きれいな唯李
そう尋ねられ、ビクッと背筋を伸ばす唯李。
そのまま固まっている唯李に向かって、萌絵は無遠慮に顔を近づけていく。
「やっぱりそうだ! わたし萌絵だよ、覚えてる?」
満面の笑みを浮かべながら、萌絵は自分の顔を指差す。
至近距離でじっと見つめられた唯李は、わずかに目線をそらしながら、口元をもごもごととさせて、
「あ、あぁ~……」
「すごーい、唯李ちゃんだぁ~!」
唯李はやや腰が引けているようだったが、萌絵はおかまいなしに手を取って握りしめていく。
するとそのやりとりを見ていた小牧が驚いた顔で、
「え? 何? 唯李知り合いなの?」
「あ、いや、まあ知り合いというか……」
「そうなの! 小学生のとき同じクラスで! 友達だったの!」
歯切れの悪い唯李とは逆に、萌絵はキラキラと目を輝かせている。
握った唯李の手をぶんぶんと上下に揺らしながら、
「ねー唯李ちゃん!」
「そ、そうね、あはは……」
「よかった~。知らない人ばっかりで心細かったの」
そう言って萌絵は一度自分の席に戻ると、すぐにスマホを手にして戻ってきた。
「唯李ちゃんライン交換しよ!」
「え? ち、ちょっと今携帯持ってなくて……」
「じゃあとりあえず電話番号!」
「で、電話番号? え、えーっと、いくつだったかなぁ……ちょっとうろ覚えで……」
今日めちゃめちゃスマホをいじっていたと思ったがなくしたのか。明らかに挙動不審である。唯李はいきなりカバンをひったくるようにして脇に抱えると、
「ご、ごめん、ちょっと今日あれだから、卵特売の日だから! 運んで時間内に納品しないと!」
などと言って身を翻すなり、逃げるようにしてそそくさと教室を出ていった。
入り口の戸にもガコっと足をぶつけていったが、何をそんなに焦っているのか。
それを見ていた小牧が呆れ顔で、
「ガチで逃げたよ……なんなの?」
「なら僕が藤橋さんを案内してあげよう。一応隣の席、というよしみもあるし」
声がして振り向くと、いつの間にか傍らに園田が立っていた。
彼女のことはよく知っている、とでも言わんばかりのかつてないほど得意げな顔だ。
するとすかさず小牧が、
「いや園田くんは無理」
「無理? 無理とは?」
「なんかキモいから」
慶太郎ですらなかなかここまで直球はない。
反論しようにも何も言葉が出なかったのか、園田は口を半開きにしたまま黙ってしまった。
めんどくさいのを一発で黙らせるその手際に、思わず悠己も声が漏れる。
「さすが委員長、しびれるね」
「あ、じゃあ成戸くん藤橋さんの案内お願いしていい?」
「え?」
「軽くでいいからさ、いいよね? よし決まり!」
小牧はそのまま強引に萌絵を押し付け、踵を返して教室を出ていってしまった。
残された萌絵はきょとんとした顔をしていたが、すぐに表情を崩してにこりと微笑んでくる。
「わぁ、よろしくお願いしまぁす」
萌絵がちょこんと小さくお辞儀をする。どうやら案内役が確定したらしい。
正直とっとと帰りたかったのだが、ここでS級の命令に逆らうのはよろしくないだろう。それにこれ以上彼女をたらい回しにするのもかわいそうだ。
そうと決まればさっさと事を済ませようと、悠己は「よろしく」と言って先んじて教室を出る。
「あ、ちょっと待って待って!」
廊下に出ると、萌絵が小走りに追いついてきて、隣に並んだ。
「えっと、名前なりとくん、でいいのかな?」
「はい成戸悠己と申します」
「んーなんか固いねぇ?」
「なりとゆうきだよ」
「わたし萌絵だよ! 呼び方はなんでもいいよー? もえ、もえっち……もえぽんとか」
「じゃあ萌絵」
一番発音が短くて済む方法を選ぶ。
いきなり下の名前呼びでぎゃあぎゃあ騒いでいた人たちとは違い、萌絵はまったく抵抗する気配を見せない。
「わたしのほうはなんて呼んだらいいかな? あだ名とかないの?」
萌絵は歩きながら、大げさに首を傾げてみせる。
さらさらと柔らかそうな前髪が揺れて、黒目の大きな瞳がまっすぐ見上げてくる。
「あだ名とかは別にないかな」
「じゃあ今つけていい?」
「んー……かっこいいのにしてね」
「えっとぉ……じゃあ『なっとー』とか」
「そんな臭い? いじめかな」
「じゃあ『シトラス』」
「もう原型ないよね。いじめかな」
「じゃあ『ゆっきー』は?」
「ちょっとかわいすぎるかなぁ」
「『なっとー』か『ゆっきー』だったら?」
「その二択?」
「じゃあ実際呼んでみて決めよう」だとか始まったので、「もう好きにしたら?」と言ってその話題は終わりにする。ややこしいのはやめてほしい。
そして肝心の学校案内はというと、よくよく思えば転校生を案内するなどというのは経験のないことなので、いまいち勝手がわからないことに気づく。
とりあえず廊下を歩きながら、行く手に立ち並ぶ教室を指さして、
「隣に二組があって、その隣が三組。その奥が四組」
「うんうん」
「で、あっちが男子トイレ。女子トイレ」
「うんうん!」
「そこが階段」
「なるほど!」
「見たらわかるでしょ」
「へ?」と萌絵が不思議そうな顔でこちらを見上げて固まる。
悠己も思わずその顔を見返して固まると、萌絵が口を開いた。
「どうしたの?」
「あ、いやごめん……」
(何やってるんだ俺は……)
いつになってもツッコミが来ないので、つい自分でツッコんでしまった。
相手は唯李ではないのだ。ふざけている場合ではない。
しかし萌絵の雰囲気がなんとなく唯李に似ているような似ていないような、そんな空気がしたのだ。
たとえるなら、唯李からしょうもないギャグとかツッコミとか変なひねくれ感とか、そういう不純物を取り除いたような……。
(つまりきれいな唯李……?)
という表現がしっくりくるような、こないような。
そもそも唯李基準で考えるのはよろしくないが、なんだか少しひっかかりがある。
そんなことを思いながら、悠己は通路の窓側に面した水道に近づいて、
「ここが水道。この蛇口をひねると?」
「水が出る!」
(なんだこの会話……)
やはり調子が狂う。自分も悪いのだがこの子もちょっとおかしい。
もしやノリツッコミが来る……? と身構えるがそれこそ唯李に毒されている。
「水じゃなくて蛇が出てくるかもよ。蛇口だけに」
「どういうこと?」
「いやなんでもない」
真顔で首をかしげられるとやりにくい。
こういうときもし唯李ならば……。
(機嫌悪ければ「くだらねえんだよ」で、普通なら「ん、今なんて? もう一回言ってみ?」で、機嫌よければ「いきなり重たい空気にするね~? ヘビーだけにね」とか言うかな?)
いずれにせよしょうもない。
気を取り直して廊下を歩き出そうとすると、萌絵が急に口をつんととがらせた。
「あー、わたしそういうのヤなんですけど! なんでもないとかっていうのヤなんですけど!」
「ヤですか……」
「ちゃんと言いなよ、ほらほらぁ~」
「ヘヴィだぜ……」
結局「くしゃみがでそうででなかった」と適当なことを言って切り抜ける。
水道を離れて廊下を歩いていくと、ちょうど他のクラスの下校ラッシュともぶつかって混雑に飲まれそうになる。
萌絵の前に立って道を作るようにして人混みを抜けると、その先で壁際にたむろしていた数人の男子グループから一斉に視線を浴びた。
さすがにエル●イムはやめようと思ったわけですね
そして↓↓