表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

150/216

わたしは本物2

 萌絵が帰宅すると、家の中はがらんとしていた。

 両親はまだ仕事から帰ってきていなかった。通勤時間が伸びたせいで、その分以前より帰りが遅い。

 同居している叔母は、施設に祖母を迎えに行ったのだろう。世間話をしているのか、いつもなかなか帰ってこない。

 賃貸マンションから大きな家に戻ってきて、一人になる時間が増えた。

 広い庭付きの、平屋。庭は手入れをする者が不在のためか、不格好な庭木や落ち葉があちこち目立つ。

 

 薄暗い廊下を歩いて、奥の自分の部屋へ向かう。

 その途中、かすかに線香の香りが漂う和室を通りかかって、足が止まった。

 まだ新しい仏壇。その脇の棚の上で額縁に入った写真が、漏れ入る光を反射している。

 

 小さいときは、ずっと祖父が遊び相手だった。

友達のいなかった萌絵の、一番身近で唯一の遊び相手。

いつも萌絵のとりとめのない話に耳を傾けて、多少のわがままを言っても、笑顔で頷いてくれる。今思えば、とても甘やかされていた。大好きなおじいちゃんだった。


家では何でもかんでも話すぶん、外ではずっとだんまり。

そんなだから友達と呼べるような相手は、小学校に上がってからも一人もできなかった。

家に帰ればおじいちゃんがいるから。そう思って、必要性を感じていなかったのかもしれない。

 

 そんな萌絵にも変化が起きた。それは小学校に入って間もない頃だったか。

誕生日プレゼント。両親にはダメと言われても、萌絵の誕生日には、祖父はいつも欲しい物を買ってくれた。

だから自分もお返しに、祖父の誕生日に、何かあげたいと思った。

なにか欲しいものはないかと聞くと、

 

「今はこれといって欲しいものはないかなぁ。でも、萌絵が友達を連れてきたら、うれしいなぁ」


とそんなことを言われた。 

 どうしたらいいかわからなくて、途方に暮れた。困った。

 そして困った末、「おじいちゃんに、友達連れてきてほしいって言われた」。

教室で隣の席に座っていた女の子に、勇気を出してそう言った。


 その子は当時の萌絵とは正反対の、活発でみんなを引っ張っていくような人気者タイプ。

 萌絵からは一度も話しかけたことがなくて、まったく脈絡もなしに第一声でそんなことを言った。

 けれどもその素直な物言いが、気に入られたのかもしれない。彼女は笑って、快く引き受けてくれた。

 彼女を家に連れて行ったときの、そのときの祖父の喜びようといったらなかった。


 それからというもの、自分から人に声をかけていくのに抵抗がなくなった。見境なくクラスメイトに話しかけては、遊びにおいでよと誘って、家に連れて行った。

 そのたびに祖父は喜んでくれた。そうしているうちにいつしか内向的な性格ではなくなり、どんな相手にも物怖じしなくなっていた。

「萌絵は誰とでも仲良くできるいい子だね」その祖父の言葉が、後押しになっていた。

 

 けれど、それで何もかもうまくはいかなかった。

 また別の子を家に連れて行ったあるとき、祖父は「この前の子はどうしたの?」と怪訝そうな顔をした。萌絵の話を聞いてくれて、一番最初に家に来てくれた子のことだった。

 実はその子とは、少し前に注意を受けて口論になり、喧嘩をした。萌絵の奔放な態度に腹を据えかねたのか、細かいことの積み重ねだった。

 祖父にはなんて答えたか、はっきり覚えていない。

「あの子はわたしのこと悪く言うから。友達いっぱいいるから、もういいの」

 そんなふうに、答えた気がする。

 覚えていないのは、とっさに出たでまかせだったからかもしれない。強がりだったからかもしれない。だけど、そのあと祖父に言われたことは、はっきり覚えている。

 

「友達なら悪いところが見えるのは当たり前だよ。人を注意するのは、とても勇気がいること。いい友達だね。ちゃんと仲直りするんだよ」

 

 それでも、萌絵は言うとおりにしなかった。

 耳の痛いことを、ずけずけと言ってくるのが嫌で、仲直りもせずにそのまま遠ざけた。

 

「そうやって意地悪言うおじいちゃんなんて嫌い!」

 

 それどころか萌絵は反発した。

 祖父は何があっても自分の味方だと思っていたのに、裏切られた気持ちだった。

 それ以来、家にはうるさいおじいちゃんがいるから、と言って友達を家に連れて行くのはやめた。

 もともと萌絵が無理矢理に誘っただけで、また遊びに行きたい、という子はほとんど皆無だった。だけどそのときはまだ、気づいていなかった。


 その後、父の仕事の都合で引っ越しをすることになった。

 引っ越してからはそれまでの友達とも連絡を取らなくなって、人間関係もほぼ一からやり直しだった。けれど、さほど問題とは思わなかった。友達なんてすぐに作れるという自負があった。

 クラスで目立つグループとも仲がいいし、そうでない子にも積極的に話しかける。

 決まったグループには入らず、クラスメイト全員と接するようにした。

 だって自分は、誰とでも仲良くなれるのだから。


 高校生になっても、萌絵は変わらずその調子だった。

 二年生になって初めての席替えで隣の席になったのは、とてもおとなしめの女の子。

 鈴木紗絵という名前の子で、名前似てるねと言って、萌絵は隣になったその日から「紗絵ちゃん」と呼んでいた。

 紗絵にはクラスに友達がいる様子がなかった。誰かと話しているのも見たことがない。 

 それならと思って、萌絵はいつにもまして、積極的に働きかけた。


 席替えから一月もしないうちに、紗絵が学校を休みがちになった。

 そのうちぱったり来なくなって、一週間。

 萌絵が連絡先を聞こうとして、そのアプリは入れてないと言われ、嘘だ信じられない、だとかそんな話をしたのが最後だったと思う。

 担任の教師に、どうして紗絵が休んでいるか直接聞きに行った。

 最初は答えてくれなかったが、それでもしつこく尋ねると、

 

「鈴木さん、ちょっと疲れちゃったみたい。距離感って人それぞれあるからね」

 

 やんわりとそう言われた。最初は意味がわからなかった。でも家に持って帰って考えているうちに、疑念が生まれた。

 それから萌絵も学校を休みがちになった。

 一日、二日、三日。

 体調が悪いと言って、ずるずる休んだ。体調が優れないのは事実だった。

 そのうちに担任の教師から、紗絵も学校に来るようになったから、と電話があった。

 そして次に学校に行ったときには、萌絵の席は変わっていた。席替えがあったのだという。

 紗絵とは露骨なまでに席が離されていた。席替えは担任の作ったくじ引きで、休んでいた萌絵の席は余った席になった、という話だった。


 それ以来、紗絵とはもう言葉をかわすことがなかった。ついに萌絵は一度も名前を……名字すら呼ばれたことがなかった。

 もうなんて声をかけたらいいか、わからなくなっていた。

 紗絵に謝るべきか迷った。しかし萌絵が悪いのだと、直接言われたわけではない。すべて自分の想像でしかないのかもしれない。

 それに自分だって、悪気があってやったことではない。ただ、仲良くしようとしていただけ。そんな思いが、根底にあった。結局何一つ変化のないまま、一学期が終わった。

 

 夏休みに入ってすぐ、祖父が亡くなった。突然の訃報だった。

 庭仕事をしているときに脚立から落ちて、打ちどころが悪かったのだという。

萌絵が物心ついたときから体の悪かった祖母とは違って、まだまだ元気なはずだった。日頃から自分は長生きすると言っていた。


結局その都合で、父の実家であるこの家に戻ることになった。

たまの帰省も、理由をつけて断っていて、祖父とはほとんど顔を合わせず、ろくに口も聞かずじまいだった。 

けれども祖父は、折に触れては萌絵のことを心配していたと、そう聞かされた。


 線香の匂いから逃げるように廊下を通りすぎて、自分の部屋へ。

ベッドに体を投げ出し、スマホを取り出して、唯李とのラインをたどる。

何度も何度も見返したやりとり。メッセージを打とうとして、手が止まる。


転校した先で再会した、見知った顔。

見たとたん、ぎくりとした。顔を見るまで、ほとんど忘れていたのに、まるでフラッシュバックするように、記憶が蘇った。。

なぜなら唯李は、紗絵と似ていた。おとなしくて、目立たなくて……それに何より、萌絵が話しかけたときの、あの笑い方が。無理やりに取り繕ったような笑顔が。

 

 けれども唯李は、その頃とはまるで別人のようだった。

見違えるように明るくなっていて、萌絵のことなど、きっとろくに覚えていないに違いない。

前回あんなことになったのも、たまたまだ。

自分は嫌われてなんてないはず。ちゃんと、仲良くなれるはず。そう思っていた。


通話アプリを消して、代わりにメモアプリを立ち上げる。

『好きなもので仲良くなる。得意なもので盛り上がる。おそろいにする。スキンシップ。冗談を言う。一緒に何かをやり遂げる……』

 たくさん調べて、ずらずらと打ち連ねてあったメモを、まるごと消す。


考えて、悩んで、必死に仲良くなろうと頑張ったつもりでいたけど、やっぱりダメだった。   

 それどころか、今までどうやって友達と付き合ってきたのかすら、わからなくなっていた。 

 もともと自分が好き勝手振る舞っていただけで、仲良くなる方法だとか、考えたことがなかった。

そもそもが一方的に友達と思っていただけで、みんな友達ではなかったのかもしれない。


 唯李のことを聞いて回っているうちに、彼女が「隣の席キラー」なんて呼ばれていることを知る。

 あの唯李がそんなふうに呼ばれているなんて信じがたかったし、きっと何かの勘違いだろうと思っていた。

 打つ手がなくなって、試しに自分も隣の席キラーだ、なんて言ってみたら、案外反応が良くていい感じ。

 バトルなんて言って一緒にふざけて、ようやく唯李にも変化があって……楽しかった。

 こっちの方向で行けば仲良くなれそうな気がして、うまくいくかもしれないと思ったその矢先。


 ――あたし、本当は隣の席キラーとかじゃないの。だから、そういうおふざけももうやめよう? 


 唯李はこれまで見たことのない、真剣な顔だった。

 また、嫌われてしまった。いや、ずっと嫌われていたのだ。

 それを気づかないふりをして、ごまかしていただけ。


自分は今までどおりやればいいはずだった。それで友達いっぱい。この前は、たまたま運が悪かっただけ。だって間違っていたのは、祖父のはずで、自分を悪く言った友達のはずで……。


(ちがう。悪いのは、間違ってたのは、全部……)


 隣の席キラーなんていうのは、唯李と仲良くなるための、ただのおふざけのつもりだったけども。

 願いを聞いてくれた隣の席の子を裏切って、そしてあるときは追いやって……謝りもせず、自分はまだのうのうとしている。そして今もまた、懲りずに傷つける。


そんな人間には、まさにおあつらえむきな呼び名。

 だって自分は文字通り、本当の……。


(わたしは……隣の席キラーなんだ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

i000000
― 新着の感想 ―
[良い点] もえの過去が知れて重要な回ですね。 [一言] もえ……( •̥ ˍ •̥ )‬
[一言] 皆、闇抱えてる…
[一言] 思っていた以上に頭では考えていたのね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ