花火4
悠己は急に走り去っていった小夜を探して歩いていた。
隣の席キラーのこともそうだが、先ほどの小夜はどうにも様子がおかしかった。だいたいどうして、一人でウロウロしているのか。
このまま放っておくこともできず、小夜の走っていった方角を追って、再び屋台のある通りにやってきたはいいものの、この人混みではそう簡単に見つかりそうにない。ただでさえ背が低くて目立たないのだ。
一度スマホを取り出して、小夜に電話をかけてみるが呼び出し音が途中で途切れた。おそらく通話を拒否されたようだ。
念のためもう一度かけてみるが、今度はつながりすらしなかった。
とりあえず他の誰かに……と思った矢先、着信があった。慶太郎だった。
「あいつ、いつの間にかいなくなっててさ。電話しても出ねえし……まったく、この前のプールもだけどよ、やっぱり子供を連れてきたのは失策だったわ」
慶太郎がぶつぶつと悪態をつく。
その口ぶりからすると、小夜がひとりでにいなくなったらしい。
こちらも先ほど小夜が悠己のもとにやってきて、一緒に話していたがはぐれてしまったことを話す。
「なんだよそっち行ったんかよ? じゃあもう任せたわ、なんかお前のこと気に入ってるみたいだしさ。こっちはせっかく真希さんと二人だし」
「いやだから今はぐれちゃって、小夜ちゃん携帯の電源も切ってるみたい」
「だから何を騒いでんだよ、だいたいなんでそんなことになってんだ?」
話しているうちに、慶太郎の声がとぎれとぎれになる。
電波が悪いのか、周りの騒音も相まって聞こえづらい。
「もしかしたら、唯李を探してトイレのほうに行ったのかも」
「だからなんでそこで鷹月が出てくるんだよ」
「さっき小夜ちゃんと話をして……唯李のことが気にいらないんだって。隣の席キラーだからって」
そう言うと、受話口で少しの間沈黙があった。
慶太郎もまさかここで「隣の席キラー」なんて単語が出てくるとは思わなかったのだろう。それは悠己だってそうだった。
「隣の席キラーって……それが今なんだっていうんだよ。関係ねえだろあいつには」
「ずっと前に慶太が唯李に振られたこと、気にしてるみたい」
「はぁ? なんだよそれ、まだそんなこと言ってんのかよあいつ……くっだらねえ、バカじゃねーのか、だいたい……」
「くだらなくないよ」
悠己が遮ると、慶太郎は黙った。
だがすぐに、語気を荒くして切り返してくる。
「何なんだよお前もいきなり? 隣の席キラーに速攻落とされて速攻コクって速攻振られたっていう、ただの笑い話だろ? ウケるだろ? そんでお前も一緒に盛り上がったじゃねえかよ? それでいいだろ」
「小夜ちゃんはそうは思ってないみたいだけど。慶太は、本当にそう思ってる?」
「だから、そういうのは寒いっつってんだよ」
慶太郎は吐き捨てるように言う。
そのまま通話を切られてしまいそうな勢いだったが、悠己は構わず続けた。
「本当に違うなら違うって、ちゃんと言ってあげないと、かわいそうだよ」
「知らねえよそんなの、勝手に勘違いしてんだろ? もうほっとけほっとけ」
「だからさ、慶太」
「しつけえな、いいっつってんだろ」
「慶太郎」
はっきり名前を呼ぶと、今度は長い沈黙があった。
受話口の向こう側からも、花火の打ち上がる音が聞こえてくる。
「……わかったよ」
慶太郎の声がして、すぐに電話が切れた。
悠己はスマホをしまうと、小夜を探して再び走り出した。
河川敷の外れ、奥まった位置にある仮設トイレの行列に並びながら、唯李は一人考え事をしていた。
(いややっぱ無理だわ。だいたい焼きそば食って告白とかないわ。そもそも告白って何言うの? 好きです付き合ってくださいみたいな? いやあれだけゴリゴリにツッコんだあとに好きですとかコントですやん)
またも姉に騙された。
花火のお誘いがオッケーならもうオッケーという話だったが、肝心の告白する度胸がない。
というかそもそもシチュエーションが悪い。
花火、といって映画のワンシーンのような何かこうロマンティックな絵を勝手に想像していたが、実際はまったく違う。
とにかく周りが人でごちゃごちゃしていてうるさいし、ムードのかけらもない。
そして今はなぜかトイレに並んでいるという状況。
(それにしてもなんのアトラクション待ちよこれ。もう花火大会じゃなくてトイレに来てるようなもんじゃん)
下手するとこのまま花火が終わりそうな勢いである。
さっきはなんだか妙に意識してしまい緊張して、正直トイレを口実に逃げた部分もあるので、どうしても今……というわけでもない。
多少頭も冷えたしやっぱり戻ろうか……とトイレの列から抜け出ると、急に近づいてきた影とぶつかりそうになった。
「横入りか?」と眉をひそめると、向こうも負けじとこちらを見上げてくる。
いったい何かとよくよく相手の顔を見れば、小夜だった。どこかから走ってきたのか、軽く息を切らしている。
「あれ? 小夜ちゃん……」
「お話があります」
小夜はいつにもまして硬い表情をしていた。
かと思えばいきなり二の腕を掴まれ、さらに外れの草むらのほうへと連行される。かなり強引だ。
「ど、どうしたの小夜ちゃん、どこいくの?」
尋ねるが返事はない。
どんどん人のいない茂みのほうへ立ち入って、人の姿もまばらになってきたところで小夜は立ち止まると、ようやく手を離して唯李に向き直った。
(ヤバイ、ついにシメられる……?)
思い返せば、小夜とは初対面時からどうもギクシャクしていた。
それがここにきてついに爆発……といっても何か恨みを買ったような記憶はないのだが、妙な迫力があってなんだか逆らえない。
唯李の見立てでは、自分が瑞奈と仲良くしているのが気に入らないのかな? というところだ。
いや今日に限っては、もしかしてお小遣いがなくて何も買えずに、気が立っているだけかもしれない。
「あ、あたし今日お小遣いもらってきたから、何かおごってあげようか? りんご飴食べる?」
「いりません」
「じ、じゃあかき氷?」
「ふざけないでください」
さらに油を注いだ。違ったらしい。
するとそのとき、不意に懐の唯李のスマホが鳴った。取り出して見ると、悠己からの電話だった。
「悠己さんですか?」
「あ、うん。そうみたい……」
おそらく戻りが遅いのを気にしているのかもしれない。
言いながら電話に出ようとすると、それを遮るように突然小夜が叫んだ。
「どういうつもりなのかわからないですけど……もうやめてください!」
「えっ?」
「悠己さんをおちょくって、面白がってるんでしょう!」
小夜の剣幕に驚いているうちに、着信がやんだ。この空気は今電話を返せそうな雰囲気ではない。
それにしても何をこんな必死になっているのだろう。
いやさんざんおちょくられてるのこっちだからね? と出そうになったがまさかここでそんなことは言えない。
「そ、それはどういう……?」
「隣の席キラー……その気もないのに人を弄ぶようなことをして!」
小夜の口から、まさかの単語が出てきて目が点になる。
「と、隣の席キラー? ち、ちょっとなんのことか……」
「とぼけないでください! 無駄ですよ、すでに裏はとってあるんです! 隣の席になった男子に思わせぶりな態度をとって振る、惚れさせゲームをしている隣の席キラー……!」
一気に早口でまくしたてられて、頭がこんがらがる。
こんなこといったい誰が小夜に吹き込んだのか。いったい誰が……。
(いや心当たりありすぎぃ……)
やっぱり悠己が、いや慶太郎が……。
いずれにせよ問題は小夜のこの剣幕である。
この重たい感じ……最近よくあるアレだ。そう、ついこの間も急に凛央が……。
(そんなんばっかよもう、なんか知らないところでそんなんばっか!)
しかしここにきて謎はすべて解けた。
初対面からずっと怪しい雲行きだと思っていたら、つまりそういうことだったのか。
(せやかて唯李、どないするんやこれ……)
こうやって人から敵意を向けられるのには、どうやっても慣れそうにない。
小さい子供のときならいざ知らず、まさか泣いて家に逃げ帰るわけにもいかないのだ。
「そ、それはねぇ、勘違いっていうか思い違いっていうか……」
「勘違い? それだったらきちんと説明してください!」
いけない、これはすでに謎スイッチが入ってしまっている。
なんとか、どうにかして切り抜けなければ……と唯李が頭をフル回転させていると、そのとき横合いの草むらから足音がして、ぬっと人影が姿を現した。
「やめろ、小夜」
何者かと思えば、派手な頭で浴衣を着た男性……慶太郎だった。
こちらもどこかから走ってきたのか、若干息を弾ませながら唯李と小夜の間に割って入ってきた。
「鷹月は隣の席キラーなんかじゃねえから」
慶太郎は小夜に向かってそう言い放った。
そしてまっすぐ唯李に向き直って、その場に両膝をついたかと思うと、いきなり地面に両手をついて勢いよく頭を下げた。