下位互換の人
脱兎のごとく教室を抜け出した唯李は、自宅への道のりを一人トボトボと歩いていた。
(なぜだ……なぜ今になって現れた)
突如として現れた転校生藤橋萌絵。
他人の空似だとか人違いだとかそんなことはなく、彼女とは正真正銘、小学生のときクラスメイトだったのは間違いない。
当時の唯李とはまったく正反対の、明るくてかわいくてみんなの人気者。
いわゆるクラスでもトップの女子グループに属していて、そのまとめ担当、面白担当がいる中のかわいい担当。
根っからの明るいキャラで、唯李のような日陰者にも、顔を見ればあいさつをして何事か話しかけてくる。
いわゆる誰とでも仲良くというやつで、唯李とも特別仲良くしていた、というわけではなく、学校で一方的に向こうから話しかけてくる、ぐらいの関係。
だから「友達だったの!」と言われても、唯李としては正直そこまで友達感はない。
萌絵とは一年でクラスが別れて、その後転校していったという話を人づてに聞いた程度で、接点は本当にそれだけ。
当時から彼女とはことごとく波長が合わなかった。
普段の会話からして噛み合わず、わりとずけずけと物を言ってくるところや、やけにグイグイくる距離感。はっきり言って苦手たっだ。
その最たるものが、
――みんな見てみて~! 唯李ちゃんすごい上手だよ!
クラブの時間にスケッチブックに書いた絵を勝手に見られて、勝手に取り上げられてみんなに見せびらかされたことがあった。
お世辞にもあまりうまいとは言えず、好きな漫画のキャラを模写しただけのいわゆるオタク丸出しの絵で、そのせいで男子にも笑われたのを覚えている。
そのときの萌絵は首をかしげるばかりで……おそらく本人に悪気はなかったんだろうと思う。たぶん。きっと。そう思いたい。
けれどそれがトラウマとなって……とまではいかないが、それ以来彼女を前にするといまいちぎこちなくなってしまう。きっと本能が彼女を恐れている。
先ほどクラスでの振る舞いを見ていても、実際目の前にしたときも、唯李の記憶にある萌絵とほとんど変わっていなかった。驚くほど変わってない。
(あたしのことなんて忘れてるだろうな~って思ってたのになんで覚えてるのよ……)
完全に他人のふりでいこうと思ったのだが通らなかった。
向こうにしてみれば大勢いた知り合いのうちの一人にすぎないはずで、ましてや存在感の薄かった唯李のことなどとうに忘却の彼方だと思ったのにだ。
それに何より、陰気臭かった過去の自分を知っている人物が……それをお軽いノリで暴露されたらたまったものではない。
昔はおとなしい感じだったのにどしたのかなぁ? 必死に頑張ってるのかな? とでも思われようものならば……。
(いや~やっぱりちょっと唯李ちゃんの過去重たいからなぁ~……)
などと頭を悩ませながら帰宅すると、リビングのソファに横たわってスマホをいじいじしている姉を発見した。
真希は「おかえりぃ~」と完全に間延びしきった鳴き声を発する。まだ絶賛夏休み中らしく暇そうだ。
ここは一度、過去を知る人物その一に相談してみることにする。
「ヤバイよお姉ちゃん、ついにあたしの秘められし過去が……」
「ん~? そんなごたいそうな過去あったっけ?」
ゆっくり体を起こした真希が、伸びをしながら大きくあくびをする。
この子豚さんは全然お話にならん。
唯李が物心ついたときからずっとこんな感じの人には、しょせんわからない悩みなのだ。
真希は軽く腰を回して体をストレッチさせながら、
「ていうか唯李はこの間も残念な過去がまた一つ増えたばっかりでしょ? いいとこまでいったのに告白できなかったっていう」
「い、いやだからそれは違うのよ、あそこでそういう惚れた腫れたの話をするっていうのは野暮ってもんよ」
「ふぅん? ラブコメディじゃなくてヒューマンドラマしちゃったんだ? 唯李の分際で」
「いやそもそもコメディじゃねえし? 誰が言ったよそれ」
唯李の反論もものともせず、真希はんふふ……と口もとを隠して笑う。
「……ずいぶんうれしそうですね、妹の失態が」
「うふふ……それはまぁ、なんだかんだでどうせダメだろうなって思ってたから」
「あたしもどうせダメだろうなって思われてるだろうなって思ってたよ」
高度な読みあいにも無事勝利。
その上でこちらも反撃に出る。
「そういえばお姉ちゃんのほうこそどうなったの? 速見くんとごちゃごちゃやってたの」
「さっぱり連絡来なくなったわ。でも私のほうから連絡はしたくない」
「なにその無視され続けてる彼女みたいな」
「あの花火のとき『すいませんちょっと待っててください!』って、いきなり走り出してそれっきりよ? そんなことある? まあ別にいいんだけどね、全然そういうのじゃないし! でももうあんたには興味ないわみたいなのが腹立つっていうかね!」
「そんなんばっかだよね」
あの花火のときの一件、速見兄妹にはなぜかあの日唯李が告白未遂をした、ということになっているらしいが、まああながち誤解でもないのだが、その後なんとか黙っていてもらえないかと必死にお願いをした。
慶太郎は「別にいいけど全然、オレは」と非常に物分かりがよかった。普通にいい人。
かたや小夜には「まあいいですけどぉ~~でもなんでですか? 早く告白してくっつけばいいのに~~」とニヤニヤしながら言われた。はいはいクソガキクソガキ。
「まあ、私は唯李が幸せだったらそれでいいのよ」
「あたしのことよりもっと自分のこと気にしたほうがいいんじゃない?」
「私は唯李が幸せだったらそれでいいのよ」
「ヤバイ、お姉ちゃんがbot化した」
bot化してお話にならなくなってしまった真希を置いてリビングを出ると、自分の部屋へ。
唯李は荷物を置くなりどかっとベッドの上に腰掛け、思案顔で腕組みをする。
萌絵のこともそうだが、悠己のこともあっちはあっちで依然として問題である。
(これ以上失敗するわけにはいかんのよ……。まぁすでにほぼほぼ落ちてるとは思うんだけどね。ていうかもう落ちちゃってると思うんだけど)
真希理論で行くと、花火誘うイコール告白。
来年の花火を誘われた……つまりそういうこと。
しかし単なる瑞奈のバーターとして誘われた可能性もある。
毎年恒例の宴会芸よろしく夏キラーの要請を受けただけの可能性もある。
そもそもマキマキ理論が前提からして破綻している可能性すらある。
(まぁあくまで可能性ね。そこは何事もプラス思考で……とりあえずそっちは時間の問題だとして、やっぱり今の優先度から言うと……)
もし萌絵に過去をバラされでもしたらどうなるか?
今でこそ元帥キャラではあるが、それが実は教室の隅で縮こまってた雑兵だった……などということになれば、悠己はどんな反応をするだろうか。
今まさに仕留めんとするところに、余計な横やりが入るのはよろしくない。
そうでなくても昔の話は誰にも言ってないのだ。顔見知り程度ならば何人かいるが、そこまで過去の唯李を知っている人間はこの学校にはいなかった。
(下手するとせっかく築いてきた今の地位が……今の元帥ポジションが崩れる?)
いっそ包み隠さず悠己に全部打ち明けたら……いや、それこそまさに精神病んで闇落ちした子みたくなってしまう。またうさんくさい石もらってしまう。
「そうだったんだ……辛かったんだね。でも、もう大丈夫だよ(キラキラ」(理想)
「その反動で隣の席キラーの惚れさせゲームとかっておかしくなっちゃってるんだ? またメンタルに効く石多めに出しときますね~(ゴロゴロ」(現実)
さすがにそこまでひどい現実にはならないと思いたいが、とにかく病んだ女と思われるのだけは避けなければ。
それに問題はそれだけではない。むしろこちらのほうが重要かもしれない。
姉にとにかく明るくしろ、笑え、と言われ、かわいくて明るい子……でそのとき真っ先に思い浮かんだのが萌絵だった。
彼女の仕草、言動……無意識のうちにトレースしていた部分があったのかもしれない。
こうして改めて萌絵を目の前にしてみると、笑顔で元気よくフレンドリーに……だとかはモロにパクりで、隣に並ぶとボロが出てしまう恐れがある。
そういう余計なところだけは目ざとい悠己に「なんか似てるし下位互換の人もういらないかもね」とか言われそう。
(いやパクリとかじゃないですし? 自己流アレンジ加えてるし下位互換どころかこちとら上方置換ですけど? いや誰がアンモニアだよ)
そして萌絵にも「なんか唯李ちゃん変わったね? なんかわたしに似てる? え、パクリ?」とでも言われようものなら、まさにアイデンティティ崩壊の危機。
下手すればもうすでに、あることないこと言いふらされている可能性が……。
本当なら萌絵の言動をよく見張っていなければならず、思わず逃げてしまったのは悪手だったかもしれない。
カバンに手を突っ込んでスマホを取り出す。
あのあとどうなったのか悠己に尋ねようかと思ってラインを開いたが、寸前で手が止まった。今ヘンに探りを入れたりすると逆に怪しまれる。
いやでもよりによって、転校初日に萌絵が悠己にそこまで絡んでいくというような流れにはならないだろう。
もともとクラスでは存在感が薄いキャラであるからして、わざわざ萌絵の目に留まるということもなさそうだ。
(ちょっとビビリすぎだよねいくらなんでも。大丈夫大丈夫……でも何? このめちゃめちゃ嫌な予感は……)
なおすでに元帥でもなんでもない模様
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