お母さん誕生祭
「そうそう、線がきれいだって。その先生もなかなか見る目があってね~」
遅めに帰宅した瑞奈とともに、二人で食卓を囲む。普段はテレビを見ながらスマホを片手にしながら、なのだが今日はどちらもせず、瑞奈は上機嫌にひとり話を続ける。
悠己に一週間遅れて、先日瑞奈も学園祭が終わったばかりだ。話題はそのときに瑞奈が展示した絵の話。悠己も様子を見に行こうと思っていたが、来ないでと言われたので行かなかった。
「絵ってあれでしょ? 闇の力に目覚めてる人の」
「うん。さよも『悠己さんってふだん家だとこんな感じなんだ~』って」
「完全に家でヤバイ人じゃん。あれゆうきくんじゃなくてユウキって言ってたよね?」
「だってなんかのパクリじゃんって言われるの嫌だったから、うちの兄ですって」
「最悪なやつじゃん」
ユウキさん学園祭デビュー。さぞかし注目を集めただろう。やはり行かなくて正解だったとも思う。
それでも絵自体は好評を博したらしく、首尾は上々のようだ。
去年は空気と同化してなんとか学園祭をしのいだと言っていたので、それからすると大いなる前進である。
「ちょっとずつでいいから部活に参加しなさいって。いやぜひしてくださいって。まぁそこまで頼まれたらねぇ~」
そのおりに美術部の先生に幽霊部員であったことをやんわりとたしなめられ、今度から部活に参加をすることにしたという。だいぶ怪しい主観が混じっているが、おおらかな先生のようだ。
「で部活はどうだった? みんなと仲良くなれた?」
「天才とは孤独なものなのだよ」
「どうせ隅っこで絵を描くフリしながら誰か話しかけてくれないかチラチラしてたんでしょ」
「まるで見ていたかのような臨場感!」
とはいえ一日二日でなじむのは難しいだろう。なんにせよ部活に復帰したのはいいことだ。
話が一段落すると、瑞奈はお椀に残っていた米をひといきに頬張りながら、スマホのゲームを起動した。画面を睨んで「やっぱクリスマスまで石ためとこっかなぁ~」とブツブツ言っている。それを聞いて、悠己は朝にした唯李との会話を思い出す。
「瑞奈、今年はクリスマスどうするの? もしかしてパーティとかやる?」
「く、く、クリスマスぅ~? ゆうきくんの口からクリスマスパーティ!? クリスマスっていうといつも舌打ちしてたゆうきくんが?」
「いやしてないでしょ」
「だってクリスマスって日本人が勝手に騒いでるだけでしょ?」
「いいねその受け売り」
母の教育の賜である。
ここ数年基本クリスマスは家でダラダラして終わり。だけどケーキだけは買って食べていた。それはクリスマスではなく、母の誕生日だから。
「ウチはクリスマスじゃなくてお母さん誕生祭でしょ」
と瑞奈が言うのも母の受け売り。
もちろん母も本気で言っていたわけではない。半分おふざけで……いや半分は本気だったのかもしれないが、毎年クリスマスプレゼントはきちんとくれた。
それは父が一緒になって悪ノリをして、「サンタじゃなくて母さんからのプレゼントだぞ」と言って好きなものを買ってくれたからだ。
ただ母が亡くなってからは、自然とそれもなくなった。父はクリスマスのことを、一切口にしなくなった。
クリスマスは仕事だと言って家を空ける。今年もきっとそうだろう。
「本当は瑞奈もパーティやりたいんでしょ? 正直に言いなよ」
「やーそういうのはちょっとね。宗教上の理由で……」
「小夜ちゃんとか、唯李とか凛央も呼んでさ」
「やりてえ」
あっさり転んだ。洗脳が甘かったか。
けれども今年は状況が違う。今までは瑞奈がパーティに呼ぶ相手なんて皆無だった。単純にそういう理由だろう。
ならやったらいいじゃん、と肯定してやると、瑞奈は不思議そうな顔をした。
「でもゆうきくんが急にそんなこと言いだすって、何かあったの?」
「それは……唯李がクリスマスどうする? みたいに言うから」
「え? ゆいちゃんが? ……あ、そっか!」
瑞奈は思い出したようにポンと手を打った。
今の反応からすると、ニセ恋人の件やはり忘れていたっぽい。
「そうだよダメじゃん! ゆうきくんとゆいちゃんはパーティじゃなくて、二人でクリスマスデート行ってきなよ!」
「いや二人でデートしないといけないってことは……」
「じゃあクリスマスデートしなさい」
立ち上がった瑞奈が、ふんぞり返って腕組みを始め、お説教モードに入る。
Tシャツにプリントされたアニメキャラの決めポーズと妙なシンクロ感がある。
「でもそれだとパーティが……」
「大丈夫。みなはみなでパーティするから」
「え? ほんとに?」
「そうそう。ちゃんみな憐れみの令は出さなくていいんですよ」
瑞奈は自信満々に言うが、もちろん家に人を呼んでパーティなんてやったこともない。
「うおおおおお! って号令かければみんな大集合ですよ」
「本当に大丈夫なの? いろいろ……段取りとか」
「暖は取りますよバッチリ! ストーブエアコン!」
という具合に非常に不安である。
一人で自爆するだけならいいが、人様に迷惑をかけるとなると問題だ。
「じゃあ俺もそれ手伝うよ」
「だからゆうきくんはゆいちゃんとデートでしょ! 二人だけで!」
「いやデートってそんな……」
「クリスマスデートから逃げるな」
瑞奈が顔を近づけて、じっと目を覗き込んでくる。
ひさかたに近距離で見ると、こんなにまつげ長かったかな? と変なところが気になる。
「だってクリスマスデートってなにすればいいかわかんないんだもん」
「なに急にかわいこぶってんだよ!」
「二人だと狩るのもしんどいし」
「何の話だよ!」
声とともに手の甲で肩のあたりを二発。
これがなかなかどうしてタイミングもよい。
「いいツッコミだ。瑞奈もやればできるじゃん」
「んふふそう~? ……って違う! んもうそうやってふざけてごまかして! ゆきくん都合が悪くなるとそうやってごまかすよね、よくないよそういうの!」
「ゆきくん出てるよゆきくん」
「だまらっしゃい! ……あ、もしかしてゆうきくんビビってるのかなぁ? ビビビっちゃってる? しゃあねえ、ここはまたみなっちが一枚脱ぐか」
「それ言うなら一肌脱ぐでしょ?」
せっかく服を着るようになったのにまた脱いでしまっては元も子もない。
裏で変な工作活動をされても、それはそれでややこしくなって面倒だ。
「わかったよ、とりあえず唯李と相談してみるから」
「ヨシ!」
瑞奈が変なポーズで人の顔を指さしてくる。さっきから動きが忙しい。
それから悠己がキッチンで夕食の片付けを始めると、瑞奈は食卓のテーブルの上でスケッチブックを広げ始めた。ご丁寧にこちらには背を向ける位置取り。絵を描いている姿は見せたいが、描いているものは見せたくないという面倒なパターンだ。それはわかっているので、余計な口は出さない。
そんな瑞奈をよそに悠己は洗い物を済ませると、沸かした風呂の様子を見て、リビングに戻ってくる。
「瑞奈、お風呂は?」
リビングはいつの間にかテレビが消えていて、静かだった。
瑞奈もスケッチブックを閉じていて、代わりに一心不乱にスマホをいじっていた。瑞奈は悠己に気づくなりスマホをテーブルの上に置くと、急にかしこまって上目遣いをしてきた。
「あのね、ゆうきくん」
「なに?」
まっすぐ聞き返すが、瑞奈は目をそらした。若干顔が赤い。
何やらもじもじとするばかりなので、かがんでもう一度尋ねる。
「どしたの?」
「えっと、その……や、やっぱりなんでもない! お風呂先に入ってていいよ!」
瑞奈はスマホをひっつかんで、逃げるようにリビングを出ていった。いつもは自分が先に入りたがるのに、どういう風の吹き回しか。
通路のほうから部屋のドアが閉まる音がする。ここ最近、以前に比べて瑞奈が部屋にこもる時間が長くなった。
夜寝室に行くと、壁越しにわずかに話し声が聞こえることがある。おそらく小夜か誰かと通話でもしているのだろう。あまり夜ふかしするのはよくないが、電話をすること自体は悠己が咎めるようなことでもない。
「まったく置きっぱなしにして……」
テーブルの上のスケッチブックに目が留まり、ため息とともに口をついて独り言が出る。
何気なく表紙をめくっていくと、出てきたのはアニメ調のキャラクター。風景。謎の動物。意味不明な落書き。思いつくままに描いているのか、絵に統一感がない。
一番新しいページの絵は見覚えがあった。ラフな線の描きかけではあるが、家のキッチンだとはっきりわかる。あわせて悠己と思しき人物の後ろ姿。
ついさっきの間でここまで描いたのならたいしたものだ。先生に絶賛された、というのもだいぶ瑞奈の主観が混じっていると思っていたが、あながちそんなこともないのかもしれない。
――母さん見てくれよこれ、瑞奈が描いたんだって……天才じゃないか?
――まーた天才ってそんな……ってえぇ!? これ見ないで描いたの? すごいじゃないの!
うれしそうに、楽しそうにはしゃぐ二人の声。表情。
そこにはいなかったはずなのに、どういうわけか鮮明に脳裏に浮かぶ。
これはきっと夢か何かと、記憶を混同しているのだ。なぜなら自分はそのとき、ドアの向こうの話し声に、ただ聞き耳を立てて……。
頭の中の映像をかき消すように顔を上げて、壁にかかった時計を見る。
悠己は止まっていた手を動かすと、静かにスケッチブックを閉じた。
↓ヨシ!