屋上
教室へ戻ったあとは、どこかをほっつき歩いていた慶太郎とも合流し、後片付けを手伝った。
残っていたエモエモジュース用のカップを自分たちで消費し、エモエモジュース完売、として教室のジュース組はつつがなく終了。
ちなみにそれ以外の缶ジュースはだいぶ余った。
片付けがある程度終わったあと、悠己は一人屋上にやってきていた。
普段は立入禁止になっているため、立ち入るのは初めてだ。
なぜ屋上にやってきたかというと、慶太郎の提案だ。ここから校庭でやっている後夜祭のキャンプファイアーがいい感じに見えるらしい。記念に写真を撮りたいのだとか。
だが屋上へ続く階段付近へやってきたところで、慶太郎は急に「便所に行くから先行っててくれ」と言い出したため、姿は見えない。
屋上は悠己の身長よりも少し高いフェンスに囲われていた、
一部の生徒の間ではそれなりに穴場なのか、フェンス伝いにある程度間隔をおいて、あちこち人影が見られる。
こころなしか男女ペアが多く、この妙な空気は一人では場違い感があって居心地が悪い。
様子見がてらウロウロとしたのち、人のいない屋上ど真ん中付近でしばらく待機するが、 肝心の慶太郎はまだやってこない。
一度退散しようかと出入り口付近まで引き返すと、ちょうど向かいから屋上に出てきた女子生徒と目があった。唯李だった。制服に着替えている。
「あ、唯李だ」
「『あ、唯李だ』って何よ。人のこと呼びつけておいて……」
「え? 俺が唯李を呼んだ?」
「へ?」
お互い首をかしげて固まる。
が、なにか思い当たるフシがあるのか、唯李が眉間にシワを寄せてぼそりと言う。
「そういうことか、あいつ余計な……」
「もしかして慶太と二人して屋上で俺をシメようとした?」
「え? ん~まぁね、あいつ生言ってっからちょっとやっちまおうぜってね」
唯李は「まぁいいやせっかく来たし」とあたりを見渡し、人影のない一角を見つけると、フェンスに近づいていった。
悠己も後を追って、フェンス越しにそこから校庭を見下ろす。
あれだけ騒いでいたキャンプファイアーは、もうほとんど火の勢いが消えて、終わりかけだった。
「もう終わっちゃってるね。あれ告白とかホントにそんなことしてる人いるのかな」
「火が燃えてる脇で告白とかウケるよね。火事場泥棒みたいな」
「青春の一ページを火事場泥棒扱いするな」
唯李はじろっと悠己を見たあと、再び校庭のほうへ目線を戻した。
悠己はその背中に向かって、問いかける。
「萌絵はどう?」
「大丈夫、元気だよ。ま、あたしも鬼じゃないから、潔く謝るなら許してやるってね。しかしとんだ偽物だったよ。でも最後は落として、隣の席キラー勝負も完全勝利」
「負けそうになってたけど勢いでごまかしたね」
「おう勢いで勝ったわ」
とはいえ最後のバトルで、自身相当なダメージを負っているのは間違いない。
耐久力の差が勝敗を分けたか。
「萌絵は頑張り屋なんだよ。ちょっと方向性がズレてたけど、必死に頑張ってたんだよきっと」
悠己がそう言うと、唯李は黙って頷いた。
フェンスの外を見つめたまま、ひとりでに口を開く。
「昔のあたしはさ、藤橋さんのこと明るくてかわいくてイケイケで、きっとこの先も悩みなんてないんだろうなって……。あんなふうになりたいなって……無意識に真似てた部分があったんだと思う。悠己くんさ、あたしのこと偽物だのパクリだの、さんざん言ってたじゃん? それ当たってるよ」
唯李はそう言って振り向くと、ふふっと冗談めかして笑った。
また何か言ってほしそうだったが、今はふざける気にはなれなかった。
「似てないよ」
「へ?」
「唯李は萌絵とは違うよ。最初は似てるかなって思ったけど、全然似てない」
そう言うと、唯李は笑うのをやめて沈黙した。
うつむいて、目線をそらして……ゆっくりと静かに口を開いた。
「……実はさっき、二人がしゃべってたの、ちょっと聞いてたの。血相変えて走ってきた園田くんに『成戸くんだと不安だから藤橋さんの説得に行ってくれ』って言われて、慌てて行ったら二人がしゃべってて……」
そう言われて納得がいった。
あのときの萌絵の話を、唯李は聞いていたのだ。
「なるほどね」
「え?」
「変だと思ったよ。だって唯李があんなふうに言うわけないって」
いくら気合が入っていると言ったって、突然あんなふうに突き放せるわけがない。
とはいえ、あれでどう転ぶかなんてわからなかったのも事実だ。
「ちょっと前のあたしなら、聞いてたとしても言えなかったと思う。いろいろあって、少しは成長したかなって。まぁ相変わらず心臓に悪い感じだったけど」
唯李は小さくはにかむと、ごまかすようにくるりと背を向けて、フェンスづたいにゆっくりと歩いた。
それはすっかり暗くなっていて、やや肌寒い。軽く風も出てきた。
唯李は足を止めると、小さくなびいた髪に、手を触れた。
「……悠己くんの言ってたことも、聞いてた」
ややもすると風の音にかきけされそうな、つぶやき声。
流されていく声を拾おうと耳を傾けると、こちらを向いた唯李と目があった。
「……あたし、そんな強くないよ? それに優しいっていうか……ただのビビリだし。強がってるけど、実際ザコキャラだから」
唯李は訴えかけるように言うと、目線をわずかに外して、フェンスの網目を見た。
「それにあたしなんかより、悠己くんのほうがずっと強いでしょ? 何があっても余裕って感じで、いつも落ち着いてるし。それに今回だって一人で特攻しちゃうし……」
「俺なんて唯李の足元にも及ばないよ」
気づけば強い口調で、唯李の言葉を遮っていた。
それに驚いたのか、唯李は軽く目を見開いて、悠己の顔を見た。
「な、なに急にそんなガチトーンで。足元にも及ばないって、そんなことないでしょ」
「だって唯李は、太陽系女子だもんね」
「はぁ? いやだからそれは……」
ムキになって言い返そうとする唯李を、またも遮っていた。
「俺は、太陽にはなれなかったんだよ」
母は、悠己の……家族にとっての太陽だった。
だからそれが突然消えたとき、世界は変わってしまった。
父が一人で泣いている姿を、生まれて初めて見た。
妹が口を利かなくなって、部屋に閉じこもった。
太陽にならないといけないと思った。
たとえ何があろうと、変わらず照らし続ける太陽のように。
けれど太陽になるために、自分は必要なものを持っていなかった。
どうひっくり返っても平凡で、普通で……だから、強い人に憧れた。
いつも平気な顔で、落ち着いていて、つらい出来事にも、ものともしない。
周りがどうあろうと、どんな相手にも、ひょうひょうとして、なんでもない顔で自分を貫いて……。
けれどもできあがったのは、ただのできそこない。
自分ひとりの力では、何も起こせず、何も変えられず。
本物の前では、簡単にくすんでしまう。その輝きは、比べるべくもない。
やっぱり彼女はどこか似ている。かつて失われたはずの太陽に。
初めは、そんなこと思ってもいなかった。
だけど知るにつれて、疑念は徐々に徐々に膨らんで、大きくなっていた。言葉にこそ出さないが、瑞奈 もきっとそう感じている。
出会ってから、何もかもがいい方向へ転がり続けて……むざむざと、見せつけられた。
本物の太陽の輝きを。
――隣の席キラーで、悪いことばっかりじゃなかったから。あたし今はそんなに、嫌じゃないし……ちょっと楽しいかも。
あのときの唯李の言葉。今はそれだけが頼り。
だけどもし、その笑顔が失われるようなことがあるならば……。
すぐにでも、この関係を終わりにする。自分に選択権はない。それ以上は、望むべくもない。
自らを偽った、偽りの太陽には……おどけて軽口を吐いてごまかして、相手を笑わせるだけの、その場かぎりの道化がお似合いなのだ。
それは、自分の弱さに対する言い訳なのかもしれない。
自分自身と、彼女と、正面から向き合うことのできない弱い自分に。
けれど得れば必ず、いつかは失う。かつての太陽がそうだったように、それは唐突に、いつ起きるのかもわからない。
そんなことになるぐらいなら、もう二度と……。
「――ふふっ、なにそれ? どしたのさっきから? 急にそんな真面目な顔して」
気づけばすぐ近くで、笑いかけてくる顔があった。
唯李は吹き出したかと思うと、声を出して笑い出した。
「何かおかしい?」
「太陽になれなかったっていうか……もともと悠己くんは、太陽って感じじゃないよね」
唯李が笑うのも、無理もないことだ。言うとおり太陽なんて柄でもないし、器でもない。
もしかして、とっくに何もかも見抜かれているのかもしれない。そう思って、自嘲気味な笑みがこぼれた。
「まぁ、そうだよね。おかしいよね」
「悠己くんは太陽じゃなくて、お月様って感じ」
その言葉に、はっとして、息を呑む。
「メラメラ~じゃないかもだけど、じわ~って光ってるでしょ? ほら」
そう言って、唯李は暗くなった空を指さした。
だけど月は見当たらなかった。代わりに頭上には、星が輝いていた。
「あれ? 月見つからないなぁ。じゃあこのさいお星さまでもいいや」
言葉が何も出なかった。
好意を抱かれているのは、自分であって、自分でない。
自分はあなたが思っているような人間ではない。本当ならそう言って、今すぐ終わりにするべきだ。
彼女を笑顔にすることのできない自分には……そばにいられる資格など、ないのだから。
今伝えるべき言葉が、浮かんでは消え、浮かんでは消え……。
「誰がお星さまになった少年だよ」
だけど口に出たのは、まったく別の言葉だった。
浮かんだ言葉の中の、そのどれでもないものを選んでいた。
たとえ偽物でも見せかけでも、彼女のそばにいたいと……そう思ってしまった。
「真似すんな」と唯李は笑った。いつもの声に安堵して、つられて笑みがこぼれる。気持ちが通じ合ったような瞬間。
おたがいが、笑顔になった。
「ほら、あれが魔女とアサシンとサイコパワー」
「夏の大三角? それは拾えないよ、しかも今出てなくない?」
「やるやん。褒美にたこ焼きをつかわそう」
二人して軽口を叩きながら、空を見上げた。
夢中になって夜空の光を探す彼女の瞳は、太陽のようにきらめいていた。
――今このときが、ずっと続けばいいのに。
すぐ近くにあって、けれどもはるか遠い、太陽。
その輝きに照らされながら、空を瞬く星に向かって、静かにそう願った。
書籍版ではさらにねじりはちまきシバきあい対決…ではなくエモエモエンドが!