わたしは本物
「どした?」
何か察したのか、くるみはいきなり疑問形。
今の話は聞いていなかったことにしただけに、話すかどうか迷う。
「んまぁ、ちょっとね……」
「まあ、そうなるよね~あれは」
唯李が言葉を濁していると、くるみは訳知り顔で一人ウンウンと頷く。
もしや一部始終見られていたか。もしくはすでに彼女たちに話を振られて、一緒に似たような会話をしたのか。
「アタシおせっかい委員長とかじゃないから、好きにすればって感じだけど。嫉妬みたいに思われてもあれだし……いや嫉妬ではないな、全然うらやましくはない」
やはり口に出さずともわかっているらしい。
萌絵のことは叩きもしないし助けもしない。いつものスタンス。
「アタシは別に嫌いじゃないよ。ただめんどくさくなるのはちょっとね……やめていただきたいかな」
口では言いながらも、やっぱり気になるらしい。ツンデレを徹底していく。
そもそもくるみがこんな話をすること自体めずらしい。ここまで言うとなると、ちょっと本気で風向きがよくないらしい。
「ところでそれとは別にさぁ……なんか隣の席キラーがどうとかって、何なの?」
突然出てきたワードに、ブっと吹き出しそうになる。
くるみの口から隣の席キラーというワードが出たのは初めてだ。萌絵が騒いでいたのが耳に入ったか。
「なーんか聞き覚えあるような……前も速見か誰かが言ってなかったっけ? 隣の席キラーがどうたらって」
「あ、あぁ~……ありましたっけね? まぁその、彼は変に頭も染めててちょっと頭がオカシイんじゃないですかね」
「なんかそれって、流行ってんの? なんなの? 隣の席キラーって」
「い、いや~なんていうかな? なんかそういう、ギャグみたいな?」
「なにそれ? しょうもな」
「いやしょうもなってなんやねん」
「え、何? どういうこと?」
「いえ、おっしゃるとおりです。ほんとしょうもないっす」
しょうもないには違いないのだが、人に言われるとなんだかモヤッとする。
この場はしょうもないギャグということにしてごまかすと、
「とにかく、これ以上余計なことすんのはやめたほうがいいと思うけどね。アタシはどーでもいいんだけど、よく思わない子もいるっぽいし……」
どうでもいいと言いながらも、明らかな警告である。
最後にくるみはばしっと唯李の背中を軽く叩くと、それ以上は何も言わずに去っていった。
残された唯李は、またも窓枠によりかかるようにして思案にふける。
(んーどうしたものかねぇ……)
ただでさえ不穏なところに、隣の席キラーだなんだと本格的に広まったらシャレにならない。自分が萌絵にからかわれて終わりなら構わないのだが、こうなると話が変わってくる。
当の萌絵は周りがあまり見えていないようなのが厄介だ。
「……ちょいダンナ」
横合いからこそっと声をかけられる。誰かと思えば慶太郎だった。
「すいませんダンナ、隣の席キラーのこと、園田が藤橋に言ったらしくて……」
慶太郎はあたりを気にするように腰を低くしながら、ヒソヒソ声で話しかけてくる。
とはいえ現在付近に人影はなく、何も堂々としていればいいものを逆に怪しい。
しかしちょうどくるみとも話題になったばかりだ。ここは一つ、釘を差しておく必要がある。
「なんか広まってきてるみたいだからさ……シャレになってないよ? 頼むよ? 君ほんとに」
「いやぁ、園田のバカも本気で思い込んでたらしくて……でももう、あいつにもちゃんと誤解だって経緯を説明してありますから」
「は、はぁっ? 言ったの!? 内緒って言ったでしょ何してくれてんの!?」
思わず声が大きくなったところに、しーっと人差し指を立てられる。
どう説明したのか知らないが、つまり「隣の席キラーでも惚れさせゲームでもなくてあいつ悠己のこと好きなんだってさ」とバラされたというわけだ。
それは黙っとけと言ったのに、勝手に何をしてくれてるのかと。
「いやその、いい加減ややこしくなると思ったんで……。それより、藤橋が前の学校で隣の席キラーだった、なんてのはやっぱり嘘ですぜ。いったいどういうつもりか、いやアホそうだから何も考えてないのかもしれんけども……」
これまでの話の流れからしても、辻褄が合わないのだという。
きっとそんなことだろうと思っていたのでそこまで驚きはないが、これで裏は取れた。
「とにかくオレのほうでもできるかぎり火消しを……」
「いや待て、これ以上余計なことはしなくていい怪しまれる」
「ていうかさ、もう隣の席キラーやめたらいいんじゃ……」
「それはならん。フリー素材はNG」
「は?」
誤解を解くはずが、なぜか今は自分から名乗り出ているよくわからない状況。
とにかく萌絵をおとなしくさせれば大丈夫なはずだ。これまでは大丈夫だったのだ。
「それよりダンナ、いい案が……いやほら花火のときダメだったみたいだから、キャンプファイアーでさ……オレがうまいこと二人になるよう仕向けていい感じに……」
「だ、誰が花火でヘタレたよ!? そういうのいらんの! 余計なお世話よ!」
いろいろとバレてしまっているのがめちゃめちゃ恥ずかしい。
いざこざは前回のことでお互いチャラということにして、もう放っておいてほしいというのが正直なところ。
やたらに協力的だが、できれば慶太郎とはあまり接点を持ちたくないのだ。
なにか余計なことを言うと、この数倍は扱いの面倒な小夜にも話が筒抜けになっていたりするから困る。誰をネタに仲良し兄妹してくれてるのかと。
ややこしくなるから黙って今まで通りに、と再度念を押すと、「とっとけ」と飴玉を握らせて慶太郎を解放する。
(う~~~む……)
またも窓枠にもたれつつ熟考。
下の庭ではビニールプールに自分から飛び込んだのか突き落とされたのか、びしょ濡れになった男子生徒数名が何やら楽しそうに騒いでいる。見ているうちに、あれこれ考える気がそがれた。
結局考えがまとまらないままに、いい加減教室に戻ることにする。
教室前の廊下までやってくると、突然出入り口から女子生徒が飛び出してきた。
「あっ、唯李ちゃんいた! どこ行ってたの?」
萌絵だった。目が合うなり至近距離まで近づいて尋ねてくる。
「や、ちょっと外見てて……なんか面白そうなことやってるな~って」
「なんかやってるの? どこどこ? みたいみたい~」
まさかあったことを全部正直に答えるわけにもいかずそう濁すと、興味津々の萌絵に手を引かれて、先ほどの渡り廊下へ逆戻りになる。
別段面白いことをしているわけではなかったが、窓から庭を覗いた萌絵は「わ~なんか楽しそ~」とはしゃいでいる。
「でもわたしたちのクラスだって負けてないよね。唯李ちゃんのメイド姿楽しみだなぁ~」
「いや、あたしはそんなたいしたアレじゃないし……」
「わたしも唯李ちゃんには負けないからね! バトル!」
萌絵はぐっと握りこぶしを作ってみせると、能天気にも笑いかけてくる。
反射的に愛想笑いを返してしまうが、内心穏やかではない。早くもいつもの萌絵のペースに飲まれそうになる。やはり自分のこういう中途半端な態度がよくないのかもしれない。
一度あたりに注意を配る。周りに人もいないし、絶好のタイミングではある。
「あ、あのさ……」
そう口火を切ると、「何?」と萌絵は首をかしげ気味に聞き返してくる。
何かを期待するような眼差し。それを見て、ぎゅっと喉元が締まる感覚がする。
今度こそ飲まれまいと、意を決して第一声を口にする。
「その……隣の席キラーバトルとかさ、もうやめにしない?」
その発言がまったく予想外なものだったのか、案の定萌絵の表情が曇った。
「なんで? 唯李ちゃんだって隣の席キラーなんでしょ? 言ったじゃん、隣の席キラーは二人もいらないって」
萌絵の言っている隣の席キラーと、唯李の隣の席キラーとは意味が違う。
惚れさせゲーム云々を口にしていないあたり、なんとなくそういうふわふわとしたものなのだろう。結局真似をしてふざけているだけだ。
自分たちの間でだけふざけるぶんには構わない。けれどもこれが広まって混乱を招くようなら、慶太郎の言うとおり、もうやめたほうがいいのかもしれない。
――唯李の好きにしたらいいよ。
不意に悠己の送ってきたメッセージが脳裏をよぎる。
それがどういう意味なのか、ぐるぐると頭の中で回り始めた。
あれにはもしかして、何か別の意味が……。
「それかもう降参~? うふふっ」
固まる唯李に向かって、萌絵は面白おかしく笑いかけてくる。まだまだふざける気満点のようだ。
自分もそうだが、なにより立場がよくないのは萌絵なのだ。きっと周りが見えていない。
ここできっちり言ってやらないと、事態が悪化するのは目に見えている。
今度は愛想笑いでごまかすことはしなかった。
唯李は一度息をつくと、まっすぐ萌絵に向き直った。真剣に、真面目な顔を作って言う。
「だからそういうんじゃなくて。勝手に勘違いされて言われてるだけで……違うから。あたし、本当は隣の席キラーとかじゃないの。ギャグとしても面白くないしさ……だから、そういうおふざけもうやめよう?」
自分にしては、珍しく言い方がきつかったかもしれない。
一見まさにお前が言うな案件かもしれないが、隣の席キラーは、自分にとって特別な意味を持っていた。無意識に口調が強くなってしまっていた。
萌絵は唯李の口元を見つめたまま、黙り込んだ。
その口から、何が飛び出してくるかと体がこわばる。萌絵は表情一つ変えずに唯李を……もっとどこか遠くを見ているようでもいた。沈黙がとても長く感じられた。
いよいよ不安にかられだすと、ようやく萌絵が口を開いた。
「……そっか。唯李ちゃんは、偽物だったんだね」
萌絵の口調は存外に軽かった。かすかに微笑を浮かべてさえもいた。
やっぱり全然堪えてないか、とそう思った矢先。
「おふざけなんかじゃないよ。だってわたしは……」
萌絵はうつむいて、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「本物なの。本当に……隣の席キラーだから」
声は小さく低く、表情は見えなかった。だけど、たしかにそう聞こえた。
萌絵は勢いよく回れ右をすると、あっけにとられたまま立ちつくす唯李を残して、立ち去っていった。