天気よーいドン
悠己がプールサイドを歩いてまずやってきたのは、扇状に広がった巨大プール。
一定の間隔で波が押し寄せてくる中を、大勢の人でごった返している。
さざなみプールと入り口の案内看板にもでかでかと書いてあったので、ここの目玉の一つらしい。
「わ~波が流れてくる~。足気持ちいい~」
さっそく唯李が水辺に近寄って、足をバシャバシャとさせる。
そしてそのままプールの中に入っていこうとするので、悠己は背後から待ったをかけた。
「ちょっと待った。入る前にちゃんと準備運動」
唯李は振り返って何か言いかけたが、悠己が気にせず足を伸ばし始めると、結局それにならってしぶしぶ体を動かし始める。
準備運動をしながらそのさまをじっと眺めていると、唯李はなぜか顔を赤くして、水着の胸元部分を手で整え出した。
「……そ、そうやってあんまり見ないでくれるかな?」
「ちゃんとアキレス腱伸ばしてない」
「めんどくさい体育教師か」
「知らないよ断裂しても」
「別にサクセスモードやってるわけじゃないからね?」
そうは言うが準備運動は大切。
ひとしきり終えると、いよいよプールの中へ足を踏み入れる。
徐々に深くなっていくところを腰元まで浸かるが、思ったより水は冷たくない。
「ぬるい」
「いやあたしに言われても」
「なんでこんな人いっぱいなわけ?」
「だからあたしに言わないでよ」
そこかしこに人の群れができていて、ここであまり張り切って泳いだりはできそうにない。
周りで絶え間なくぎゃあぎゃあとうるさいので、これは少し予想と違った。
悠己がくるりと身を翻して引き上げようとすると、
「ちょっと待った、どこ行くの」
「いや人がいっぱいだからさ」
「……だからなに? 指名手配中の犯人か」
「ならいいよ別に、唯李はここにいても」
「出たよお得意の別行動」
文句を言いながらも唯李はあとをついてくる。
さざなみプールから出た悠己は、あたりを見渡しながらプールサイドを練り歩く。
そして次にやってきたのは、特に何もギミックのない直線の競泳プール。
こちらは他のエリアに比べ、だいぶ人が少ない。
悠己はプール隅のふちに一度腰掛けてから、ゆっくり体を水の中に沈める。
そして体を浸らせながら空を仰いで、
「こっちは静かでいいなぁ」
「ここ温泉じゃないんだよね」
プールサイドに立ちつくす唯李がどこか不満そうに見下ろしてくる。
しかしすぐに唯李も腰を下ろして水の中に足を入れると、
「冷たっ、こっち水冷たいな」
などと言いながら、そろそろとプールに体を入れる。
それを横目に悠己が力を抜いて水の中をたゆたっていると、突然パシャっと顔に水がかけられた。
「うぇーいうぇーい」
何かと見れば、唯李がさらにパシャパシャと腕を振って水をかけてくる。
これはいきなりどういうつもりかと睨み返す。
「チッ」
「いや『チッ』じゃなくてさ。ここは『うわ、やりやがったな~! お返しだ~!』みたいな感じにならないわけ?」
「やりやがったな、お返しだ」
「抗争中か」
ここでやり返しても争いは何も生まない。
悠己がわざとらしく手で濡れた顔を拭うと、唯李は「なにそのこれみよがしのリアクション」と言って水をかけるのをやめた。
「やっぱなんにもないプールは面白くないな」
「いやあんたが一目散にここ来たんでしょうが」
「うーん……じゃあれは? あの高いところから滑るやつ。ウォータースライダー」
「うん? あぁ、あるねぇ……」
悠己が奥にそびえるウォータースライダーを指さすが、いまいち唯李の歯切れが悪い。
またお得意の優柔不断かと思い、「じゃ行こうか」と強引に行こうとすると、
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って」
「何?」
唯李は急に二の腕に手をやって体をもじもじとさせたあと、わざとらしい上目遣いをした。
「あのね、唯李ちゃんね……高いとこ苦手なの。えへ☆」
「ふぅん。じゃ行こうか」
「いやいや待て待て」
今度は腕を引っ張られて引き止められる。
うってかわっての仏頂面で顔を覗き込まれて、
「高いとこ苦手って言ってるでしょ? 日本語不自由な人?」
「なにそうやってかわい子ぶってるの? そういうのいいから」
「いやそういうのいいからじゃねえよどういうのだよ。かわい子ぶってねえし」
怒涛の勢いで反論してくる。
ひととおりまくしたてたあと、唯李はまたも弱気そうな表情を作った。
「だからその、苦手っていうか、無理なの」
「無理って、なにそれ。あはは」
「めっちゃ笑ってるじゃん。どう見ても笑うところじゃないんだけど」
「だいたい高いとこ無理って……それじゃ何もできないじゃん」
「いや何もできないってことないよ? 生きてるよちゃんとこうして」
「なんで苦手なんだろうね? 小さいとき高い高いされてそのまま落とされたとか?」
「そういうのないけどね? 勝手にトラウマエピソード捏造するのやめてくれる?」
ならなおさら謎である。
しかしこうやって唯李が明確に無理、と言い切るのは珍しい気がしたので、
「そっか、唯李は高いところが弱点か……」
「いや弱点っていうか、チャームポイントよねある種。萌え要素的な?」
「みんなより若干死ぬ確率が高いってことだよね」
「なんでそういうこと言うのかしらこの子。……というわけでスライダーはいいからさ。ここで泳ぎ勝負しよっか」
「勝負好きだねえ」
「それで負けたほうが~……」
「言いなりはもういいよ」
またなにか余計なことを言いかけたので、先に釘を刺しておく。
すると唯李がまたもバシャっと手のひらで水を押し出して、しぶきをぶつけてくる。
「だから何すんの」
「言いなり波。言いなり拳の派生技よ」
「言いなりはもう終わってるでしょ」
「言いなり拳はスキルポイントマックスで習得したから。言いなり券装備してなくても使えるの」
また意味不明なことを言っている。
かと思えば、唯李はにやっと歯をむいて顔を近づけてきて、
「ん~それかまたデビル化されてえのか~?」
「デビルはほんとかんべんして。謝るから、ごめんなさい」
「そうかそうか~、デビルに恐れをなしたか~」
ご満悦そうに腕を組みながら、うんうんと頷く唯李。
あれは本当に扱いが面倒だから二度とやめていただきたい。
デビル化も諸刃の剣だと思うのだが、本人的にはそうでもないらしい。
「じゃあ~……あたしが勝ったら、悠己くんの弱点を教えてもらおっかな~? 悠己くんのニ・ガ・テ、なものをね」
「苦手なもの……? う~ん、焼きそばに入ってるキャベツとか?」
「言っちゃったよ。しかもなにそのどうでもいい弱点」
「いやどうでもよくはないでしょ」
「うわめんどくせえやつだよこれ」
ああだこうだ言いつつも、結局泳ぎ勝負をするハメに。
距離は五十メートルの直線。お互い並んで壁際について、前方を見つめる。
「あたしが『よーいドン!』って言ったらスタートね。ちょっとでもフライングしたら即負けだから。それはもうボロクソに言うから」
唯李ルールは厳しい。
それだとどう見ても合図をするほうが有利の気がするが、面倒なのでいちいち余計な口は挟まない。
唯李は急に天を仰ぎだして、太陽に向かって手をかざしだしたかと思うと、
「いや~それにしても今日は晴れたね~。こんなに晴れだとあれだね、もうめっちゃ天気よーいドン!」
と言ってフライング気味に飛び出した。
なんとなく予想はついていたがそれにしてもやることがせこい。
唯李に遅れること数秒、悠己は壁を蹴って泳ぎだした。
頭よーいドンの人に★をぶつける会場はこの下になります