エモエモ教
その翌日。
悠己が登校していくと、昇降口付近で慶太郎と行きあった。
正確には遠目に悠己を見つけた慶太郎が、走って無理やり追いついてきた。朝から声が大きいのと見た目 のせいでわりに目立つ。お互い下駄箱で靴を履き替えながら、
「前にお前に説明したクラスのランクづけだけどさ、早くもバランスが変わりつつあるよな」
「へえ? どんなふうに?」
「いや見てわかるだろ、藤橋が勢力を広げてるんだよ。まったくお前は脳天気でいいよな」
「脳天気というか、その藤橋が勢力を広げることによって慶太に何か害が?」
「友達をいきなり論破しようとするなよ泣くぞ。はいはいそうだよ関係ないよ、どうせ蚊帳の外だよオレは」
いつもの騒ぎたいだけらしい。藤橋が目立ってきていよいよ目に余る、というのだ。
それよりも悠己が藤橋で思い出したのは、昨日の萌絵からのラインのことだ。
「あのさ、俺ってケチかな?」
「なんだよ急に」
「たまには慶太にジュースおごるよ」
「は? 気持ち悪いわ、なに企んでんだよ」
変に警戒されて拒否られた。
それどころか「誰かになんか言われたのか? まぁ気にすんなよ」と逆にジュースをおごってくれた。
自販機の前でジュース片手に慶太郎と小休止をとる。
「いやでもよ、転校してきて一週間かそこらでこれはちょっとヤバイぞ」
「というと?」
「荒れそうなんだよな、いろいろと。ただでさえうちのクラスには隣の席キラーってのがいるわけだし」
「ああ、そういえばそんなのもいたね」
「いや忘れんなよ。つうかお前さ、マジで……」
「やあやあ、二人とも。こんなとこで何を話し込んでいるんだい?」
慶太郎が言いかけたところで、眼鏡をかけた長身の男子生徒が話に割り込んできた。
やけに馴れ馴れしいと思ったら園田だった。朝からご機嫌のようで口角上がり気味、こころなしか顔の肌つやもよい。
それとは対称的に慶太郎は「うわ出たよ……」とバツの悪そうな顔になって、
「隣の席キラーのことだよ。そうそう、園田お前もさ……」
「そんなことより萌絵ちゃんはどんなスイーツが好きだと思うかい?」
「こいつにいたってはもうどうでもよさそうだしな」
やれやれ、と慶太郎は悠己に目配せをしてくる。
隣の席キラーうんぬんよりも、今や園田はすっかり萌絵にお熱らしい。
「僕はクラスの男子の中でもかなり……いや一番彼女としゃべっていると言っても過言ではない」
自信があるのかないのかよくわからない口ぶり。
席が近いせいか、萌絵と園田が何事か話しているのはたまに見かける。
「いつもなにをしゃべってんだよ?」
「なあに、たわいもないことさ」
園田は「フフン」と得意げに鼻を鳴らすばかりで、まともに答えようとしない。
呆れ顔をした慶太郎が「もう行こうぜ」と悠己を促すと、園田が待ったをかけてきて、
「そういえば隣の席キラーというと……萌絵ちゃんは鷹月唯李のこともよく聞いてくるな。二人は過去に同じ学校で同じクラスで、友達だったとか」
萌絵があちこち触れ回っているらしく、その事実はクラスメイトのおおよそが知るところらしい。
ただ萌絵本人よく知っているはずなのに、唯李のことをあれこれ尋ねてくるのは少し妙でもある。
「仲が良かったというのも昔の話だろう? まぁ今の鷹月唯李のことなら僕のほうがよっぽど詳しいさ、隣の席だった僕のほうがね」
「本当かよ? それはそれでキモいわ」
「そうそう、それでふと思ったのだが、彼女も隣の席キラーになんとなく似てるような気がしないでもない……」
「それはオレも思った!」
慶太郎がすかさず園田の顔を指差す。
珍しく意見が一致するらしい。
「なんか既視感があると思ったらそれだよ。隣の席になったやつならピンとくるだろ?」
慶太郎はそう言って悠己にも同意を求めてくるが、すぐには即答しかねた。
似た印象がある、というのは同感ではあるが、表面上似ているようでその実全然似ていないような気もする。
つまり隣の席キラーに似ているのであって、唯李には似ていない。
それが一番しっくりくるような感じがするが、自分で考えていてわけがわからなくなってきた。
そのうちに園田が会話を遮って、
「まあ今はそれよりとにかくモエモエ~……いや、エモエモ~なわけだよ。どうだい? 速見くんもエモエモ教に入らないかい?」
「うわなんだこいつ、ついに来るとこまで来たか。何がエモエモ教だよ恥ずかしくねーのか」
「キミだってイケメンとか言われて、まんざらでもなかっただろうに」
「いやあのあと家で妹に『イケメン? どこが? 失敗雰囲気イケメンもどきじゃなくて?』とか言われたんだが?」
小夜に一発で現実に引き戻されたようだ。
園田はかわいそうなものを見る目をして、慶太郎の肩を叩くと、
「とにかくだ。僕も今日は覚悟を決めてきた。もう時間がないのでね……見ててくれたまえ。園田賢人の生き様ってやつを」
「なにする気だよ? やめろよ犯罪的なことは。悠己、もうこんなヤツ放っといて行こうぜ」
「エモエモ~」
「お前もかよ、どうなってんだよ」
「いやなんか面白そうだから」
「どこが面白いんだよまったくしょうもねえ。モエモエだか燃えるゴミだかなんだか知らねーけどよ」
「あれ、今回はずいぶん振ってくね」
「いやちげえよ、これ前フリとかじゃねーから」
そんなことを話しながら、一行は教室へ。
先頭の慶太郎が後方の引き戸から室内に入っていくと、ちょうど出入り口から廊下に出ていこうとした萌絵とぶつかりかける。
「おおっと危ない!」と大げさに身をかわしてみせた萌絵は、
「おはよ~! 慶太郎くん今日も髪型決まってるね!」
にこっと笑いかけて、するりと慶太郎の脇を抜けていった。
かたや慶太郎はというと、ぼうっとその場に立ちつくしたまま動こうとしない。
「エモエモ~」
「もはや様式美」
「いやオレはいいんだよ、オレはいいけどお前はエモエモすんじゃねえよ」
「なんで?」
ようやく動き出した慶太郎は、悠己の顔を見て盛大にため息をついてみせる。なんのつもりか非常に失礼な動作だ。
「お願いします! この通り!」
そのとき背後の廊下から甲高い声が響いた。
何事かと見ると、園田が萌絵の前で床に両膝をついてうずくまっていた。どういうわけかいきなり土下座していた。
「だから言ったでしょ。唯李ちゃんがやらないならわたしもやーらないって」
頭を下げた園田を前に、萌絵はぷいっとそっぽを向いてみせる。
それでもめげずに園田が「なにとぞ! なにとぞ!」と食い下がっていく。
同級生が同級生に全力土下座するというのも、なかなかに衝撃的な光景だ。
悠己はそれを遠巻きに眺めつつ、
「うわぁなんか土下座してる。よろしくないよねこのご時世」
「は、はは、ど、土下座とかマジないよな~……」
「ん? 歯切れ悪いね? 土下座したことあるの?」
どうも慶太郎の様子がおかしい。もしや経験者なのか。
園田は床にへばりついて何事かわめいていたが、萌絵の反応は変わらない。やがて無理だと悟ったのかおもむろに立ち上がると、今度はずかずかと教室に入ってきて、そのまま窓際の唯李の席まで近づいていく。
そしてこちらでも同様に両膝をついて、
「この通りだ! 藤橋さんと一緒に力を貸してもらいたい!」
椅子に座っていた唯李に向かって、二回目の土下座をかました。
園田の言い分を聞くところによると、文化祭で二人にメイド服を着てほしい、ということらしい。催しものを成功させるため、とたいそうなお題目を並べてはいるが、目的が透けて見える。
先ほど言っていた園田賢人の生き様とは、これのことだったらしい。
「あ、その、え、えっとぉ~……」
それに対し唯李は愛想笑いを浮かべながら、もごもごと口ごもるばかりではっきりしない。
やたらと周りを気にしているが、あの調子からすると乗り気ではないだろう。萌絵のようにすっぱり断ることができないらしい。
困惑顔で視線を泳がせていた唯李と、一瞬目が合う。
悠己は土下座中の園田の横を歩いて自分の席に向かうと、机にカバンをおろしつつ声をかける。
「やりたくないならやらないって言ったら?」
「え? あ、うん……」
唯李はこちらを見て驚いたように目を瞬かせたあと、首を垂れた園田の後頭部に向かって「ごめんね」と言う。
するとがばっと体を起こした園田が、立ち上がって悠己に詰め寄ってくる。
「横からなにを言うんだ成戸くん! 催し物の成功は二人にかかってるんだぞ!」
「アツクナラナイデマケルワ」
「くっ、もう少しのところを……。君も見たいとは思わんのかね」
「いい土下座だったよ。感動した」
「そ、そうかい? 練習したかいがあったよ」
言ってることとやってることは最低レベルだったが、姿勢、角度、声の出し方ともにいい土下座には変わりない。土下座損とも言えるがその心意気やよし。
悠己が園田をなだめつつ押し戻していくと、後ろの黒板付近にぼうっと立ちつくしていた萌絵とぶつかりそうになった。
園田が「考え直してくれ、まだ時間はある」などと声をかけるが、萌絵は聞いていないようだった。表情が上の空でどこか様子がおかしかったので、悠己は萌絵の顔の前で手を振りながら尋ねる。
「どうかした?」
「……唯李ちゃん、わたしと一緒にやりたくないんだ……」
「ごめんね」
「なんでゆっきーが謝るの!」
唐突にキレられた。
萌絵は悠己の肩をぐいっと押しのけると、荒々しく自分の席に着席した。
エモすぎる