恐怖のタコ女
昼休みに購買に向かった帰り。
唯李は萌絵とともに教室への廊下を歩く。
「こういうの憧れだったんだ~」
隣で萌絵が購入したパンを手に、顔をほころばせる。
前の学校はほぼ全員がお弁当持参で、学校でパンを販売するようなことはなかったそうだ。とはいえマンガでよくあるパンの争奪戦などは起きないし、唯李からしたら地味なものだ。
「お昼に友達とパン選んでさ、ジュース買ってさ、なんか青春って感じ」
「青春のハードル低いね」
「青春ってそのときは気づけないって誰かが言ってたよ。唯李ちゃんもあとになってじわじわ効いてくるよきっと」
「青春ってボディブローに似てるね」
寝坊したせいで弁当を作るのをやめた唯李と、パンを買って食べようと思った萌絵のタイミングが偶然重なった。萌絵はそれがうれしかったらしく、いつにもまして上機嫌。とはいえ学園祭が終わってからこのかた、ずっとこんな調子ではあるのだが。
「もう唯李ちゃんひねくれてるんだから。でも今の言い方さ、なんかゆっきーに似てるよね。ゆっきーもそうやって言いそう」
「は、はぁ? どこが?」
萌絵がおかしそうに笑う。無意識に毒されているとでも言うのか。
教室に戻るべく廊下を歩いていると、行く手からやってきた女子グループが唯李を見咎めるなり、すれ違いざまに声をかけてくる。
「こんにちはタコ月さん」
「鷹月だよ」
「おっす恐怖のタコ女」
「誰が妖怪だよ」
「よっタコ娘」
「流行るかそんなもん」
代わる代わるそんなやりとりをすると、女子たちは笑顔で手を振って去っていく。
すると横からその様子を見ていた萌絵が、
「唯李ちゃん人気者だねぇ~。すごい」
「まあね。青春ど真ん中よ」
軽く流すが内心おだやかではない。
それもこれも学園祭のときに、おかしなテンションでだいぶやらかしたせいだ。それももとをたどれば、萌絵のせいというかおかげなのだが。
しかしあれはあれで、吹っ切れてしまえば楽しくもあったのは事実である。学校行事であれだけ目立つことなんて、これまでになかったことだ。自分もやればできるのだと、変な自信がついた部分もある。
教室に到着し席につく。前も隣も空席ではあったが、萌絵はわざわざ自分の席から椅子を持ってきて、ともに購入したパンを食べ始めた。
「よっ、二人仲良しじゃん」
小柄な影がちょろちょろと席の間を縫うようにして近づいてきた。クラス委員の小牧くるみだ。くるみは唯李の手元を覗き込んで言う。
「何買ってきたの? たこ焼き弁当?」
「違うわ」
「たこ焼きパン?」
「ないわそんなもん」
くるみはケラケラと笑い飛ばすと、机の端に両肘をついてしゃがみこんだ。
そしてジャムパンを丁寧にちぎって食べている萌絵に向かって、
「タコはネタ化してるけどエモエモは一気に冷めたよねー」
「うーん……わたし、みんなに嫌われちゃったのかも」
「別にそんなことないって」
面倒なのは勘弁と口では言いながらも、くるみはその後こうやって萌絵のフォローに回っている。こうやって話しかけに来るだけでも、周りに与える印象がだいぶ違うのだ。
萌絵もなんだかんだ面倒見のいいくるみとは、もともとウマがあうのかもしれない。
「くるみちゃん、ありがとね」
「別に礼を言われる筋合いは……って気安く人の頭を撫でない」
「だってちょうどいいところにあるんだもん」
萌絵はころころと笑う。
くるみはぶんぶんと首を振って萌絵の手を振り落とすと、軽く唯李に目配せをしながら、
「まぁちょっと、一部で変な噂があるかもだけど……」
誰が言い出したのか、萌絵に怪しい疑惑が持ち上がっている。
というのは、もしかすると男子に興味がないのでは……というたぐいのものだ。
やたら唯李につきまとっていたのと、学園祭のときの一連の騒動。
この見た目と性格で特定の男子の影がない、というのもそれに拍車をかけているらしい。その噂に関しては、萌絵本人もおぼろげに気づいてはいるようだ。
「でもいいんだ~。今はそういうのよりダチと一緒にいるほうが楽しいぜぇ!」
「そうやって自分に言い聞かせるモテない男子みたいなこと言うね」
「それにもし付き合うんだったら、やっぱ藤木くんみたいな人がいいな~」
唯李の言葉にもまったく動じず、萌絵は一人能天気に笑みをこぼす。
そんな萌絵を見て、そばに近づいてきたくるみが耳打ちしてくる。
「……誰?」
「いやほら、たぶんアイドルの……」
「あぁ~……。これ結構こじらせるやつじゃん?」
小声で頷きあっていると、萌絵が思い出したように話を切り出す。
「あ、それよりさ。くるみちゃん男子に告白されて断ったって聞いたんだけど」
唐突に話題を振られたくるみが、ぶふっと吹き出した。机に手をついて身を乗り出す。
「なっ、なんで知ってんの?」
「ん? 男子から聞いた」
「だ、男子って誰?」
「誰だっけ? 園田くんかな?」
そのへんとは一応つながっているらしい。
続けて勝手に話しだした萌絵によると、その告白した男子は元エモエモ教の一人だとかなんとか。
それにしても裏でそんなことになっているとは。唯李はくるみに向かってわざとらしく目を細める。
「……ええとくるみさん? なんですかその話初耳なんですけど?」
「ま、まあメイド姿に惚れましたみたいなこと言ってたけどね。すっぱり断ってやったよ」
「うぉ~くるみんかっけ~」
「お~くるみちゃんかっくいぃ~」
二人で拍手をして盛りたてると、なぜか唯李だけ睨まれる。
しかしさほど力強さはなく、くるみの目には若干焦りの色が見られる。
「くるみちゃんのモテ期来たね~」
「ふーんメイドでねぇ……一人だけ株上げやがって汚い女だよ」
「な、なによ? 勝手にあんたらが自爆したんでしょ」
くるみの反論は非常に的確と言える。
普通は学園祭でかわいいメイドコスプレでもしようものなら、嫌でもプラス評価になるはずのところがこの有様。
唯李はひるみかけるが、効いてなさそうな萌絵がすぐ聞き返す。
「でも断ったってことは、くるみちゃんの本命って他にいるの?」
「ほ、本命? 本命っていうか別に……」
「ああ、あの学園祭のときの男の人ね」
唯李が横からつつくと、またもくるみから鋭い眼光が飛んできた。
その男の人、というのは学園祭のときに、くるみがやたらねんごろにしていたお客さんのことだ。
ちょうど萌絵は教室にいなかったので、その人のことは見ていないらしい。
「へ~! それってもしかしてくるみちゃんの彼氏?」
「は? ちっ、違うわ!」
「じゃあ誰?」
唯李も一緒にここぞとくるみに視線を集める。これだけくるみに直球で切り込めるのも、知るかぎりでは萌絵ぐらいのものか。
対するくるみは目をそらしてきゅっと口元を結ぶが、やがて観念したように息を吐いた。
「……あれは兄貴だよ、兄貴」
「へぇ、くるみちゃんってお兄ちゃんいるんだ! へ~兄貴って呼んでるんだ~。くるみちゃんっぽいね」
「ま、まあね……」
予想外の答えが返ってきた。くるみに兄がいるというのも初耳だ。
ぎこちない笑みを浮かべるくるみに、唯李は立て続けに尋ねる。
「でもあれがお兄ちゃんってなると……えっ、ブラコンの方ですか?」
「ち、違うっつ―の! そういうの言うのやめてくれる!?」
そうは言うがこの取り乱しぐあいは逆に怪しい。いや普通に怪しい。
これは弱みを握ったりと内心ほくそ笑んでいると、くるみは負けじと切り返してくる。
「そ、それはそうと唯李はどうなのよ?」
「ど、どうって何がよ? だいたい話の程度が低いのよ、恋バナだか豚バラだかしらんけど」
「どうせまた理想のタイプは~ってわけのわからん妄想言うんでしょ? 逆張りのひねくれで」
「だ、誰が逆張りメロンだよ!」
「はいそうやってつまんないこと言ってごまかそうとしてる~」
くるみが顔を指さしながら、くるくると指先を回してくる。
そんな安い挑発には乗らんと、唯李は焼きそばパンの残りを頬張る。
「唯李ちゃんきっと苦手なんだよこういうの。恥ずかしがりだから」
「は、恥ずかしがり~? 何をどう恥ずかしがりましたかねわたくしが」
「まぁでも唯李ちゃんはね~。ほら、ゆっきーがさ」
「え? 何?」
「んふふ」
萌絵が口元を抑えて、意味ありげに笑う。
これはきっと裏で悠己と二人して自分のことをイジっているに違いない。
「え、なになに? なんかあったん?」
「ん~くるみちゃんには今度話すね。唯李ちゃんには内緒」
「なんでよ、あたしたち親友でしょ? この前デートしたじゃん」
「唯李ちゃんジャイアンみたい」
くるみに言えて自分には言えないとはどういうことか。
当のくるみは話を飲み込めていないようで、ワンテンポ遅れて唸る。
「ゆっきーって……ああ成戸くん? あの人もなんかちょっとアレだよね」
「えっ、くるみちゃんゆっきーのこと気になってるんだ?」
「いや気になるっていうか……兄貴になんとなーく雰囲気が似てるんだよね。微妙にイラっとするところとか」
くるみがちらりと隣の席に視線を送ってみせるが、その本人は現在珍しく席にいない。
先ほど慶太郎がやってきて騒いでいたので、連れられてどこかに行ったか。
「へ~……そうなんだ? そういえばゆっきーも妹いるって言ってたっけなぁ」
悠己もなんやかや萌絵とは話をしているらしい。やはり裏で通じているのか。
くるみは当然知らなかったようで、「え、そうなの?」と眉をひそめているので、横から付け加える。
「そうそう、いるのよ。だ~い好きな妹がね」
「えっ、マジ!?」
くるみが突然がたんと身を乗り出してくる。
軽い冗談のつもりが、想定外に大きいリアクションをされてこちらものけぞってしまう。
「それって実は妹と……とか?」
「いやいや冗談だから今の! 何をそんな急に……あっ、もしかしてそれくるみんの願望? うわぁ……」
「そ、そんなこと言ってないでしょ!? そういう可能性とかあるんじゃないのっていう話!」
「いやそれはさすがに……」
(いやそれはない……それはないはず……? え? ある?)
そんなんあるわけないでしょ、ときっぱり即答はできかねる。
一般的な兄と妹の関係、にそこまで詳しいわけではないのだが、悠己と瑞奈に関してはちょっとどうなのかと思うところもある。
もちろん特殊な家庭環境のこともあり、一概には言えないだろうが……。
(もしかして結局そういうこと? いやいやまさか……)
クリスマスの件も、結局うやむやにされたまま話が進んでいない。相談はしたのかどうなのか? とこちらからしつこく切り出すのも必死と思われるので、話は浮いたままだ。
いつしか熟考に入っていると、なぜか対面でもくるみが難しい顔をしている。
謎の沈黙が流れる中、「なんで二人して黙っちゃったの?」と萌絵が一人不思議そうに首をかしげた。
侵略タコ娘プリップリダービーだっピ!




