教室 くるみ萌絵
派手な内装とは裏腹に、教室の中は閑散としていた。
カウンターに並ぶ客もほとんどおらず、退屈そうな生徒同士で談笑している姿が見受けられる。
「なんかもう終わった感あるねぇ。あれ、メイドは……?」
そう言って唯李が室内を見渡す。
メイドはくるみ一人しか見当たらなかった。それも、窓際の席でエモエモジュース片手に座っている男性一人につきっきりだ。
唯李はその席のほうを指さすと、小声で尋ねてくる。
「誰? あれ」
「さあ? 委員長の知り合い?」
「いやそっちじゃなくて誰よあの人。完全にメスの顔してるじゃん」
誰? とは席に座っているお客さんではなく、くるみのことを言っているらしい。
たしかにくるみは終始ニコニコと頬が緩んでいて、立ち振るまいも気取った感じで、いつもとは別人のようだ。
メイドがお客さんと楽しくおしゃべり、などというサービスはもちろんないが、まるでそういうお店かと勘違いしてしまいそうな態度。
そしてその相手というのが、やや茶色い髪をした男性で、こちらもくるみに対してさわやかな笑顔を返している。スタイルもよく身につけた白いシャツは清潔感があり、見た感じではおそらく大学生といったところか。
親密そうに会話をしているところを見るに、ただの客ではないのが傍目にもわかる。
やがて男性は立ち上がると、入口の方へ向かって歩き出した。くるみも付き添うようにして戸口までやってきて、笑顔で手を振って男性を見送る。
「はは~ん、そういうことか……」
その一部始終を遠目に眺めていた唯李が、にやりと悪い笑みを浮かべる。
男性を見送ったあと、こちらの視線に気づいたくるみが、のしのしと近付いてくる。すっかりいつもの硬い表情に戻っていた。
「……何よ、何見てんの」
「いや~、くるみさんがメイド一緒にやってあげるって、いくらなんでもツンデレがすぎると思ったのよ。さっきの人に見せたかったのね、かわいいかわいいメイド姿を」
「い、いや、違うし! 関係ないから! ツンデレだし!?」
「自分でツンデレっていう人初めて見た」
そのへんの事情は悠己の預かり知らぬところではあるが、くるみの狼狽っぷりを見るに、唯李の予想は当たっているっぽい。
悠己はわーきゃー騒ぎだした二人を尻目に、いい加減ダンボールを脱ぐと、そのまま壁に立てかけた。もう二度と着ることもないだろう。
改めて教室を見回すと、やはりピークは過ぎているようで、時間的にも客の姿はほとんど見られない。
教室の隅で腕組みをしている園田を見かけたので、近付いて声をかける。
「どうなの? エモエモジュースの売れ行きは」
「うーむ……。やはりジュースは場所が悪かったか……」
外のテントでやっているたこ焼きがだいぶ優勢、とのこと。唯李が騒いでいたのもムダではなかったようだ。
それはそうと萌絵の姿がどこにも見当たらなかったので、
「萌絵は?」
「ちょっと疲れてしまったというので、保健室で休んでくると言ってね……」
萌絵も頑張っていたが、ただやはり慣れないことだから、気疲れしてしまったのだとか。
付近にエモエモ教男子の姿が数人見受けられたが、こちらもだいぶテンションが落ちている様子。
エモエモジュースも微妙に売れ残っているらしく、自分たちで買って消化を始めている。
カップにジュースを注いで、「はいエモエモジュース完成~」とやっているがどこかさみしげだ。
そんな状況のところに、のしのしと唯李がやってきた。どこか勝ち誇ったような顔だ。
「おやおや? エモエモは元気なさそうですね~? こりゃもうたこ焼きの圧勝かな」
「鷹月さん……君がまさかそこまで捨て身で来るとは思わなかったよ」
「そう? まぁ捨て身よかせいけんづきのほうが使うけどね」
唯李は腰に手を当ててふんぞり返っていくが、別段褒められたというわけではない。
そして唯李も園田に萌絵の所在を尋ね、先ほどの悠己たちと同じやりとりをすると、
「ちょっと疲れちゃっただ~? なんだよ逃げやがったか。こりゃバトルも決着かな! エモエモ敗れたり!」
唯李がそう声を上げると、静かにジュースを口にしていたエモエモ男子たちが一瞬色めき立つ。
が、萌絵がいないことにはどうしようもないのか、結局おとなしくジュースをすすっている。
唯李はかかってこいとばかりに腕組みをして仁王立ちをするが、やはり静かだ。
悠己が横からたしなめる。
「まぁもういいんじゃない。バトルは」
「なんでよ? 最初は向こうがけしかけてきたのに?」
はてそうだったかと首をかしげるが、唯李が言っているのは萌絵との隣の席キラーバトルのことだろう。
たこ焼きエモエモジュースバトルも、それの延長上ということらしい。
「にしても思い切ったことしたよね」
「いや別に当然の流れですよ。誰が本物なのかわからせてやろうってね」
「うん、それはわかってるけど。そろそろ一回落ち着こうか」
「いやもう気合い入りまくってんのよこっちは。止まるんじゃねぇぞってね」
落ち着くどころか唯李はさらにいきり立つ。
どうしたものかと考えた挙げ句、悠己は不意に唯李の頭から、すぽんとねじりはちまきを抜き取った。
すると唯李は目をパチパチとさせて、頭を左右に振りながら、
「あれ? ここは誰? 私はどこ……? 今までいったい何を……ってなるかい! ちょっと返しなさいよそれ!」
「はいはいよーしよし落ち着いて落ち着いて」
ぺんぺんぺんと頭を叩いてなだめると、ばっと手を振り払われた。
唯李は悠己の手からはちまきを奪い返して、小脇に抱える。
「唯李のはちまき盗める確率はゼロパーセントなんだよ。小数点以下の確率で盗めるとかないから」
「もう十分でしょ、おしまい」
「……わかりましたよ、はいはい。終了ね、たこ焼きメイドモード終了。おとなしくすればいいんでしょ」
唯李は憑き物が落ちたような表情になって、くるりと踵を返すと、とぼとぼとあさってのほうへ歩き出した。
「ちょっと待った、どこ行くの?」
「トイレ。こういうときトイレに決まってるでしょ」
そして一度振り返ってんべっと舌を出すと、そのまま教室を出ていってしまった。
唯李がいなくなると、悠己もジュースを買って、空いていた窓際の席に座って休む。
窓から外の様子を窺うと、一般客の姿はだいぶ減っているようだった。日も傾きかけていて、簡単に片付けを始めているテントもあり、だんだんとお開きムードが漂い始めている。
蓋を開けてみると一日あっという間だった。
ダンボールかぶって宣伝なんて負け組……と慶太郎は言っていたが、なんだかんだそれなりに楽しめたかもしれない。
「おおっ、帰ってきた!」
教室の入口付近で男子の声が上がった。
すると園田はじめ、エモエモ教男子がいっせいに集まっていく。
「萌絵ちゃん! このままではたこ焼きに負けてしまう! ここは起死回生のエモエモキューンやろうエモエモキューン!」
「そうだそうだ、それしかない! このままタコ女に敗北するわけにはいかない!」
見れば萌絵が数名の男子に囲まれていた。今戻ったようだ。
萌絵を寄ってたかって祭り上げようとするが、もうだいぶ時間が押していて、客足もない。
このあと後夜祭が控えていて、周りの意識はそちらに向かっていると思われる。今からいくら盛り上げたところで、到底追い上げられるとは思えない。単純に最後にふざけたいだけなのだろう。
その盛り上がりを尻目に、悠己がストローでジュースを吸っていると、
「うるさい! もう放っておいて!」
突如萌絵の鋭い叫び声が、教室に響いて、場が静まり返る。
萌絵は周りの男子を押しのけると、教室を飛び出していった。
それを見た悠己がジュースを置いて立ち上がると、わずかに遅れて園田はじめエモエモ教の男子たちが、困惑気味に顔を見合わせる。
「え、何? どうしたん急に……?」
「お前のせいだろ、暑苦しいから」
「いや今、僕もそういう流れだと思ったのだが……」
「そうそう、さっきまで嫌がってる感じなかったじゃん」
内輪揉めを始めるその脇を抜けて、悠己は廊下へ出た。周囲を見渡しながら、階段のあるほうへ。その手前、渡り廊下をまっすぐ駆けていく萌絵の後ろ姿を見つけて、走り出す。
廊下を抜けて別棟へ、つきあたりで立ち止まると、萌絵の姿を見失ってしまった。
「成戸くん!」
うしろから声がした。慌てた顔の園田が走ってきた。
「たぶん階段を下か、上に行ったと思う」
「う、うむ。手分けして探そう」
園田はずれた眼鏡を手で上げると、「僕は上を見てくる」と言って階段を登っていく。
悠己が降りた先で行き当たるのは家庭科教室。模擬店の調理場として使われていることもあり、付近は人の行き来が激しく、萌絵がいるような気配はまったくない。
ざっと通路と渡り廊下を見渡すが、それらしき姿は見当たらなかった。
一階の部屋はどこも催し物に使われているようで、どこかに入っていったとは考えにくい。
やっぱり上かもしれない。そんな直感に従って、階段を上に戻っていく。
三階に上がると、急に人の気配がなくなった。
というのもそのはず、ここは学園祭ではあまり使われていない区画のようだ。
教室の並ぶ通路の手前で、『立入禁止 東成陽高校学園祭』と貼り紙のついたビニール紐が、廊下を封鎖している。
そしてその封鎖の先では、園田が教室の中を窺うようににして、戸口付近にしゃがみこんでいた。
紐をまたいで近づいていくと、園田は悠己に気づくなり、人差し指を立てて「座れ」のジェスチャーをした。
それにならって隣に腰をかがめると、園田は半開きになった戸口を指さす。どうやら萌絵はこの部屋の中にいるらしい。
悠己が立ち上がると、園田が慌てて腕を取って引き止めてきた。顔を寄せて声をひそめてくる。
「ち、ちょっと待った、今とても話しかけられる雰囲気じゃないぞ……!」
「いるんでしょ? 中に」
「……う、うむ。しかし成戸くん、ここは一回戻って誰か応援を呼んできたほうが……僕も正直何がどうしたのか、よくわからんのだ」
直接的な原因はさっきの盛り上がりなのだろうが、悠己だって何もかもわかっているというわけではない。かと言ってここで二の足を踏むわけにはいかなかった。自分に原因がないとも限らないのだから。
悠己は園田の制止を振り切って、教室の中に入った。