花火5
「申し訳ありませんでしたぁあああああああ!!」
あたりに慶太郎の叫びがこだまする。
かたや唯李は突然現れた慶太郎に本気土下座をされて、いよいよ訳がわからなくなる。
「え、ちょ、ちょっと、ど、どうしたの速見くん?」
「申し訳ない! 申し訳ございません!」
慶太郎は額を地面にこすりつけんばかりに頭を下げてただ謝るばかりで、こちらも驚きにうろたえてしまう。
それは小夜も同じようで、
「なっ、なんで謝るの!?」
目を見張らせて見下ろしながら、戸惑いの混じった声を上げる。
そう問いかけられると、慶太郎は地面に膝をついたまま、ようやく顔を上げて小夜のほうを向いた。
「お前がアホなこと言って、迷惑かけてるからだろ」
「あ、アホなことって……だって、隣の席キラーは惚れさせるゲームをしてるって……そっちが言ってたんじゃないの!」
「そんなもん嘘に決まってんだろ、冗談だよ。隣になったやつを惚れさせて弄ぶゲームとか、普通に考えてそんなことするわけねえだろ」
間髪入れずにそう返された小夜は、傍目にもわかるほどにたじろぎだした。
「じ、じゃあなんで、この前わたしにもそんなこと……」
「いやあのときは、オレも売り言葉に買い言葉ってやつでさ、つい……。でもまさか、こうやって本人に突貫するとは思わねえだろ。……だから、悪い! ごめん、本当申し訳ない!」
慶太郎は姿勢を正すと、またも唯李に向かって深々と頭を下げた。
しかし肝心の唯李当人は、この次から次へ進んでいく二人の話についていけていない。
「えっ、ていうか……どういうこと?」
「全部オレです、オレなんです。ずっと前から隣の席キラーだとかって勝手なこと言いふらしてたのも。なんでオレが悪いんです。マジですいませんでした」
怒涛の勢いで謝られているが、そう言われてもいまいちピンとこない。
そもそも隣の席キラーは、てっきり悠己が言い出したものだと思っていた。
それ以前からそんな陰口があることを知らなかったし、人づてに聞いたこともなかったのだ。
「覚悟はできてる。なんだって……」
なおも慶太郎は必死になって頭を下げてくる。
話がこじれにこじれた原因の大元。悠己との勘違いを生んだ張本人が目の前にいて、煮るなり焼くなり好きにしろと全面降伏。
けれどもそれが、せっかくの浴衣が土で汚れるのもためらわず、妹の前で土下座。
そんな情けない姿を晒す慶太郎は、いったいどんな心境で……。
「……いいよ、別に」
唯李はそう言って慶太郎のそばにしゃがみこむと、顔を上げるよう促した。
「悪いことばっかりじゃなかったから。あたし今はそんなに、嫌じゃないかも。だからそんなふうに謝らなくてもいいよ」
――君は、隣の席になった男子を自分に惚れさせる、というゲームをしている。
その一言から始まった奇妙な関係。
まったくの見当外れで、勘違いで……やきもきさせられた回数は計りしれないけど。
いつからか今の状況を、この関係を、楽しい、と思っている自分がいる。
そして瑞奈のときも、凛央のときも。
隣の相手から嫌われまいと、みんなに嫌われまいと、人の顔色を伺ってばかりいた自分に……隣の席キラーが、力を与えてくれた。
あの一言がなかったなら、きっと悠己とも、今もこんなふうには……。
その反応が意外だったのか、慶太郎はしばらく呆然とした顔で唯李を見つめていたが、「ごめん」と大きくがくりと頭を垂れた。
けれどもすぐに見るに耐えなくなり、唯李は「汚れるから」と言って慶太郎を立ち上がらせる。
するとそのとき、成り行きを黙って聞いていた小夜が、突然慶太郎に向かって声を張り上げた。
「なんで……なんでそんな嘘つくの!? 本当は、唯李さんをかばってるんでしょ!? だって、隣の席キラーに騙されて、それが悔しくて……自分を変えようと思ったんじゃなかったの!?」
叫びは震えていた。今にも泣き出しそうだった。
慶太郎はうつむいたままじっと黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「違うよ、もともと隣の席キラーはなんも関係ねえよ。悪いのは全部オレだ。勝手に勘違いして、先走ってコクって振られて落ち込んで……それで妹に励まされて、めちゃくちゃ情けねーなって思って……ほんとダメなやつだなって。だからもっとイケイケになってさ、しっかりしようって思ったんだよ」
「隣の席キラーは関係ないって、じゃあなんでそれをわかってて……」
「隣の席キラーのことも、『いやーやられたよ隣の席キラーに……餌食になったわ~』なんて言ってなんかこう盛り上がってさ、そしたらオレも……冴えないやつから、人気者になれるかなって思ったんだよ。けど実際はオレが一人で騒いでるだけで、周りからはうざがられてろくに相手にもされてなくてさ……。いくら見た目で取り繕ったって、やっぱり根本的にダメで……薄っぺらいやつだって、見抜かれてんだよ」
慶太郎はうつむくと、悔しそうにぐっと唇を噛んで一度口をつぐんだ。
それから一呼吸おいたのち、さらに続ける。
「……オレのこと、初めてまともに相手にしてくれたの、悠己と園田ぐらいだったからさ。だからオレ、嬉しくなっちゃって……一緒になってふざけてたんだよ。いきなり『隣の席キラーは惚れさせゲームをしている』だとか言い出して、あいつらアホだけど、楽しくてさ……。でも本人からしたら、そんなの知ったこっちゃないし、気分悪いだろうから……ごめん! 本当に! あいつらにも、よく言って聞かせるから!」
慶太郎がまたも唯李に向かって頭を下げてくる。
思いがけない告白に、なんと返すべきか戸惑っていると、かたわらの小夜が先に口を開いた。
「それじゃあ……それじゃ唯李さんは、全然悪くないじゃないですか……。むしろ被害者で……わたしが……わたしのほうが、ただの勘違いの大馬鹿野郎……」
「ごめんな、小夜。オレが意地はって言い返したから……」
「それならそうって、なんで……! ダメダメだって、モテなくたって……わたしは……お兄ちゃんが、お兄ちゃんが大好きだったのに……! そのままでいてほしかったのに!」
叫びとともにとうとう小夜が泣きだして、慶太郎が言葉を失う。
当時の唯李もいきなり告白されて、ただびっくりして……自分のことで精一杯で、振ってしまった相手のことまで考えたことはなかった。
何もなかったことにしようと、自分に言い聞かせていたフシもあったかもしれない。
あまりに見た目も雰囲気も変わっていて、高校に入って二学年に上がって再び同じクラスになるまで、唯李もあの速見慶太郎その人だと気づかなかった。
それは実を結ばなかったのかもしれないけども、きっと並々ならぬ努力をしたのだろう。
かつて自分を変えたいと願った自分と似ていて、どうしても他人事には思えなくて……。
いくら自分のせいではないと言われても、小夜の取り乱しようを見て、そのままではいられなくなって……。
唯李は二人に向かって、不敵な笑い声を上げていた。
「ふっふっふ……バレちゃったらしょうがないね……。お兄ちゃんが変わっちゃったのも、隣の席キラーに落とされて、闇落ちしたせいだね」
声音を変えて、余裕そうな笑みを浮かべて……だけども、心臓は激しく鼓動を始めていた。
震える指先をぎゅっと腕に食い込ませて……でも大丈夫、隣の席キラーは、またきっと守ってくれる。
(でもそれって、本当のあたしは……)
「だから小夜ちゃん、恨むなら、隣の席キラーを……」
「うぅぅうううっ!! わかったかこのボケ! アホ! 死んで詫びろ!」
「い、いてっ、痛いって! わかってるって、だから謝ってるんだろこうやって!」
しかし唯李の渾身の決め台詞は、小夜のバカでかい泣き声にかきけされていた。
泣きわめきながら小夜が、グーで慶太郎を危険な殴り方をしている。怖い。
「……ね、ねえちょっと聞いてる? 隣の席キラーのせいで二人は……」
「だって、だって、それじゃあ唯李さんは……悠己さんのことが超好きだけど『隣の席キラーだ!』なんて言って本当のこと言い出せないでいるただの恥ずかしがりのポンコツチキン野郎ってことじゃないですかぁあああああ!!」
「ブフォッ!! だ、誰がポンコツチキン野郎だよ!」
「やっぱりみなっちの言ってたとおりだったんだぁあああ!! せっかく唯李さんが、がんばって勇気を出して告白しようとしてたのにぃっ……告白の邪魔しちゃってずみまぜんでじだぁあああ!!」
これはおかしい。明らかに流れがおかしい。
前回凛央のとき通ったはずの渾身の名演技が通じない。というか泣きわめきまくって全然聞いてない。
隣の席キラーで無事一件落着どころか、まさかの予想外の展開に一転して唯李ちゃん大ピンチ。
(あれ? 今回無理め? ていうかどうしてこうなった? 考えろ考えろ、この窮地を脱するには……)
唯李が必死に頭をフル回転させる横で、慶太郎が目を丸くする。
「悠己が好きで告白……って、え? マジかよ鷹月!? なんでったって悠己なんか……」
「ち、ち、違いますがな! おたくの妹がかってにわけわからんこと言って……」
「でもたしかに、そうするとここまであいつに突っかかってく理由がわからん……」
「い、いやだからそれはっ……」「うぇええん、うぇええん、おーいおーいおいおい」
「ってうるさいな! めっちゃ泣くやん、おーいおーいってどんな泣き方だよにほんむかしばなしか! ちょっと速見くん早く! なんとか黙らしてお兄ちゃんでしょ!」
「い、いや、そう言われてもこんなガチ泣き初めてで……」
「いいから、適当に頭なでてそれらしいこと言えばいいでしょ!」
「雑だなおい……」
わんわんと泣き散らす小夜を、慶太郎がなんとかなだめようとするが収まる気配がない。
(はーこの兄貴はホントつっかえ……ちんたらしやがって、どのへんが速見なんだよ、そんなんじゃなでなで選手権予選敗退だよ)
しょうがねえここは一発ギャグで……と唯李が腕まくりをしようとすると、小夜がいきなりスマホを取り出して、
「ぐずっ、いいでずぅっ、もうわたしが、代わりに! 今から電話で、悠己さんに唯李さんの気持ちを伝えます! せめてもの罪滅ぼしに!」
「え? え、ちょ、いやちょっと待てやゴラァ!! あ、あー残念でしたまた勘違いですぅ、本当は隣の席キラーでした! 惚れさせゲームに決まってるでしょ、隣の席キラー最高! からかって惚れさせるの超楽しい! 絶対落としたるぜ悠己! 首洗って待っとけや!」
「いやだからこの流れでそれはキツイだろ……さっきと言ってること違うし」
「う、うっさいわ、と、とっと隣の席キラーだって言うとろうが! ごちゃごちゃ言ってっとまたキラーすんぞ!? さらに人格変えたろか! いや元に戻したろか!」
「めちゃくちゃ言うな……めっちゃ噛んでるし顔赤くなってるし。いやーなんでオレもコクったんだろうな……あのときはほんとに騙されたわ」
「はいもう未練なし! 騙されただけ! 本人目の前で言っちゃった!」
「あ、あのっ、もしもし悠己さんですか! さっきはすみませんでした、でもとにかく今すぐに伝えたいことが……」
「だからお前は待てって言うとろうがそこぉぉお!!」
勝手に通話を始める小夜の顔面に、今まさに怒りの唯李フィンガーが炸裂しようとしたそのとき。
背後で足音がして、ぬっと人影が姿を現した。
まさかのヒートエンド。こんなのひどいわ…
そして9月30日に双葉社モンスターコミックスからコミカライズ版が発売されます。よろしくお願いします。
という地獄のタイミングで告知