お互い様
夕食後の成戸宅。
ソファでテレビを眺めていた悠己が、なんともなしにテーブルの上のスマホを手に取ると、ラインが来ていたことに気づく。
『唯李ちゃんって何が好きなのかな?』
萌絵からだった。一言それだけ。
転校初日にラインを交換してからおよそ一週間になるが、こうやってメッセージを送られたのはこれが初めてだ。
意図が読めないままに、とりあえず返信をする。
『ゲームとか? マスブラはもう極めて飽きたとか言ってたかな?』
嘘か本当かわからないが流行り廃りが激しいため、悠己も常に把握しているわけではない。
萌絵は学校でも唯李のところにしょっちゅうやってきてはあれこれ話しかけていて、一緒に帰ったりもしているようだ。
何もこうやって裏で悠己に探りを入れるようなことをする必要はないと思うのだが。
数分後、萌絵から返信が来る。
『ゲームの他には?』
『もう直接本人に聞いたら?』
『教えてくれたっていいじゃんけち!』
(けち……?)
それきり萌絵の返信が途絶えた。やりとりは終わりらしい。
「けちじゃないよ!」と返すのも何か違う気がして考えていると、瑞奈が横からスマホを覗き込んできた。
「誰とライン? もしかしてまた新しい女?」
「言い方」
「この前もマキっていう変なの増えてたよね」
そうは言うが瑞奈だって唯李の姉の真希のことだと知っているはずだ。
それを変なの呼ばわりはどうかと。
「じゃあゆいちゃん? ならついでに『悲報 ちゃんゆい三十連爆死』って送っておいて」
「何それ」
二人は最近やり始めたスマホゲームで何かを競い合っているらしい。
瑞奈はそう言うと、スマホ片手にごろんとソファの上に横になる。今絶賛そのゲームをプレイしている最中のようだ。
「そういえば瑞奈もそろそろ文化祭あるでしょ? なにかやるの?」
「よくぞ聞いてくれました! 瑞奈のクラスは……ドドン! 学習展示会!」
「なにもやらないってこと?」
「そっちはどうでもいいの。瑞奈はさらに美術部として絵を展示をするのだ」
「全然部活行ってないのに?」
そう言うと瑞奈はうっ、と顔をしかめかけたがそれには答えずに、にやりと悪い笑みを作ってみせる。
「くっくっく……あの絵で瑞奈を追放した奴らをざまぁしてやる。今さら美術部に戻ってきてって言ってももう遅い」
「自分から行かなくなったんでしょ」
ざまぁ要素は何もない。
「途中だけどゆうきくんには特別に見せてあげよう」と言って、瑞奈は自分の部屋からスケッチブックを持ってきて広げてみせた。上半身だけの人物画で、男性が手を顔に添えながらやや角度をつけて睨みを効かせている。
「この絵は……ずいぶん変わった人だね。右目だけ赤く光ってるけど」
「それは魔眼ね」
「部分的に白髪になっちゃってるけど」
「これは銀髪」
普通の人ではないらしい。
それにしてもどこかで見覚えがあるような気がしたので、
「なんかのアニメキャラ?」
「ううん瑞奈のオリジナル。闇の力に目覚めたユウキ」
「勝手に目覚めさせないでくれる?」
言われてみるとなんとなく自分に似ている気がしなくもない。
ただとんでもない修正をかけてしまったようで、ちょっとばかり美化がすぎる。
「言っとくけどゆうきくんじゃないよ? ユウキだから」
「あっそう。黒歴史にならない程度にね」
「うん!」
いい返事だが本当に大丈夫なのか。
しかしこうやって文化祭に前向きになっているのはいいことだ。
「去年はなんか文化祭前に風邪引いて休んでたよね。『風邪カモン!』とかいって風邪を呼び寄せて」
「文化祭自体はそうでもないの。あの文化祭準備のときの空気がつらいんや……」
それで本当に風邪を引いてしまうのだからよろしくない。ただでさえ普段の行いが悪いのもある。
しかし前回の花火のときに風邪を引いたのがよほどこたえたのか、瑞奈はあれ以来家でもしっかり服を着るようになった。
だいぶ前に着ていたパジャマを引っ張り出してきていて、女児向けアニメのキャラがガッツリプリントされているがそこは気にしないらしい。
「やっとヒトに進化したか」
「風邪の野郎にはもう負けねえ。こうかわしてこうよけて渾身のボディよ。でも風邪引くとみんな優しくなるからそれも捨てがたい」
「邪悪な考えしてるね。もう次から冷たい態度取ろうかな」
「それはだめよ」
この前の凛央のお見舞いがよほどうれしかったらしく、「凛央が風邪引いたら全力で看病しに行くから!」と言って、恩返しをすべく凛央が風邪を引くのを待っているらしい。
だが唯李いわく、凛央が体調を崩しているのを見たことがないという。さすがの凛央。
「最近夜は涼しくなってきたから、ゆうきくんも寝るときはちゃんと気をつけないとダメよ」
「はいはい」
「はいは三回!」
「はいはいはい」
瑞奈は悠己の頭を手で軽くぺしぺしとしたあと、「あとはできてのお楽しみね」と言ってスケッチブックを閉じる。
簡単な落書きこそよくするが、瑞奈がこうして急にやる気を見せたのが不思議に思ったので、
「前に『もうガチ絵は書かん……』みたいなこと言ってなかったっけ?」
「そ、それは……さよに言われたの。せっかく絵上手なのに、もったいないって……。さよも文芸部で書いたのがちょっとだけ載るんだって」
小夜は文芸部、というのは初耳だ。聞けば瑞奈と同じく幽霊部員気味だったという。
「今までは恥ずかしくて読むだけだったけど、頑張って書いてみたって」
「へえ。小夜ちゃんはどんなの書くんだろう」
「んーなんか女の子同士がイチャイチャするやつ?」
「それは大丈夫なの?」
「あれ、男の子だったかな?」
「それは大丈夫なの?」
やや不安な部分もあるが、やはり小夜の存在は大きい。
文化祭をどうやり過ごすか考えていた去年とは、雲泥の差だ。
「そういうゆうきくんはなんかやるの?」
「あー……2クラス合同でジュース売ったりするって。あと焼き物?」
「ふぅん? ゆいちゃんはなんか面白いことやらないのかな? ステージに上がって一発ギャグとか」
「それは俺が全力で止める」
その絵を想像しただけで恥ずかしい。
間違いなく見ているほうが恥ずかしくなるやつ。
「まぁでも唯李はあんまりそういうの、やらないかもね」
「そうなの?」
唯李は隣の席でこそうるさいが、クラス全体で見ると実際そこまで目立つタイプではない。
むしろ委員長のくるみなんかと比べるとだいぶおとなしめで、自分が自分がというよりかはやれ、と言われてやらされるタイプ。見ていて改めてそんなふうに感じる。
「学校だと意外におとなしい部分もあるからね。S級に媚びへつらってるし」
「へ~。あんな調子でずっとぎゃあぎゃあうるさいんじゃないんだ?」
「うちに来るときはだいたいうるさいけどね。ずっとあんなんじゃないよ」
ときおり周りが見えなくなることもあるが、あれでうまく振る舞っているのだ。よく言えばバランス感覚がある。
そう言うと、瑞奈は急にむふっと口元を綻ばせる。
「あらやだ、ノロケですか」
「何が?」
「俺はゆいのこと知ってるんだぜアピール」
瑞奈がうりうり、と肘でつついてきてそのままエルボードロップしてくるので押しのけつつ、
「俺は唯李のこと知ってるんだぜ~。いいでしょ」
「うっ、斜め上のリアクション」
「やったぜ」
「ふざけないで」
怒られた。さきにふざけたのは向こうのはずなのだが。
少しおふざけがすぎたかと思い直し、真面目に答えてやる。
「そんなことないよ。知り合う前のことだって、ほとんど知らないし」
「へ? そうなの?」
「それはお互い様だけど」
ぽかんと口を開けた瑞奈の顔に、かすかに不安の色が浮かぶ。その頭に手を触れて、髪をなでつける。
過去に触れられたくないというのなら、それを無理に探るようなことをする気はないし、すべきじゃない。それは自分でよくわかっている。
「まあでも唯李のことだから、いきなりわけのわからないことをやりだす可能性もあるかな」
「いいなぁ~ゆいちゃんがいて。楽しそう」
「気になるんなら瑞奈も見に来たら? 学園祭」
「え?」
てっきり「そんな人いっぱいなとこ行くわけないじゃん」と言われるかと思ったが、瑞奈は少し考えるように目線をさまよわせたあと、
「さよも行くって言うかな?」
「聞いてみたら?」
「う、うん……」
瑞奈は一度頷いたものの、スマホを前に手が止まっている。
自分から誘いをかけるのにまだ少し抵抗があるようだ。一言背中を押してやる。
「大丈夫じゃない? 慶太だって凛央だっているし」
「そうだよね、りおもさよたろうもいるし……。う~……でも今電話すると『今日の宿題ちゃんとやりました?』って言われるかも」
さよたろうとは慶太郎のことらしい。
慶太郎が実はあんまり怖くないということがわかったらしく、以前のように露骨に避けるようなことはしなくなった。完全に下に見ているとも言える。
小夜と凛央の間には謎の信頼関係ができているらしく、兄の愚痴だとかそんなのを垂れ流しているのだという。
「さよはちょっと細かいことうるさいんだよなぁ。絶対嫁をいびるタイプ」
最初は小夜が瑞奈を姫姫と持ち上げていたのだが、根が瑞奈とは違ってしっかり者タイプなだけに、最近では上下関係がやや逆転しつつある。
それでも小夜が上げ下げをしてうまくバランスを取っているのか、瑞奈との関係は良好なようだ。
ぶつくさ言っていた瑞奈は、突然スマホ片手に勢いよくソファから立ち上がった。
「ん? どしたの?」
「ちょっと電話してくる。ヒミツのガールズトークよ」
瑞奈は得意げに口元に人差し指を立ててみせると、リビングを出ていこうとする。
その後姿を、悠己は思わず呼び止めていた。
「瑞奈」
瑞奈は足を止めてこちらを振り返った。
不思議そうに見つめ返してくる顔に向かって、改めて言ってやる。
「友達できてよかったね」
瑞奈は気恥ずかしそうに目を伏せて、こくりと頷いた。
そして何を言うでもなく身を翻したが、また足を止めて、まっすぐこちらを向いた。
今度は笑顔だった。
「ありがと、ゆうきくん」
微笑みを返してやると、瑞奈はくるりと勢いよく体を反転させ、リビングを出ていった。
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