料理上手
夕飯の食卓。
テーブルの上では、丸皿に盛られたオムライスと、大きめのマグカップに注がれたコンソメスープが湯気を立てている。
かたわらで不安げな瞳がじっと見守る中、悠己はスプーンで卵と一緒にライスをすくうと、口に運んだ。
「すごい、普通においしい」
そう言うなり、瑞奈はぱっと表情を輝かせた。
テーブルに両手をついて、身を乗り出してくる。
「でしょお~~? ねえどうする? シェフ呼んじゃう? シェフを呼べする?」
「それはいいかな」
呼ぶまでもなくシェフは目の前でドヤ顔を押し付けてきている。
瑞奈はこの前の休日に、わざわざ小夜の家に出向いていって、一緒にお料理勉強会をしたらしい。
その修行の成果を見せてやる、ということで久しぶりに自ら腕をふるった。
「ネットでおすすめのレシピがあって、それをさよにも教えてもらいながら練習したの」
「へえ、小夜ちゃんにアドバイスしてもらったんだ」
「うん、『隠し味とかいいから書いてあるとおりにやれ』って」
「それキレられてるじゃん」
「ちょっとね」
この感じではちょっとどころではなさそうだ。
ただ今日の出来具合に関しては、ほぼ文句をつけるところはない。色味のいい卵の中はふわふわで、鶏肉と玉ねぎ入りチキンライスの炒め具合も完璧。
「ゆいちゃんのとどっちがおいしい?」
「ん~難しいとこだねそれは」
「や~愛の力には勝てねえか~たはー」
瑞奈は天を仰ぎなら、目頭を手で押さえてみせる。そういうことにしたいらしい。
はっきり味を覚えているわけでもないので断言はできないが、お世辞抜きに甲乙つけがたいレベルだ。
「でもさ、ゆいちゃんが料理上手って設定ミスだよね」
「いや設定とかじゃないから」
別にミスではない。料理がうまい分には誰も困らないはず。
「気持ちはわかるけどさ、瑞奈も食べたでしょ? 唯李の料理」
「うーむ、しかし料理が追いついたとなると……みなちゃんがゆいちゃんの完全上位互換になってしまったか……」
「いやまだ勝ってない部分あるよいっぱい」
唯李もずいぶん見くびられたものだ。
仮に瑞奈の能力値を図にした場合、とてもいびつな形になるので単純な比較も難しい。
「それに唯李も成長を続けてるみたいだから」
「へえ、どんなふうに?」
「学園祭のときもクラス全員の前で滑り倒して平気な顔してるから。さらにねじ込んだから」
「す、すげえ……」
瑞奈が恐れをなした表情で息を呑む。そういうのは最も苦手とするところだろう。
それから一緒にやや遅めの夕食を済ませる。瑞奈はご機嫌でオムライスを頬張っては、一口ごとに自画自賛の嵐。
ただ一つ苦言を呈するなら、準備から提供まで少し時間がかかりすぎなところか。それも数をこなすことで解消されていくだろうが。
「それにしてもパーティ楽しみだなぁ」
お互い食事が終わると、テレビを見ていた瑞奈が誰にともなく言う。画面にはちょうどクリスマスっぽいCMが流れていた。
クリスマスパーティは唯李たちも交えて一緒に、という話に落ち着いている。ここ成戸宅にみんな大集合する予定。
主催はあくまで瑞奈小夜だと言って手伝いは不要らしいが、少しばかり不安が残る。
「ほんとに大丈夫そう? 準備は」
「大丈夫、さよと一緒にやるし。あとりおにもちょっと手伝ってもらおうかなって」
「じゃあ大丈夫か」
この安心感。一人で全部やってくれそう。
瑞奈は急にへりくだるように体を縮こまらせると、指で輪っかを作ってみせて、
「ゆうきくんはコレをちょっと出してくれればいいので。コレをね」
「何? お金?」
「ご寄付をね」
パーティに必要、というのならもちろんお金は出す。
生活費は毎月十分父からもらってはいるが、何かあったとき用になるべく節制してはいる。
つまりこういうときのためで、追加で無心をしていちいち父の手をわずらわせるようなことはしない。だから普段はあまり自分のためにお金を使う気にはなれない。
「そうだ、今年はケーキどうする?」
ふと思い出して尋ねる。
とたんに瑞奈は難しそうな顔をして、唸りだした。
「それがね~ケーキはねぇ……。最初は作ろうと思ってたんだけど、ゆいちゃんの友達が、すごいおすすめのケーキ屋さんがあるって言ってるらしくて。どうしようかなぁって」
悩みどころのようだ。それだけ我を通してくるのはおそらく萌絵だろう。
ただこちらとは話が噛み合っていない。悠己が言っているのは、みんなで食べるクリスマスケーキのことではなく、例年のケーキはどうするか、ということだ。
(……今年は、誕生日ケーキはなしか)
瑞奈の関心は、もっぱらクリスマスケーキのこと。
とはいえクリスマスに母の誕生日ケーキというのも、そもそもがおかしな話だ。
母の死後もケーキを買い続けたのは悠己だ。そんなのは自分のエゴでしかないのかもしれない。
瑞奈はその件で誰かにラインでもするのか、スマホを取り出して操作し始めた。
そのかたわら、わざとらしくちらりと横目を流してきて、
「そうそう、ゆうきくんはそれとは別にゆいちゃんとデートするんだろうなぁ~」
まだ言っている。みんなでパーティするからデートはしない、と言っても納得しないのだ。
いっそのこと、本当にデートをするという選択肢がなくもない。しかしこの間の席替えの件といい、最近明らかに思慮に欠けていると思う。
自分はいったい何をして……何をどうしたいのか。
「瑞奈、お風呂は?」
「入る!」
瑞奈はスマホを置いて、ガタっと椅子を立ち上がる。
先に風呂を譲ってきたのはこの間のあれきりで、あの妙な態度もその後見られない。瑞奈は意気揚々と風呂場に向かう。
しかしその後ろ姿に違和感を覚えて、悠己は瑞奈を呼び止めていた。
「瑞奈、そういえばその髪どうしたの?」
「どうしたのって?」
「いや最近縛ってないなって思って」
高めの位置で、二箇所に縛っていた髪。
いつもお風呂に入るタイミングで解いて、朝は必ず縛ってから学校へ行っていた。
何も今に気づいたことではない。瑞奈が髪を縛らなくなったのは、もう何週間か前から……たしか瑞奈の学園祭が終わった頃からだ。
前々から聞こうと思っていたが、そのうち元に戻るだろうと思って聞かずにいた。だが違和感にも限界が来た。
「これ、もう縛るのやめたの」
あっけらかんと言う瑞奈に向かって、聞き返す。
「ああ、髪伸びてきたから? また美容室行きたくないって?」
毎回美容室に行くのが苦行らしく、それで自分で切って失敗して騒ぐ、までがセット。
そうは言っても子供の頃からの馴染みの店で、行けば黙っててもやってもらえる。ただ毎回同じ髪型になって帰ってくるのはご愛嬌。
それこそ昔は美容室に行きたがらなくて、家で母に髪を切ってもらったりしていた。
いつだったか、そのことで母と騒いでいたのを思い出す。
「お母さんの切り方ダサい! ち●まる子みたくなってる!」
「嫌なら美容室行きましょうかさあ」
「イヤ! あそこのおばちゃん臭いんだもん!」
「そういう理由? そしたら~……これをこうして縛ったらいいのよ。ほぉらかわいいじゃない~」
「わぁ……」
「どう? お気に召しましたかお姫様? もう一生縛っといたらいいのようるさいから」
「わかった! 一生これでいる!」
「まったく世話の焼ける……。悠己はバリカンで刈っとけばいいかしらね。散髪代もバカにならないし」
「いやあの」
「この前失敗してから緊張で手が震えるようになっちゃって」
「床屋行かせて」
「ツーブロックならぬワンブロックよかっこいいでしょ」
「それただの丸刈りじゃ?」
記憶の中で、母は楽しそうに笑っていた。
なにか問題が起きても、うまく冗談めかして、解決してみせて、最後には笑っている。いつだってそうだった。
母がそのとき作った瑞奈の髪型は、とてもよく似合っていた。瑞奈だってそれを気に入って、ずっとそうしていたはずなのに。
「美容室行きたくないとか、別にそういうんじゃないよ」
「じゃあなんで?」
「なんでって別に……子供っぽいし」
瑞奈は髪を手で撫でながら、口をとがらせる。
もちろん母だって、冗談で言っていたのはわかっている。
それでもこんな唐突に、そのことがなんでもなかったかのように済ませるのが、どうしても引っかかった。
悠己が黙り込んでいると、瑞奈は怪訝そうな顔で覗き込んでくる。
「……ゆうきくん、どうかした?」
「いや……」
問いには答えずに、立ち上がる。
早く風呂に入るよう瑞奈を促すと、悠己は洗い物を済ませるべくキッチンへ向かった。
渾身の設定ミス