると、唯李は少し慌てたように顔を覗き込んできた。
「ど、どうしたのかな急にちょっと難しそうな……」
「ってこの前読んだ本の主人公が言ってた」
困惑の表情を浮かべていた唯李は、ぐるっと目を回してみせたあと、呆れ気味に息を吐いた。
「まったく急に何かと思ったら……」
「だから要するに肩肘張らずに、自然体で付き合えたらいいんじゃないのっていうことなんだと思うけど」
「あぁ、まぁね。それだったらわかるかも」
「けどそれもただの理想ですよね。だからそうやって言葉で縛ったほうが楽だって」
「……ってそれも誰かが言ってたって?」
「頭良さげでしょ」
微笑を向けると、唯李はやや不満そうな顔だ。バカにしてる? とでも言わんばかり。
「正直よくわからないんだよね。誰かの受け売りの受け売りを、それをさも自分が考えたかのように言って、それを誰かに肯定なりしてもらって、じゃあこれは間違ってないんだ、この場合こう言っておけば大丈夫だって、感心してもらえるんだって。それって本当の自分の意見ってあるのかな」
「そ、それは~う~ん……」
「それは俺に自分の意思っていうか……考えがないだけなのかもしれないけど」
そこまで言って、言葉に詰まる。自分でもいきなり何を言ってるんだと思った。
けれども隣で唯李はうれしそうに笑った。
「珍しく語るねぇ~。どうかした? 頭うった? 恐ろしく早い手刀食らった? まあパクったギャグがウケてもなんか負けた感じはするよね」
「負けっぱなしだね」
「ちょっと黙ろうか」
唯李は一度ドスをきかせたあと、前を向く。軽くうつむいた先で、組んだ指先がいじいじと動いている。
「あたしバカだからさ、なんて言ったらいいかわかんないんだけど……」
「うん」
「否定しろよ。……でもなんか、うれしいかも」
「何が?」
「悠己くんが、そうやって話してくれるの」
せわしなく動いていた指が止まった。唯李はうつむいたまま、微動だにしなくなった。
じっとその横顔を見ていると、頬がみるみるうちに赤く染まりだした。
「あ、あーっ、なんか今の超ラブコメっぽくね!? やばくね!? エグいエグい!」
唯李は勢いよく顔を上げると、またも人の顔を指さして騒ぎ出した。非常にやかましい。
ごまかすのにふざけるのは自分もじゃん。
そう口をついて出そうになったが、悪い気はしなかった。それどころか、自然と笑みがこぼれそうになった。
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