お披露目
文化祭当日の朝。悠己は少し早めに登校する。
文化祭の日程は二日間。
一般公開は二日目で、建前は初日が校内公開の日となっているが、実質ほとんどのクラスが最終準備に追われていて、準備の予備日のような形。
午後から全校生徒が体育館に集まり前夜祭が行われるので、本格的に文化祭が始まるのは実質明日からとなっている。
悠己たちのクラスでは、準備の最終確認のあと、身内だけでメイド服のお披露目をする予定だ。
校門を飾る『東成陽高校学園祭』のアーチをくぐると、催し物テントのひしめき合う校門前の通りを抜けて、校内へ。
教室はいつにもまして賑やかだった。ジュース販売用に様変わりしているため、決まった座席もないのでおのおの好き勝手に陣取りをしては、おしゃべりに興じている。
室内を見渡すも、落ち着けそうな場所は見当たらなかった。ひとまず廊下にあるロッカーにカバンを押し込む。
扉を閉めて身を起こすと、近くの廊下の壁にもたれて、一人でスマホをいじっている萌絵の姿が目に入った。
それこそ文化祭当日で張り切っているのかと思えば、やけにおとなしい。
普段は萌絵のほうからあちこち話しかけて回っているイメージだが、今日は一転してどこか話しかけにくいオーラを発している。いや、話しかけるなオーラと言ってもいい。
何気なく観察していると、萌絵が顔を上げた拍子に一瞬目があった。
が、萌絵はすぐさまスマホに目線を落とした。やはり違和感がある。いつもなら笑顔で手を振ってくるぐらいのことはするはずだ。
気になった悠己は、萌絵の話しかけるなオーラもおかまいなしに近づいていって声をかける。
「おはよう」
そうあいさつをすると、萌絵はこちらを見上げて「おはよう」とすぐに笑顔を作った。
あいさつは返されたが、それきり萌絵はスマホに目線を戻したので、
「元気ない?」
「え? そんなことないよ? いっつも元気ないのはゆっきーのほうでしょ!」
そう言って萌絵はいつもの調子で笑いながら、グーで悠己の肩のあたりを叩く仕草をする。
ただの思い過ごしかと胸をなでおろすのもつかの間、背後に人の気配を感じると、
「おはよう藤橋さん!」
「今日は楽しみだねぇ~」
急に男子生徒たちが集まってきて、いっせいに萌絵に声をかけだした。
よく園田と一緒にいるエモエモ教の人たちのようだが、誰かが話しかけるまで様子を見ていたのかなんなのか。
萌絵は愛想よく応対しているが、皆なかなかに押しが強い。
あっという間にポジションを奪われて輪からはじき出されると、階段のほうから女子生徒がまっすぐ廊下をこちらに歩いてきた。唯李だ。カバンを担いでいて、今登校してきたらしい。
唯李はわき目もふらず、まっすぐおおまたに萌絵に近づいていくと、
「そんなに言うなら、やっぱりバトル受けて立つ!」
いきなり萌絵に向かってそう言い放った。
悠己を含め、その場にいた三人の男子の顔に疑問符が浮かぶ。
肝心の萌絵はというと、唯李を見返して何か言いかけたが、急にうつむいてそのまま廊下を早足で歩いていってしまった。
「ちっ、逃げられたか……まぁいいここで深追いは禁物」
などとひとり言を漏らす唯李をよそに、残されたエモエモ教徒たちは顔を見合わせつつ解散。
悠己も一緒に解散すべきかと思ったが、やっぱり気になってしまい唯李に尋ねる。
「唯李ってもしかしてみんなから無視されてる?」
「いやされてねえし。誰があいつシカトしようねターゲットだよ」
「ってことは萌絵となんかあったの?」
「な、なんかあったも何も……バトル中ですから? やるかやられるかの瀬戸際ってね」
そうは言うがさっきの萌絵の態度は、とてもバトルなんてノリには見えなかった。
思えばここ数日、萌絵が唯李にちょっかいをかけていく姿を見かけた記憶がない。
教室の席は解体されているため、そもそもこうして唯李と一対一になるのも久々なのだ。
「もしかしてケンカした?」
「いやだからケンカじゃなくて、バトルだって言ってるでしょうが」
唯李はそう言い張ってくるが、この感じだと何かあったのは間違いない。
その証拠に唯李はそれきり黙り込んでしまった……かと思えば、突然自分のほっぺたをビンタして、
「っしゃあ!」
「え、何?」
「気合いためよ。次のターンでかますから」
さながら土俵入りする力士のようだが、この突然の謎言動は相変わらずだ。だからこそ気にかかる。
「本当に大丈夫?」
「頭は大丈夫だよ」
「いや、バトルとかって……無理してない?」
「無理は無理でも食べられる無理だよ。私の無理でこじ開けるんだよ」
この容赦ない勢いは、相当気合が入っているらしい。
唯李はふん、と息巻いて踵を返すと、のしのしと教室へ入っていった。
朝のHR、そして準備の最終確認があらかた終わり、いよいよメイド服のお披露目という運びとなる。
現在教室には、ジュース組と仕事のないたこ焼き組、その他暇な人たちがひしめき合っている。例にもれず悠己も慶太郎とともにその中に混じり待機していた。
メイド組は更衣室で着替えて教室へ、という流れらしいが、着替えにもたついているのかここにきて揉めているのか、待ち時間がやたら長い。
やがてガララと勢いよく教室の引き戸が開くなり、園田が顔をのぞかせた。
「静粛に! ではこれからお披露目を始める!」
声を張り上げて仕切っていくが、静かになるどころかブーイングが起きる。
準備期間からこのかた、やたら威張り散らしている園田へクラスメイトのヘイトがたまりまくっている様子。
園田が廊下側に向かって手で合図をすると、ゆっくりとメイド女子たちが教室に入ってくる。先陣を切るのは萌絵だ。
メイドが姿を現すなり、うってかわって室内に拍手と歓声が湧き上がる。
ところどころ「エモエモ~」の声が混じり、隣で慶太郎も「エモエモー!」とノリで叫んでいてうるさい。
しかし盛り上がりとは裏腹に、いまいち萌絵の表情は冴えないように見えた。
うっすらと微笑を浮かべて応えているが、思っていたよりずっとおとなしい。唯李とくだらない大喜利をしているときのほうが、よっぽど元気だった。さすがの萌絵も緊張しているのか。
続くメイド勢も、恥ずかしいのかそこまでやる気がないのか、なんとなく空気が重い。
やがてくるみが出てくると、「ヤバ~くるみかわいい!」「くるみん萌え萌えじゃん~」と女子からの歓声が上がり、「あんたらうるさいわ!」と顔を赤らめたくるみとの応酬があったが、これも今ひとつ。
「ん? もう一人は……」
園田が横並びになったメイドの列を見て首をひねる。
そう一人足りない……と悠己が思った矢先、最後のメイドが、勢いよく教室に走り込んできた。
「ヘイお待ちぃぃいい! たこ焼きメイド参上ぉぉぉお!」
叫びながら列の前にスライディング気味に現れ、両腕を広げてポーズ。
現れたメイドは、服の袖をまくりあげ、頭に白いねじり鉢巻を巻いていた。
突然の乱入者に一瞬場が静まりかけるが、すぐさまどっとクラス中が沸く。
「ちょ、ちょっと……鷹月さん何だいその格好は!」
唯李の独断専行なのか、顔を青くした園田がすぐさま詰め寄っていく。
対する唯李は、不敵な笑みを浮かべつつ親指を立てた。
「へいらっしゃいご主人さま! なんにしやしょう!」
「な、なんだねそれは! いろいろ混じってるじゃないか!」
「たこ焼きメイドだよ! てやんでい!」
「い、いやちょっと待った! そんなの聞いてない……勝手にそういうことをされると困るのだが! コンセプトが……」
「ああん? ぶつぶつうっせえと眼鏡にかつおぶしかけんぞ? 青のりまぶすぞ?」
唯李が啖呵を切ると、その後押しをするようにさらに場が湧く。
悠己の隣で慶太郎が「やれ、ぶっかけろ~!」「まぶせ~!」とヤジを上げ、それを皮切りに「まーぶーせ!」「まーぶーせ!」と周りからも謎のコールが起きる。
ここに来て園田への不満が爆発したのか、異様な盛り上がりだ。
その熱量に押されて若干後ずさりつつも、園田は唯李の頭を指さして、
「だ、だいたいそのはちまきはなんだね!?」
「ねじりはちまきなめんなよ? 見た目と違って強装備だから。ちからとすばやさ上がるから!」
メイドにちからとすばやさが必要なのかは疑問だが、唯李は勢いよく切り返していく。
さすがの園田も返しに窮したのか、
「いやいや、何を勝手にそんな……」
「向こうがかわいいでくるならこっちはパワーよ。圧倒的ちからとすばやさでねじ伏せる!」
「きゃはははウケるんだけど! いいよいいよ唯李はそれでいきな!」
「おう、まかせな」
「きゃはははは!」
くるみはその隣で笑いが止まらないようだ。
それにつられてか、クラス全体が笑いに包まれ、一気に場の空気が変わっていく。
「打倒エモエモ! エモエモジュースに勝つ!」
そう言って唯李がびしっと萌絵を指差す。
萌絵は戸惑いを隠せないといった様子で、ただただ目を白黒させるばかりだ。
するとどういうわけか、園田が萌絵を守るように唯李の前に立ちはだかった。
さらにここぞと数人のエモエモ教男子が飛び出してきて、それにならう。
「ふっ……そういうつもりならいいだろう、面白いじゃないか! エモエモジュースとたこ焼き……どちらがどれだけ客を沸かせられるか……勝負だ!」
園田が唯李へ指をさし返すと、ブーイング混じりの喚声が上がる。
いつしか教室内は熱気に包まれ、予想だにせぬ盛り上がりを見せていった。
お披露目が終わり、いったん場は落ち着いた。
そのあとも唯李は数人の女子たちに囲まれもみくちゃにされ、写真を撮られたりなどとせわしない。
はたから見るとさんざんなようだったが、当の唯李はまんざらでもなさそうで、終始ハイテンション。
なんとなくその様子を眺めていると、悠己の視線に気づいたらしい唯李が足早に近づいてきた。先んじてその顔に向かって言う。
「かましたね」
「かましたよ」
もう起きたことに関しては何も言うまい。
最小限のやりとりをすると、唯李は親指で自分の顔を指差して、
「で、どう? イケてた?」
「うーん、ノリとしてはデビゆいに近い?」
「ふっ、デビゆいなんて目じゃねえよ。デビルとかワンパンよ」
唯李は言いながら、シュッシュッシュっとワンツーをその場で繰り出してみせる。すでにワンパンではない模様。
さらに「デビゆいってなんだよルまで言えよ、なにちょっと略してんだよ」とちょこちょこ付け足してくる。興奮冷めやらぬのか、だいぶボルテージ高め。
「でもタコだとデビルよりだいぶランク下がってるような……」
「いやタコっつってもあれよ? 大王タコよ?」
「それイカじゃなくて?」
そう返すと唯李は首をかしげて一回黙った。素で間違えたらしい。
悠己は上から下へ唯李の全身に視線を走らせると、
「改めて見ると、学校でメイド服着てるのなんかウケるね」
「はっ、そんなこと言ってホントはアレでしょ? メイドだけはありなんでしょ?」
「え? なにそれ?」
「いやあの……藤橋さんが言ってたよ?」
「萌絵が? そんなの言った記憶ないけど」
萌絵がどんな話をしたのか知らないが、記憶にない。
すると唯李は急にピタリと固まったかと思うと、
「あんの嘘つき女が!! おかしいと思ったんだよ!」
だん、と足を床に踏みつけて吠え始めた。怖い。
「何? 俺がメイドだけはどうこうって?」
「そ、そうだよ! メイド姿でラリアットすれば弱点決まって倒せるってね!」
そう言って唯李が肩を回す仕草をするので、二、三歩下がって距離を取る。
その拍子に、唯李の手首にいつぞや渡したストラップ付きの石が巻かれているのが目に止まった。
「あ、その石……」
「え? あ、ああこれね? べ、別にその……不安だったからつけてたとかじゃないよ? これ見た目、なんとなく死んでも一回復活できそうっしょ? なんつってもバトルだからね、痛恨の一撃くらっても大丈夫なようにね」
早口で言い訳っぽく語りだすが、どのみちそんな効果はない。
見つかったのが恥ずかしいのか、唯李は手首を押さえてストラップ部分をいじいじとする。
「やっぱ不安だったんだ? ダダ滑りしないかどうか」
「いや滑ってないし? この石も無事でしょ?」
滑ったら石が身代わりに砕け散るだとか、そんな効果もない。
正直ヒール役の園田がいたおかげで成り立ったようなものの、単体で出てきたら相当ひどいことになっていた予感はする。
ただその意図するところが、わからないわけではない。悠己は改めて唯李の出で立ちを眺めて、息をつく。
「でもやっぱり唯李はすごいね」
「なになにどうしたの急に褒めて。おこづかいにラリアット欲しい感じ?」
「ごいすー」
「ん~? 悠己くんにしてはキレ悪いね? もっとぶっこんで来なよいつもみたいに」
「まあ、そんなもんだよ俺なんて」
小さく笑みをこぼすと、唯李は不思議そうに首をかしげた。
「あれれ? なにそれ新技かな?」
おかしそうに笑う唯李の後方から、「唯李ちょっと来て~!」と女子の呼び声がする。
悠己はそちらへ目線をそらしながら、
「ほら、呼ばれてるよ」
「ああんもう、こっちはしゃべってるのに!」
「じゃあね。頑張って」
悠己が軽く手を上げると、唯李は「他人事と思って!」と言い捨て、女子の輪のほうへ戻っていった。
↓6月30日に第4巻が発売になります。よろしくお願いします。