花火3
小夜は真希と慶太郎の後について、屋台が並ぶ通りの人混みを歩いていた。
先を行く兄はこちらを顧みもせず、上がり始めた花火にも目を向けることなく、しきりに真希に話しかけては軽くあしらわれている。
かたや小夜も花火の上がった空を見上げることはせず、うつむきがちに無言で二人の後ろをついていく。
「いやぁ~でもそんときのがマジで……」
視線の先で慶太郎の足元、使い古した汚らしいサンダルが目につく。
花火だからと浴衣を用意してきたはいいが、足元までは手が回らなかったようだ。
見た目だけ取り繕ってカッコつけたところで、結局中途半端なのだ。やることなすこと。
夢中になってしゃべり続ける兄に対し、もやもやとした気持ちが湧き上がってくると、話を適当に流していた真希が、立ち止まって小夜を振り返って言った。
「小夜ちゃん、なにか食べる?」
「……いえ、いいです」
にべもなくそう答えると、真希は少し困ったような顔で笑った。
すかさず横から慶太郎が、
「真希さんいいっすよ、マジかわいくないんすからこいつ」
「やめなさいよそういうの、お兄ちゃんでしょ? 曲がりなりにも」
「いやいやお兄ちゃんて! ウチはそういう感じじゃないっすから」
(なんでわたし、こんなところにいるんだろう……)
「瑞奈が風邪で行けなくなっちゃったんだけど、どうする?」と悠己から連絡を受けたときに、来るのをやめればよかった。
今回は誘いを受けたからとはいえ、もともと花火大会の会場までやってくるようなガラではないのだ。
こんな間近で花火を見るのは、初めてのことだった。
(初めての花火……)
まだ小夜が小学生だったとき。
両親は共働きでいつも忙しくて……ずっと花火には行ったことがなかった。
子供だけで行くのはダメと言われていたけど、「今日は仕事で遅いから早く戻ってくればバレない」と兄が言って、二人でこっそり家から自転車で会場へ向かった。
少し……いや今思えばかなり遠い道のりで、やっぱり時間がかかってしまって、途中で兄が「近道しようぜ!」と言い出して脇道にそれて、そこで泥道にはまってしまって、タイヤがうまく回らなくなって引き返して……結局そのときは会場まで来られなかった。
それでも自転車を押しながら近くに偶然公園を見つけて、そこのジャングルジムの上に登って、一緒に花火を見た。
兄は「ごめん、ごめん」としきりに謝っていたけども、小夜は満足だった。今も思い出せる、一番きれいだった花火の記憶。
そのときの映像がふと頭をよぎるが、小さく首を振ってすぐに打ち払う。
そんなことは今となってはもうどうだっていいことで、今日来たのにはもともと別の目的があったのだ。
この前の電話のときに瑞奈が「唯李が悠己に告白するかもしれない」という聞き捨てのならないことを言っていた。
(もしかして、嘘告白とか……?)
もしそんなことをするつもりならば、ここで唯李の狙いを……隣の席キラーによる暴挙を、なんとしても阻止しなければ。
小夜は二人の注意がそれた隙に、人混みに紛れるようにしてその場から離れると、悠己たちが歩いていったほうを目指して移動する。
二手に分かれたといっても、同じように屋台を見ると言っていたから、おそらく河川敷の広場のどこかにいるはず。
私服と浴衣の男女ペアを目印に、周りを観察しながら屋台の立ち並ぶ広場を歩く。
この混雑の中から二人を探し当てるのは難航するかと思ったが、悠己たちはわりかしすぐに発見できた。
いつもの特徴のある調子で、悠己を咎める唯李の声が聞こえたおかげだ。
本人たちはどう思っているのかしらないが、結構目立っている。
毎度思うのだが唯李のあの変にドスを利かせたようなツッコミは、やっていて自分で恥ずかしくないのだろうか。
遠目に見ても、二人はやっぱり楽しそうで、傍目にはカップルのようにも映るだろう。
特に唯李のほうは、みんなでいるときよりもイキイキとしている気がする。
ただそれは演技かもしれなくて、その真意が計れないことには、何事も信頼できない。
しばらく尾行を続けていると、屋台で買い物を終えたらしい二人は、広場を離れて土手のほうへ向かい、そちらにシートを敷いて腰を落ち着けた。
ここでもお互い仲よさげに会話をしながら、食べ物飲み物を口に運んでいる。
そしてそれがひととおり終わると、何事か話したあと、おもむろに唯李が立ち上がってその場を離れていく。追加で何か買いに行ったのか、それとも別の要件か。
一人になった悠己は、スマホを空に向かってかざしていた。
花火の写真か、もしくは動画を撮っているようだ。もしかすると来られなかった瑞奈に、見せるためなのかもしれない。
(悠己さん……)
これほどに悠己のことが気になるのは、彼が優しかった兄にどことなく似ているからなのかもしれない。
瑞奈のことが羨ましくもあり、だからこそ、万が一にも自分たちの二の舞のようになってほしくはない。
行動に出るのは、もう少し二人の様子を見てから。
そう思っていたのだが、小夜はその姿を見るなり、いてもたってもいられず悠己の前に躍り出ていた。
「あれ? 小夜ちゃん?」
小夜に気づいた悠己が、少し驚いた声を出す。
小夜は今にも問いただしたい衝動をこらえ、ひとまず尋ねる。
「……唯李さんは?」
「ああ、トイレ行った」
トイレだとしたら、かなり時間がかかるだろう。
ここに来る前に通りかかったときも、すでに相当な行列ができていた。
ちょうどいい今ここで話を……と思ったが、すぐ近くで男女グループが騒がしくしていて、声を張らないと聞こえにくい。
「……ちょっと、お話があります」
そう言うが悠己は「ん?」と首をかしげるばかりで話が進みそうにないので、小夜は強引に悠己の腕をとって立ち上がらせると、そのまま手を引いて人気のないほうを目指して歩き出した。
我ながら大胆な行動だったが、もう止められないほどに尻に火がついた状態だった。
土手を降りてアスファルトの道をそれ、どんどん明かりのない草むらのほうへと入っていく。
するといよいよ不審に思ったのか、悠己の腕が抵抗を示した。
「小夜ちゃん?」
もうこのあたりでいいだろう、と小夜も足を止めた。
振り返って、まっすぐ悠己を見上げて言った。
「隣の席キラーって、知ってますか?」
「え?」
「隣の席になった相手を、惚れさせて弄ぶゲームをしている、隣の席キラー。唯李さんのことです」
言ってやった。
急に驚かせるのはよくないと思って、はやる気持ちをおさえて、あくまで冷静に、冷静に。
しかし悠己はまったく驚くことも、顔色ひとつ変えることもなく答えた。
「知ってるよ」
「し、知ってる……?」
予想外の答えが返ってきて、出鼻をくじかれそうになる。
唯李のこと、隣の席キラーのこともすべて知っていて、それでこの態度だというのか。
「知ってるって……じゃあ、それだったらどうして!」
「どうして? うーん、イチから説明すると面倒なんだけど……小夜ちゃんのほうこそ、どうしたの急に? 隣の席キラーだとかって、もしかして慶太になんか言われた?」
「いえ別に……今あの人は関係ないです! そもそも、最初に隣の席キラーってつけたのはわたしですから!」
「へえ、そうなんだ? はは、知らなかったなぁ」
「笑いごとじゃないですよ! 悠己さんは隣の席キラーってわかってて、唯李さんをそのままにしてるって、どういうつもりなんですか!?」
悠己のいつもののんびりとしたペースに飲まれまいと、気づけば小夜は声を荒らげていた。
すると悠己は一度目線を上げて、考える素振りをしたあと、
「俺は……唯李が楽しければ、それでもいいかなって思ってる。俺も、楽しいし……。それにやっぱり唯李は、元気なほうが似合うと思うから」
はっきりとそう言い切られた。
だが、小夜にしたら何を言っているのか理解が及ばない。
普段の調子からして、やはりこの人はきちんとわかっていないのだと思う。
「違うんです、悠己さんは騙されてるんですよ!」
「うーん、だからそれは……」
「ダメなんです! だいたいそんな……惚れさせゲームなんてして、いいわけないでしょう! そもそもうちの兄は、隣の席キラーに振られたせいで、あんなふうに人が変わって……! 昔はあんなんじゃ、なかったんです!」
そう言い放ったとたん、しまった、とあわてて口をつぐむ。興奮してつい口が滑った。
でもはっきりと聞こえてしまったようで、悠己は少し驚いたように目を見張らせた。
「小夜ちゃんが唯李のこと気に入らないのは、惚れさせゲームで慶太を振ったから許せないって、そういうことなんだ?」
「そっ、それは……。もう、どうでもいいんですよあんな人のことは! 女の人のお尻ばっかり追いかけて、そんな……そんな人じゃなかったのに!」
問いかけられて、取り乱してしまって、自分でも何を言っているのかわからなくなった。
だけど悠己は落ち着いていた。いつもの落ち着いた口調で言った。
「俺はそんなふうには思わないけども。慶太は小夜ちゃんのことも、ちゃんと気にしてると思うよ」
「どこがですが! わたしのことのなんて、これっぽっちも気にしてるわけない。あの人は、もう自分のことばっかりで本当にどうしようもなくて……!」
「確かによくないところもあると思うけど……俺は小夜ちゃんには慶太のこと、そうやって言ってほしくないな」
「なんで……なんでそうやって肩を持つんですか!」
話がまったくの平行線で、詰るような言い方になってしまう。
のんきなのも大概にしてほしい、そう思って頭に血が上りかけたが、ここで初めて悠己の声が、表情が、変化を見せた。
「だって……それは悲しいよ」
めったに見せない……いや、小夜が見たことのない表情だった。
言葉こそ少なかったが、それだけでぎゅっと胸が痛んで、怒りはどこかに霧散して、もう何も言い返せなくなっていた。
(なんで……どうして……)
小夜は踵を返すと、その場から逃げ出していた。