鍋こぼし姫
「瑞奈?」
ノックをしても返事がなかったので、そのままドアを押し開けて入っていく。
すると勉強机の椅子に、某真っ白に燃え尽きた人のようにがっくしとうなだれている瑞奈を見つけた。
悠己はその背後に近づくと、ぽん、と頭に手を乗せて撫でてやる。
「……ごめんなさい」
瑞奈はうつむいたままポツリとそう言った。
悠己は手で髪をなでつけながら、
「ううん、俺のほうが意地悪だったよね。ごめんね」
「ゆきくん……」
くるりと椅子を回転させて振り向いた瑞奈は、潤んだ目でじっと悠己を見上げてくる。
怒ってないよ、という意味を込めて笑いかけると、瑞奈は突然腰に腕を回して抱きついてきた。
「ごめんねゆきくん、ごめんなさいぃ……ぐじゅぐじゅ」
「うん、わかった、わかったから。鼻を拭くな鼻を」
ぐっと瑞奈の頭を引き剥がすと、ティッシュを使え、と渡して鼻を拭かせる。
「手大丈夫だった?」
「俺は大丈夫だから。瑞奈もほら、出てきなよ」
「行かぬ」
ここで改心するかと思いきや、瑞奈はぷいっとそっぽを向く。
なかなかに手強い。
「なんで? 今そういう流れだったでしょ」
「これはこれ。それはアレ」
瑞奈は手で変なジェスチャーをすると、またも顔をうつむかせて、
「だって……きっとなにあのポンコツ死ねばいいのにって思われてるよ」
「小夜ちゃんが? そんなこと思うわけないって。なぜそうなる」
「一見ニコニコしてても、絶対心の中で笑ってる」
「外も内もニコニコじゃん、よかったじゃん」
「だからそうじゃなくて! ……あとで学校でも言いふらされてネタにされる。『きゃあ、鍋こぼし姫が来たわよ、こぼれるわーっ! みんな逃げてー!』って」
「ぶふっ……。いや、だからそんなことしないって、大丈夫だよ大丈夫」
「……今笑ったでしょ?」
恨めしげに言うが、今のは笑かしにきたのではなかったのか。
瑞奈はいーっと変顔をすると、くるっと椅子を回転させて背中を向け、スマホを取り出してゲームを始めた。
こうなってはもうどうしようもないと、悠己は小夜のもとに戻る。
再び食卓について隣り合って座ると、
「ちょっとさっきはあれだったけど……鍋こぼし姫とか言わないであげてね」
「鍋こぼし姫……? なんですかそれ……? わたしは全然大丈夫です、成戸さんそういう面もあるんだなぁって、学校とのギャップでむしろ親近感が湧いたっていうか」
そういう面しかないのだがそこは黙っておく。
しかし学校でいったいどんな幻術を使っているのだか。
「なんていうか意外でした。ポンコツぶりが見てておもしろ……あ、じゃなくてすごくかわいいなって」
「うん、そういうのやめてあげてね。本人結構ナイーブだから」
「す、すみません! つい……」
小夜がはっとした顔になってぺこぺこと頭を下げる。
さらりと怪しい発言をしたが、もしかして瑞奈の勘はあながち的外れでもないのか。
「でもやっぱりそうやって気にかけて、優しいんですねぇ……優しい……」
悠己自身褒められるようなことがあまりないので、連呼されるとどうも居心地が悪い。
かたや小夜はじっと悠己の顔を見ながら、大げさにため息を付いてみせて、
「うちの兄とは大違いです。本当にあれはどうしようもなくて……。そう、たとえるなら……キッチンペーパーとトイレットペーパー」
「どっちも紙は紙だよね。ちょっとわかりづらいかな」
「そうですか? じゃあ……エアコンと冷風扇みたいな」
「冷風扇ってまたこれ微妙なたとえが……」
「あれですよ、エアコン買えない貧乏人が使うやつ」
「いやそうとは限らないでしょ。そういうこと言うのやめて?」
「じゃああれです、スイッチとロクヨン」
「いやロクヨン面白いからね普通に」
「えっ? あの変なコントローラーなのに? 最初絶対持ち方違うって言われるのに? え~と、じゃあ~……」
「無理にたとえなくてもいいよ」
ちょくちょくあちこちにディスりを入れていくのはやめていただきたい。
悠己が待ったをかけるが、まだ気がすまないらしく、
「とにかくうちの兄はダメなんです。本当ひどくて……」
「そうなんだ。でもそういうの、あんまり言ったらダメだよ」
「あ、はい……」
小夜はしゅん、とした顔になったが、すぐにまたにこりと表情を緩ませて、
「でもやっぱり優しい……。えっと、あ、あの、お兄さんは……」
「ん?」
「あ、呼び方……名前のほうが……ど、どっちがいいでしょうか」
「いや、どっちでも」
どこかの誰かさんのように呼び方でグチグチ言ったりはしない。
小夜は少し迷っていたふうだったが、「お兄さんは」と改めて言い直して、
「ここって、もしかして二人で住んでるんですか?」
それから小夜による怒涛の質問攻めを受ける。
家庭環境のことなど、尋ねられるがままに話すと、
「はあ、そうだったんですねなるほど……。でもすご~い、すごいすごいすごいす~」
なにか答えるたびにいちいち大げさに褒めたたえてくるので、なんだか頭が痛くなってきた。
一通り質問が終わったあとは、今度はこっちの番だとばかりに小夜の自分語りが始まる。
「わたしも友達あんまりいなくて、家にこもりぎみなので……」
「ウン」
「いい人ぶってるとかって言われるんですけど全然そんなことないんですよ」
「ウンウン」
「裏でネットの掲示板でレスバしてそうとかそういうのももちろんなくて」
「ウンウンウン」
おとなしい子なのかと思ったが、一度しゃべりだすと案外に止まらない。
しばらくして相づちにも疲れてきた悠己は、秘技聞いてないけど聞いているふうを発動する。
これは瑞奈のとりとめのない長話を聞くときに重宝する。自然に会得した。
「気抜くと調子に乗ってぺちゃくちゃしゃべりまくったりぽろっと毒吐いたりするからコミュ障なんだよ友達いねえんだよとかうちのアホ兄に言われるんですけど全然そんなことないですから。だいたいあっちこそ……」
小夜のしゃべりがさながらマシンガントークの様相を呈しだしたそのとき、悠己のズボンのポケットがブルブルと振動する。
普段はそのへんに放り投げてあるスマホが、ポケットに入れっぱなしだったことに気づいて逆に驚く。
何事かと取り出して見ると、慶太郎から電話だった。
↓鍋しぶきがキラキラ光るよ★
鍋しぶきってなんや