唯李視点 自宅
いよいよ学園祭を前日に控えた夜。唯李の部屋。
唯李は園田から渡されたメイド服を前に、ため息をついていた。
――わたし、本物の隣の席キラーだから。
発言の意図が読めないままに、あれ以来、萌絵とは言葉をかわしていない。
厳密には向こうから声をかけてこなくなって、それだけで一切の会話がなくなった。
萌絵が転校してきてからこのかた、唯李のほうから萌絵に何か働きかける、ということがなかったのだと気づく。
(そんなにバトルがしたいのか……?)
あくまで自分が隣の席キラーだ、と言い張るのは、つまりとことんやる気だということなのか。
考えようによっては現状のこの冷戦状態も、本格的なバトルの前触れとも取れる。
ただ思い返してみると、隣の席キラーバトルだなんだと言い出したときの萌絵は楽しそうだった。
その前のこれまた微妙な感じよりも、実際それなりに盛り上がりもした。
百歩譲って隣の席キラーうんぬんさえ言い出さなければ、バトルという体で相手をしてやらなくもないのだが……。
――萌絵は唯李と仲良くなりたいだけなんじゃないの?
ふと悠己の言葉が思い起こされる。
本当にそうならば、まだやりようはある。だけど、もしそうでなかった場合。
単純に、昔と違う自分が気に障るのか。それか昔からずっと嫌われているのか。
もしくは再会したあとに、自分が何かしてしまったのかもしれない。
気づかないうちに、萌絵を傷つけるような言動を……。
(やっぱ謝ったほうがいいのかな……)
だけど何をどう言ったらいいのか。
原因がわからないのに謝るというのも、おかしな話である。いらぬ油を注いでしまうのもよくない。
そんな堂々巡りをして、明日から学園祭が始まるというに、気分が浮かない。
わからせてやるよ、なんて言っていたときとは状況が違っていて、勝手に盛り上がっていた自分がバカらしくなってくる。
立ち上がって鏡の前でメイド服を広げてみせる。
親の知り合いがそれ系のお店をやっていて格安で借りた、と園田は言っていたがそれなりに質はよさげ。
明日はみんなの前で初のメイド姿お披露目の予定だが、やっぱり気が乗りきらない。
「へ~。けっこうちゃんとしてるじゃない」
背後から声がして、心臓が飛び出しかける。
鏡に写った自分の顔、そのうしろからゆらりと真希が笑顔をのぞかせた。
「ていうか、その服は何かしら?」
「な、なっ、か、か、勝手にっ!」
口が回らない。
侵入者を詰ろうにも、なぜかメイド服を持っている>>>>勝手に部屋に入ってきたぐらいの差はある。
慌てふためきながらも、「頼まれて学園祭で……」といくらか嘘を織り交ぜつつ、経緯を説明すると、
「学園祭別に何もやらないって言ってたじゃないの!」
やっぱりキレられた。
前に一度学園祭の話題になったときは、こんな予定はなかったのだ。
「いやだから、事情が変わって……」
「ということは、もしかして唯李が『お帰りなさいませご主人さま』みたいなの言うのかしら?」
「言わない言わない」
「行くわ」
「言わないって言ってるんだけど?」
結局服は着るだけで、メイドの真似事はしないという話に落ち着いている。
というか園田の案は全却下された。
真希はメイド服に手を伸ばし、さわさわと表面の生地を確かめながら、
「それにしても学園祭でメイドとか、意外にベタなことするわね~」
「いや、あたしが決めたんじゃないし……」
「それでどうなのかしら? あっちのほうは」
「あ、あっちのほう? な、なんのことそれ……」
「あらやだ、学園祭終わったらいつの間にかデキてるカップルとか……えっ、ご存知でない?」
この人はまた余計なことを。
もう騙されん。もう騙されてはいけない。
「せっかくそんな格好するんなら、いつもと違う部分を見せないと。ほら、もしかして彼めちゃめちゃメイドフェチかもしれないわよ……?」
悪魔のささやき。
そう、それなのだ。萌絵情報によるとそういうことらしい。
ただ今はそれどころではない。それより気にかかるのは萌絵のこと。
「……ねえ、お姉ちゃん」
聞くかどうか迷った。
だけど昔の自分をよく知っていて、話せるのは姉しかいないと思った。
萌絵とのこと、昔のこと、再会したときからのことを、かいつまんで話す。
対面に座り込んだ真希は、ひたすら相槌だけを打っていたが、唯李の話が終わると、
「……へえ、まさかのいじめっ子と再会しちゃったんだ」
「いやだからいじめられてたとかじゃないし」
やっぱり言うのやめればよかったかもしれない。
そんな唯李の空気を感じ取ったのか、真希は珍しく真面目な顔になった。
「うーん……その子が何考えてるかって、それはさすがのお姉ちゃんも神様じゃないからわからないけど。向こうははっきりとは何も言わないんでしょ? なら唯李が気にすることじゃないと思うわよ」
拍子抜けするほど、あっさりと真希は答えた。
でもそうは言うけども……と口を挟もうとする矢先に、真希はにっこりと笑った。
「でも唯李は優しいから、そんなこと言っても納得しないわよね」
真希はそう言っておもむろに手を伸ばし、頭を撫でてきた。
なんだか考えを全部見透かされているような感じがして、気恥ずかしい。
「あちらを立てればこちらが立たずって、何事も物事には長短があると思うのよ。昔の唯李は自分が嫌で、自分を変えたかったのかもしれないけども……でも正直お姉ちゃんはね、前の唯李も今の唯李も、同じぐらい好きよ」
「え?」
驚いて姉の顔を見てしまう。
そんなふうに言われたのは、初めての気がする。
「だってべそかきながら『お姉ちゃん……』って頼ってくる唯李マジ萌えだったし」
「そういうことか貴様」
「でも今だってそうよね? 普段強がっててもこうやって結局お姉ちゃんに頼っちゃうところとか」
うっ、と返す言葉に詰まりかけるが、なんとか反論の体を取る。
「い、いやそれは、第三者からの客観的な意見をだね……」
「お姉ちゃんなりに分析してみたんだけど……ほら、あの悠己くんのことだって。あの子も友達少ないキャラなんでしょ? そのへん昔の唯李と似てる部分があるっていうか……でもああいう感じじゃない? 唯李はそういうところに惹かれたのかなって。なんとなく」
そう言われて、顔が赤くなるのを感じる。
隣の席になる前、クラスで孤立気味でいた悠己のこと。
昔の自分がそうだったからか、どこか気になっていて……だけど一人は一人でも、唯李のように周りを気にしておどおどしているわけでもなく、超然としている。
自分になかったものを持っていたのが、羨ましかったのかもしれない。
どんな過去があったのか、どうしたらあんなふうになれるのか。それとも生まれつき、単純に超がつくド天然なのか。ただ、それだけでは説明できないこともある。
すべてを見透かした上で、あえてそう振る舞っているような……ときどきそんな感覚に陥ることもある。とにかく不思議なのだ。
「大丈夫よ。大丈夫」
かすかに甘い香りがして、優しく肩を抱かれた。
ゆっくり囁きかけてくる声が、耳元をくすぐる。
「過去のいろんなことがあって、今の唯李がいる。もちろん完璧じゃないし、ダメな部分もあるかもしれないけど……唯李は唯李なりに、いつも頑張ってきたんだから。なんでも自分が悪いなんて、思ったらダメよ」
唯李が小さく頷きながら上目遣いをすると、すぐ近くで姉の顔がにっこりと笑った。
「あとね、心の中で嫌って思ってるだけでも、そういうの結構伝わるのよ? 楽しそうにしてる人のところに人って集まるものだし。せっかく学園祭でメイド服着るなら、もっと楽しそうにしたら?」
気づかず出てしまっていた苦手意識。
萌絵はそれを感じ取っていたのかもしれない。
感心しながらも、さらに姉の言葉に耳を傾けていると、
「……恥じらいを捨てるのよ唯李。こういうとき中途半端に恥ずかしがっているほうが、逆に恥ずかしく見えるのよ。さあ今、その服を着てみせるのよ、さあ……」
声はまるで暗示でもかけるような怪しい囁きに変わっていった。そして優しいお姉ちゃんスマイルは、いつの間にか邪悪なマキマキスマイルに変貌していた。
でもたしかに、こうして悩んでいたってどうしようもない。
面白い子になろうって、今日はこのギャグをかましてやろうって……あのとき最初の一歩を踏み出した自分は、今よりずっと勇敢だった。
「やっぱり守りに入ったらダメだよね……」
「そうよ! ガンガン攻めないと!」
「つまり……元気ですか?」
「そうよそう、元気です……え?」
目が点になった真希を押しのけると、唯李はガバっと立ち上がり、握りこぶしを高く突き出す。
「いよっしゃあ! 闘魂メイドよ! やってやるぜ!」
「いいわよ唯李その調子よ! かどうかわからないけど! たぶん違うと思うけど! とにかくさぁ今、その服を着てみせるのよ! お姉ちゃんに見せて!」
「いやそれは嫌」
「ズコー!」
大げさにひっくり返って「うわ~ん洗脳失敗よぉ~」と泣き真似をする姉を見て、鬱々とした気分はどこかに吹き飛んでいた。
やっぱりこの人は昔からあんまり変わってない。
アドバイスも本気なのか冗談なのか、ときどき真面目っぽいことを言ったかと思えば、わざとふざけてみせたりで、どこか締まらない。
でも最後には、必ず元気をくれる。一番身近にいた憧れ。
もしかしたらそんな姉のように、自分はなりたかったのかもしれない。
なりたかった(過去形)
第4巻が6月30日発売予定です。よろしくお願いします。