お返し
その翌日は朝から太陽が雲間から顔を出して、久しぶりの晴れの日。
悠己は少し早く学校につくと、自分の席で窓から差し込む朝日を浴びて光合成しながらぼーっとしていた。
こうしてセロトニンドバドバで頭ハッピー状態になると、終わってない予習とか宿題とか、「生きてるかおい、おい」とほっぺたをペチペチしてくる慶太郎の存在とか、いろいろどうでもよくなってくる。
これがあるから窓際はいい。実にいい。
悠己が一人幸福感に酔いしれていると、ガタガタっと音がして隣の席がうるさくなる。
「おはよー。ふふ、今どこ見てた?」
唯李が元気いっぱいの笑顔を向けてきた。
おはよう、と返すと唯李は頷いて席に座って、
「傘立てに傘入れといたから。今日すごい晴れてるのに持って来るのなんか恥ずかしかったよもう」
「あ、そっか。ごめんそこまで考えてなかった」
「いやまあ、別にいいんだけどさ……」
唯李は出鼻をくじかれたのか、少しぎこちない口ぶりになる。
と言っても悠己も明日からの雨に備えて、帰りに傘を持ち帰らないといけない。
昨日はほとんど考えなしの行動だったが、あの状況で傘を貸してしまうと後々結構めんどくさいことに気づいた。
(まあ、なんでもいいか)
しかしすぐにそう気を取り直す。
隣で一段落ついた唯李が、おもむろにカバンからタッパーを取り出して「はいこれ」と差し出してきた。
手に取ると思ったより軽い。
「なに?」
「昨日のお礼」
唯李はそれだけ言ってにこにこしているので、少しだけ蓋を開けて中を見てみる。
丸い小麦色をした物体がぎっしり詰まっていた。
「これは……クッキー?」
「そ。唯李ちゃんの手作りクッキーでーす。どう、うれしーい?」
ここぞとお得意の首かしげスマイルをしてくる唯李。
昨日は結局途中でラインがうやむやになってしまったので、これは全くの予想外だった。
お弁当でこそなかったが、手作りクッキーなんてそれこそ何年ぶりかと。
すぐに瑞奈が喜ぶ姿が目に浮かぶと、自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう、すごいうれしい」
「あ……は、はい。ど、どういたしまして」
「これ妹にもあげていいかな?」
やや面食らっていた様子の唯李だったが、そう尋ねるとにっこり微笑んで、
「悠己くんって、妹さん思いなんだね」
「そうかな。別に普通だと思うけど」
「そう? でもなんかそういうの、すごくイイなーって、思う、けど……」
「唯李は兄弟いるの?」
そう聞き返すといつぞやのようにピタリと唯李の動きが止まった。
ちょいちょい石化するなあと思って見ていると、今回は割とすぐ解けたようで、
「お姉ちゃんがいるけど……しかし本当に呼び捨てとはね……」
「あぁ、ごめん。でもさんとかちゃんとかつけるのめんどくさくない?」
「……そういう理由?」
「もう知らない相手でもないし……呼び捨てが嫌って言うならつけるけど」
「べ、別に? あたしも気にしないし……呼び捨てにされたから何? って思うし」
いまさっき思いっきり突っかかってきたのだが、そこは指摘しないほうがいいのだろうか。
「でも今日は赤くならないね?」
「ふっ、一度受けた技は二度と効かなくなる特性を持っているのですよ。なので同じ技は通用せん。唯李マークツー」
「なんかの魔物でそんなのいたよね」
「魔物言うなし」
「ていうか赤くなってねーし」と言うと、唯李はぷいっとそっぽを向いてしまう。
確かに顔は赤くなってはいないようだったが、今度は心なしか耳が赤くなっていた。
「なにこれ! すげー! クッキー!? 作ったの!? ありがとうゆきくん!」
帰宅後、パンツにTシャツ一枚の半裸でソファに横たわっていた瑞奈にクッキーを渡すと、ぐでっとしていた瑞奈はタッパーを掲げて小躍りを始める。
怪しい儀式でも始まりそうな謎の動きだ。
「よかったね。まぁ俺が作ったわけじゃないけど」
「じゃあ誰が作ったの?」
「隣の席の人」
「うおっ隣の人すごい! いいなぁ。瑞奈も今度隣の人に話しかけてみよっかな~」
「おっ、それはいい心がけだね」
「でもいっつも無視してるからなぁ~」
「おい」
瑞奈はてへ、と舌を出して可愛く首を傾げてみせるが、てへ、で済ませられる案件ではない。冗談抜きに。
「なにこれうっま! うっま!」
瑞奈は早速クッキーを取り出してばりぼりと頬張りだす。
キラキラと目を輝かせながらかじった部分を見せつけてきて、
「うっま! うっま! 見てこれチョコ入ってる!」
「わかったよ、静かに食べなよ」
「ゆきくんも遠慮しないで、食べなよほら!」
どうやら所有権はすでに完全に瑞奈に移ったらしい。
悠己は瑞奈にクッキーを分けてもらいながら、一緒になってクッキーを食す。
「あー、なんか濃ゆいね」
「でしょ? でしょ?」
味に深みがあるというかなんというか。
市販のものとは一味違う。
「まろやかでいていしつこくない」
「エレガントで上品な味わい」
「十年に一度の一品」
「豊潤かつ濃厚」
リポート下手くそ二人がブツブツ言いながら、次々にタッパーからクッキーを手にとっていくと、あっという間に腹の中に収まってしまう。
そしてタッパーに残った小さいかけらも残さず回収し終わった瑞奈が、ぱっと悠己の顔を振り返る。
「感動した! 瑞奈もクッキー作りたい!」
案の定始まってしまった。
「いいよ瑞奈は、あとが大変だから」
「え~? でもお返ししたいもん。そしたら次は何が……ぐへへ」
「やっぱりお返しのお返しを狙ってるな」
「これにて永久機関の完成」
「それ意味わかってる? そもそもこれがお返しなんだけどね」
瑞奈は「え~」と渋っていたが、急にたたっとリビングを出ていくと、自分の部屋からピンクのメモ帳とペンセットを持ってきて、テーブルの上で何やら書き始める。
そしてしばらくすると終わったのか、一枚切り取ったメモを悠己に手渡してくる。
『瑞奈です。クッキーすごーくすごくおいしかったです。ひかえめに言って神。ゴッド。YEAH! GOOOO! YAHOOOOO!!』
カラフルに縁取られた文字。
さらに次はこれ作って、と要求せんばかりに、隅っこに小さくケーキやドーナツの絵が書いてある。
「何を検索するんだこれは」
「みょうにち、これをお渡しくだされ。妹はいたく、満足していたと」
「何のキャラよそれ」
「かたじけない」
そしてその翌日。
忘れないうちに瑞奈のメモを朝イチで唯李に渡す。
唯李は「ふふ、かわいい~」と笑顔でしばらくそのメモを眺めていたが、やがて大事そうにクリアファイルにしまうと、
「悠己くんはクッキー食べてないの?」
「食べたよ、すごいおいしかった。唯李は料理とか上手なんだねえ」
「ま、まあね。結構小さい頃からやらされ……やってるから」
えへん、と胸を張ってみせる。
素直に「偉いなあ」と悠己が感心していると、それに気づいた唯李がまた例のにやにや顔を作って、
「あれれ~? もしかして悠己くん、家庭的な子に弱い……」
「いいなあ。俺料理はどうも苦手で……そういうのうまくできる人っていいよね。尊敬する」
「そ、そう……? なんだ……」
「そうそう」
うんうん、と頷くと、唯李は突然口元を隠すように手でぐっと抑え出した。
「どうかした?」
「ん、んっ? ち、ちょっと、あくびがね……」
それからしばらく唯李は手を離さなかった。
なんだか知らないが、よほど眠たそうだった。
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