小川っち
本日ラストは、屈指の睡眠タイムと呼ばれる古典の授業だった。
悠己も時間半ば過ぎぐらいはまではなんとか耐えていたのだが、頬杖をついてぼんやりと考え事をしているうちに、眠ってしまっていたらしい。
気づいたときには、授業は終わって放課後になっていた。姿勢がよかっただけに、周りからは窓に向かってたそがれているだけに見えなくもない。
「てか小川っちマジヤバなんですが。最近暴走気味だよねあの人」
動き出そうとした矢先、隣から声がする。見ればくるみが唯李の席にかじりついていた。悠己は知らずくるみの話に聞き耳を立てる。
「あれこれ文句言うわりに、案を出すわけでもないじゃん。なら代わりにやって? って言うとめんどいから嫌っていう。それでわかったわけ、実はみんなあんまり席替えしたくないっていう事実が」
小川の無茶振りに、律儀にもくるみはクラスメイトの意見を聞いて回ったらしい。授業の合間や昼休憩など、教室をあちこちうろちょろしている姿を見かけた。ただ忘れられているのか、悠己のところには来ていない。
ここでじっと熱い視線を送ってみるが、くるみは唯李と話すのに夢中なのかやはり気づかれない。
「まあ人は変化を恐れるというかなんというか……」
「何? 唯李席替えしたいの?」
「え? い、いやあたしは別に~……?」
聞き手側の唯李も、非常に歯切れが悪い。
朝のやりとり以降、唯李とは席替えの話題にはならなかった。向こうが避けているふうでもあるし、こちらからも振らなかった。
悠己がおとなしく教科書類をしまっていると、どこからか萌絵がやってきて二人の話に加わりだした。
「席替えならわたし唯李ちゃんの隣がいいなぁ。くるみちゃん、わたし唯李ちゃんの隣にして」
「いやどんな決め方よそれ」
「えー……じゃあやっぱ席替えしなくていっかぁ」
「こういうのがいるから嫌なのよ」
苛立ちまぎれに、くるみは唯李の頭をペンペンペンとやりだす。
「あたしの頭は木魚か!」と唯李がズレたツッコミをして二人が騒ぎ出す。それを尻目に、萌絵が悠己の視線に気づいて近寄ってきた。
腰をかがめて必要以上に顔を近づけてきては、意味深に笑いかけてくる。
「だってよく考えたらさ……唯李ちゃんの隣はゆっきーだもんねー?」
「ねー」
「ねーーー!」
「うるさい」
肩をどつかれた。暴力反対。
「もー素直じゃないんだから。どーするの?」
「いやどうするも何も……」
萌絵が手で口元を隠すようにして、耳打ちをしてくる。顔が非常に近い上に吐息がくすぐったい。
本人あまり自覚がないようだが、こういう行為をおおっぴらな場所でやるのはよろしくないように思う。
実際「なにイチャついてんだよ」とでも言いたそうな顔の唯李と目が合った。
「でなんでそこでイチャついてるわけ?」
やっぱり言われた。
「きゃ~唯李ちゃんこわ~い」とおどけながら、萌絵が教室の入り口へ逃げていくのを、唯李が立ち上がって追いかける。きゃあきゃあと楽しそうだ。
「なにあいつら小学生? あほくさ、帰ろ帰ろ」
呆れ顔で二人を見送ったくるみは自分の席に戻ると、カバンをかつぎながら隣の席の男子に声をかける。
「じゃ村田くん、村田くん職員室行くよほら。小川ちゃんのとこ」
「え、えぇっ? ぼく?」
「一応男子の意見もちゃんと聞いたってことでさ、男子代表」
「だ、代表ってそんな……」
くるみが「ほらほら早く」と引っ立てようとするが、その村田くんは引きつった笑みを浮かべるばかりだ。
「ぼ、ぼく部活いかないと……」
「は? そうやってどいつもこいつも知らん顔してさー……だからヤなのよ。席替えになったら村田くんど真ん中の一番前の席ね」
「えっ……」
哀れ村田くん。
くるみはあたりを見回して次なるターゲットを物色するが、周囲の男子は目を合わせないようにして、慌てて席を離れる。さながら狩るものと狩られるものの様相を呈してきた。
しばらくその一部始終を眺めていた悠己は、席を立ってくるみに声をかけた。
「じゃあ俺一緒に行くよ」
そう告げるが、声が小さかったのか眼中になかったのか気づかれなかった。ちょっとかっこいい場面かと思いきやかなしい。
仕方なく近づいてもう一度声をかけると、くるみは不思議そうに目をまたたかせた。
「え? 成戸くんどしたん急に? ていうかいたんだ」
「生きててごめんなさい」
「いいよいいよ全然なんでも! それじゃ行こ行こ!」
生存を許された。すぐに一緒に職員室へ向かう運びとなる。
早足に廊下を進むくるみの後をついていく。会話はなかったが階段を下ったあたりで、くるみは振り返って尋ねてきた。
「あれ、そういえば聞いてなかったっけ? 成戸くんって席替えしたい派?」
「いや俺は……」
「あ、どっちでもいい派? それ一番多いのよね~」
頭の回転が速いのかきちんと聞いてないのか、くるみは悠己が答える間もなくひとりでに話をすすめる。悠己はここで一度、改めて確認を取る。
「結局席替えはしない方向で?」
「まあ今のとこね~……小川ちゃんの出方にもよるけど。アタシも今の席で不満ないし、下手にくじ引きなんかして変な席になったらやだし。成戸くんはそれっぽい顔で『僕もそう思います』って言ってればいいから」
「僕もそう思います」
「完璧じゃん」
そんなやりとりをしながら職員室へ到着。
くるみは慣れているのか、引き戸を開けるなり勝手知ったるといった様子で、まっすぐ小川の席へと向かう。そして一人パソコンに向かっていた小川に声をかけた。
「えっと失礼します、席替えの件なんですが」
「はい、決まったんですね」
小川はノートパソコンの画面を落とすと、椅子ごとこちらに向き直って聞く姿勢になった。
先んじてくるみが背後の悠己に手を向けながら、
「女子だけじゃなくて男子の意見も集めて聞いて。一応成戸くんが男子の代表で」
そう言うと、小川は満足げに頷いた。このあたりくるみの読みはさすがだ。
しかしほんわかムードかと思いきや、小川の放つ空気が意外に重たい。それを感じ取ったのか、くるみの態度も普段よりやや固くなる。
「えっと、みんなの意見を集めたところですね、えー……別にしなくてもいい、どっちでもいい多数、という結果になりまして。今無理に席替えをする必要はないんじゃないかなって……」
「はい、それで?」
「……それで?」
「意見とは具体的には?」
「ぐ、具体的に?」
「皆で決めたことならば、先生は反対はしません。ただ理由が聞きたいんです」
小川は手で軽くメガネを押し上げると、じっとくるみを見つめる。ここにきて謎の圧力をはっきり向けてきた。くるみはややたじろぎつつも、
「それはめんどくさ……じゃなくて、席替えするとまたうるさくなるかなぁって……。すぐ実力テストもあるし気が散るかと」
「僕もそう思います」
すかさず言われたとおりに悠己もそうつけたす。ここにきて初めての発声だったためか、声が上ずって「僕もそう思います☆」寄りになってしまう。
それがツボにでも入ったのか、くるみは手で口元を隠すようにしてうつむいた。
「ふ~ん、そうですか……」
それだと弱いとでも言うのか、小川は目線を落として熟考モードに入った。悠己の合いの手には特に突っ込まれなかった。
しばらく沈黙が続くと、くるみもだんだんと困惑顔になってくる。これまでの経験から、簡単にいけると思っていたらしい。くるみは長くなると面倒だと思ったのか、
「いやまあ、ダメなら別に席替えでもいいんですけど……」
「逆にどうして席替えをするんだと思います?」
「え?」
まさかの逆質問。わずかに固まったくるみは、「ちょ、ちょっと待ってください」と言って悠己を振り返ってきて、耳打ちをする。
「うわこれめんどくさいやつじゃん……どうする?」
ここで頼ってくるあたり、本気で想定外らしい。
悠己はくるみを押しのけて一歩前に出ると、小川に面と向かって言った。
村田くんはただのモブなのでときどき思い出したりしないでください