番外ネタ 花ビーーーム!
日が沈むと暗くなるのは早かった。
はるか頭上で星が瞬き始める。川の向こう岸でデパートのネオンが輝く。虫の音はカエルの鳴き声に覆われていた。
もうよい頃合いと、悠己はカバンから花火セットを取り出す。先日瑞奈と一緒にホームセンターで購入したものだ。
中身は手持ち花火だけのシンプルなもの。無茶をされると困るので危険なものは入っていない。
「さあ、とっとと花火やって帰ろう」
シートの上にぐったりしている唯李に声をかける。
唯李は文句をたれつつも先程まで凛央とバドミントンに興じていた。
しかし途中で「肩の爆弾が爆発した」と言って倒れ込んでそれきりだ。ラケットの振りすぎで右肩が上がらないらしい。
「ほら唯李、早く起きて」
凛央が唯李の体を揺すって立たせようとする。こちらはぴんぴんしている。
「死体蹴りやめろ」などと騒ぐ唯李をよそに、悠己は瑞奈とともに一足先に川べりに降りていく。川辺はところどころ大きめの石が張り出している。
「足元気をつけなよ」
花火セットを抱えた瑞奈に注意する。
砂が細かくなり、徐々に足裏の感触が柔らかくなった。開けた砂利の上で立ち止まると、かたわらの瑞奈が見上げてくる。
「火はどうやってつけるの?」
「これ。俺がファイアー・スターターだ」
先端の伸び縮みする着火式ライターをかざして、何度か点火してみせる。これは百均で買ってきた。
「ひゅ~ゆうきくんかっちょい~。自分の部屋で一人で火見つめてそう」
「ネタだから真面目にとらないでくれる? ろうそく立てると誰かさんが倒しそうで危ないから俺がつけるよ」
「誰かさんって誰?」
「全員」
冗談抜きで全員やりそう。
遅れて凛央が唯李の手を引いてやってきた。まるで重傷を負った仲間に肩を貸すようだ。けれど実際はダメージを負ったふりをしているだけ。
その証拠に唯李はうきうきで花火セットの中身をあさりだした。
「あれ? ロケラン花火ないの?」
「そういう危ないのは入ってません」
「命拾いしたね。ねえこれスーパー大噴火みたいのもないの? しけてんねぇ」
「俺が大噴火してもいいかな」
生き返ったら生き返ったでやかましい。
唯李は花火セットに付属していたろうそくを、平たい石の上に立て始めた。
「ちょっと火貸して火!」と急に場を仕切りだす。手慣れているようだが逆に危なっかしい。結局ライターを奪われ、ろうそくに火がつけられた。
「さて……じゃあ誰から行く?」
準備が終わると悠己は一同を見渡す。
瑞奈が我先に来るかと思ったが、なぜか小石を拾って川に向かって投げつけだした。すぐそうやってよそに気を散らす。
「じゃあ私が」
近くで声がした。凛央の顔がすぐそばにあってぎょっとする。
「トップバッターじゃん。めっちゃやりたいじゃん」
凛央は黙って握りしめた花火の先を宙にかざした。
もはや弁解する気もないらしい。それはいいのだが人の鼻先に突きつけるようにしてくるのはやめてほしい。
「あ、凛央ちゃんそれはダメだよ」
「え?」
「いきなり線香花火とかマナー悪いよ? さては素人だなきさま」
ダメ出しを食らっている。
唯李ルールではいきなり線香花火はなしらしい。好きにやればいいと思うのだが。
凛央はおとなしく花火を持ち替えると、先端をろうそくの火に向ける。
火が燃え移ると、音とともに煙と火花が吹き出し始めた。
「あ、ついた! ついたわ!」
「ずいぶんテンション高いね」
「光ってる光ってる! ふぉおおお!」
「外人のリアクションぽくなってるよ」
「ほら唯李も見て、色が変わったわ! 緑よ緑!」
「ちょあぶねえよこっちむけんな、初心者か!」
また怒られている。
唯李は逃げるように一旦距離を取った。袋の中から花火を取り出して、改めて凛央の隣に立つ。
「凛央ちゃん、火ちょーだい」
「え? これは私のよ」
「何言ってんのこの人」
もういいわ、とろうそくのそばにしゃがみこむ。喧嘩はやめてほしい。
唯李は花火に火にかざす。が、なかなか着火しない。不思議そうに言う。
「あれ? つかないね……これ不良品かな?」
「それ持つ方逆じゃん?」
「え? あ~、ああ! まあお約束ね、お約束。一応やっとこうかなって」
わざとボケたことにしているがいまのは天然っぽい。
持ち手を逆にすると、すぐに火花が音を立て始めた。唯李は「いえーいリオリオいえーい」とごまかすように凛央のもとへ逃げた。
二人の花火を眺めていると、背中を叩かれた。
振り向くと、仏頂面の瑞奈がこちらを見上げていた。
「なんでかってに始めてるの」
「凛央に言って」
「どう考えても最初は瑞奈にやらせるべきだよね?」
「いや知らんがな、自分で勝手に別のことやりだしたんでしょ」
「旧石器時代!」
謎のかけ声を上げながら、ひらべったい石で攻撃してくる。
石を奪い取って放り捨て、代わりに手に花火を持たせる。
「じゃあ瑞奈ちゃんはふたつ同時にいっちゃおう」
「わーい!」
うまくなだめた。
瑞奈は左右の手で一本ずつ持った花火をろうそくに近づける。同時に着火。すぐさま激しい光を伴ってけむりだす。
「みてみてダブル花ビーーーーム! ぶばっしゃーーーぶしゅうううーーーしょわああああ!!」
両腕を広げながら、口で効果音をつけて盛り上げる。うるさい。
「ゆうきくん、リアル鼻ビームするから写真撮って!」
「危ないからやめなさい」
瑞奈は花火を持つ手を自分の鼻先に近づけようとしている。
危険なので真似しないでください。
「わーあたしもロリバスするー! 瑞奈ちゃん火つけてつけて!」
今度は唯李が両手に花火を持って、瑞奈に近づいていく。先端同士を触れさせ、火を移して着火。唯李は両腕を水平に広げて、火花を撒き散らしながらその場でぐるぐる回る。
危険なので真似しないでください。
「ちょっとふたりともはしゃぎすぎよ~?」
「凛央さん、さすがに四本持ちは危ないのでやめてもらっていいですか」
「でも残してもあれだし、全部使わないと」
「賞味期限近いから全部食べちゃいましょに通じるものがあるね」
頼んでもいないのに買いすぎ。
凛央は凛央で自前で用意した大きいろうそくを立てていた。花火の消費スピードがインフレし、二本持ちがデフォになっていく。
「凛央、ドッキングだ!」
「唯李もそうやってふざけないでさ、もっとしんみりといい感じにしてくれない? 見た人が嫉妬に狂うような」
「何? また写真? もういいよそれあきらめなよ、沖縄には勝てないよ」
悠己はしばらくスマホのカメラを向けていたが、戦闘中のような写真しか撮れない。
呆れ顔の唯李が花火を手渡してくる。
「ほら悠己くんもやりなよ」
「俺はいいかな。花火とかもうそういう歳でもないし」
「同い年でしょうが」
「ちょっと君らとは精神年齢がね」
「ん? そんなに花ビーム浴びたいのかな?」
いいからやれ、と花火を押し付けてくる。
観念して受け取ると、先端をろうそくの火に近づける。ひらひらの部分が燃えて、すぐに火花が吹き出した。
「ふぉおおお! 見て色が変わったよ! 黄色だよ黄色!」
「ちょあぶねえよこっちむけんな、また初心者か!」
凛央を見習ってテンションを上げていく。
その当人は瑞奈と一緒に両手持ちしてフルバーストしている。なにやら花火をするのが初めてだったらしく浮かれている。花火大会不参加組が楽しそうにしていて、当初の目的は果たせたようだ。
その後みるみるうちにバケツに使い終わりがたまっていった。荒らされた花火セットの袋には、火花が吹き出すタイプの花火はなくなっていた。
「じゃあぼちぼち本命いきますか~」
唯李が細い花火の束を取り出す。いよいよ線香花火の出番。束を解くと、凛央が半分ほどかっさらっていく。さらに瑞奈と取り合いになる。せわしない。
二人が火をつけ始めて、静かに火花が散り始めた。ゆっくりな光に勢いを飲まれてか、じいっと見入っている。急におとなしくなった。
続いて身をかがめた唯李が花火をろうそくの上に垂らし、点火。
ぱちぱちという音とともに、不規則に火花が弾けだす。唯李は背を伸ばすと、
悠己の方へ腕を持ち上げてみせる。
「見てほら、きれ~。やっぱ大人は線香花火よね」
「よね~」
「……バカにしてない? ほら、花火より君のほうがキレイだよ、とかなんとか言ってもいいよ」
「へっ、きたねえ花火だ」
「陰キャかよ」
「君のほうがキレイキレイだよ」
「誰の顔面が泡ハンドソープまみれだよ」
ツッコミと同時に火花が消えて細い煙がたちのぼった。まるで二人とも滑ったかのようだった。
唯李は燃えかすをバケツにほうると、悠己くんもやりなよ、と促してくる。束ごとわし掴みにすると、「一気に何本やろうとしてんだよ強欲やめろ」とすかさずツッコミが入った。
一本抜き取って残りを渡す。同じく一本手にした唯李が挑戦的な笑みを向けてくる。
「それじゃあ~……恒例の勝負にしましょうかね。どっちが花火長く続くか」
「あ、嫌です」
「やるんだよ」
拒否権はないらしい。
お互いろうそくの火に花火をかざした。先に唯李の手元が、一瞬遅れて悠己の手元が光りだす。
パチパチパチと悠己の花火が弾けだす一方で、唯李の花火はいまいち勢いがない。
「唯李のやつやる気ないね」
「いやいや、勢いいいやつはすぐに散るから。花火に限らずそういうもんだから」
「え、急に自虐?」
「ん? どのへんが?」
真顔がこちらを見た。圧が混じっている。謎の緊張感。
「負けたほうが罰ゲームにしよっか」
「あ、そういうのもいいっす」
「あらら、ひよってるのかな~……あっ!」
唯李が手にした花火の先端からぽとりと赤い塊が落ちた。煙がたちこめ、薄闇からなにか言いたげな目が見つめてくる。
「俺の勝ちだね。じゃ、唯李罰ゲーム。顔面線香花火」
「怖いわ。汚れ芸人でもやらんわ」
もう一回もう一回、と再度勝負を要求してくる。
逆らっても無駄なのはわかっているので、おとなしく再戦を飲む。再びいっせいに着火すると、今度は唯李の花火が長く生き残った。
「イエーイ勝ち~! 実力見たか夏キラーの」
「それもういいよね」
「は? 夏キラーまだこすってけるでしょ」
消えかけの花火から視線を上げて睨んでくる。その背後から、小さい影が腕を回して抱きついた。
「ひゅーひゅーお二人さんお熱いねぇ!」
「ちょ、ちょっと瑞奈ちゃん危ない! 火ついてるから!」
「うぉ熱っつ、熱っ!」
瑞奈と凛央が戻ってきて、また花火の束をかっさらっていく。同時に火をつける本数が増えている。やたらハイになっているが、楽しそうで何より。
「もうこれでラストか~。長く続けよおまえ~」
顔の前にかざしながら唯李が語りかける。
もう残りは見当たらない。瑞奈たちが持っていったのをのぞけば、いつのまにか最後の一本のようだ。悠己は引きちぎられた花火セットの袋を小さく丸めながら言う。
「最後だと思うとなんか寂しいね。なんか夏も終わりって感じで」
「なにどうしたの急に、失って初めて気づく系? そうそう、この最後の感じがせつないのよ」
「そうだシャトル燃やそうか。それで火の玉バドミントンとか」
「あぶねえよ。そんなスポーツマリオでもやらねえよ」
最初に用意したろうそくは消えてしまっていた。
唯李の垂らした花火の先端に、悠己がライターで火をつける。
夏草の香りに焦げた匂いが混じる。朱色の光が暗がりの中に雪の結晶のような形を描いた。はじける火花は音とともに、いくつも重なりあっていく。照らし出された向こう側には、小さな花火を真剣に見つめるまなざしがあった。
やがて光は音もなく地面に落ちた。小さく煙を上げながら色を失い、砂の粒に溶け込んでいく。
ふっ、と目の前が暗くなった。対面から名残惜しそうな声がする。
「終わっちゃったか……」
余韻に浸る、というほどのものではないが、自然と沈黙になった。
唯李はうつむいたまま、短くなった花火の先を眺めていた。ついさっきまでの騒がしさやかましさは、見る影もない。まるで大好きなテレビ番組が終わってしまったときの幼い少女のようだった。彼女の中には何人かの女の子がいて、その子たちがことあるごとにかわるがわる入れ替わっている。そんな気がした。
そのとき近くで煙が上がる。ちょうど瑞奈たちも終わったようだ。
立ち上がると目の前の影も一緒に動いた。火が消えて、星空の明るさに気づいた。その下で笑顔が浮かぶ。
「ふふ、なんか今よかったよね、青春の1ページって感じでエモかったね」
唯李は言うが1ページになるかどうかも怪しい。青春のアルバムとやらにも、もう少し厚みをもたせられたら、と思う。偶然の拾い物で、いつなくしてしまうかもわからないものだけど……それでも今はまだ、手放したくない。だから、いつものように。
「終わりか、はぁ……」
「どしたの溜息ついて。珍しくしんみりしちゃった?」
「花火の後片付けってクっソだるいよね」
「あ、そっち?」
かたわらのバケツを見る。大量の燃えカスが無造作に突っ込まれている。汚い。
「これをここから持って帰って捨てるまでを考えると……」
「大丈夫大丈夫、後始末シーンとか普通カットだから。『夏の終わり、俺はそんな彼女の横顔に見とれていた――』で画面が暗転するから」
「俺は彼女の横顔に見とれながら、後始末をすべて押し付けようとしていた――」
「どんなラストだよ。ちゃんとみんなで片付けよう?」
「そうだね、片付けて家に帰るまでが夏キラーだしね」
「その夏キラーとかいうのもういいよ? 何? 誰?」
取手を持ち上げてバケツを拾う。しゃがみこんでいる二つの影に歩み寄った。
瑞奈と凛央は無言のまま向かい合って、揺れるろうそくの火を見つめていた。
「あぁ……」
「はぁ……」
「ふたりともテンション下がりすぎ」
こちらもこちらで放心状態のようになっている。
「帰るよ」と声をかけると、瑞奈が凛央に向かって面を上げた。
「どうする? おかわりいく?」
「いいわね。自転車でひとっ走りしてこようかしら」
「いやもう帰るよ」
よからぬ企みをぶったぎる。
あまり遅い時間までうろつくのはよろしくない。
「明日もやろっか」
「いいわね。朝十時に集合で」
「やらないって。ていうか早いわ」
瑞奈が最後に写真を撮るというので、三人娘が消えかかるろうそくを前に横並びに集合。
悠己は渡された瑞奈のスマホを構え、三人の前に立つ。
「来年も絶対やろうね!」
瑞奈の言葉に、両隣の二人が笑顔でうなずく。
来年の今頃、自分はなにをしているだろうか。去年の自分が今この場にいわせたら、さぞ不思議に思うことだろう。カメラ越しに映っている光景を、どうやっても信じられないかもしれない。
自分には、一年先のことすらわからない。けれどそれは今に始まったことではない。嫌というほど、思い知っているはずだ。
だから絶対、なんて約束はできない。もし叶わなかったときに、情けなく気落ちして、取り乱すようなことは、したくないから。
「ゆうきくんも! ね!」
一人だけ曖昧な態度だったのを見とがめたのか、瑞奈が念を押してくる。悠己は微笑を浮かべてうなずきながら、三人の笑顔を枠に入れて、スマホカメラのシャッターを切った。
そして俺たちは、バケツを置いて家に帰った――。
はい炎上