「猟犬と黒薔薇」
独りぼっちの少女
去り際彼女はとても寂しそうな笑顔で私に手を振って見送ってくれた
彼女はずっと両親の帰りを待ち続けるのだろう
ずっとずっと
彼女に別れを告げた私はしばしの休息を取るため汽車にのりロンドンへと向かった
「鍵」を使えば一瞬で何処へでも行けてしまうが
この「鍵」は気分屋なのでどこに行くかは運次第だ
それでは体も休まらない
それに景観を楽しみながら汽車に揺られるのもそう悪くわないものだ
数時間でロンドンに到着し、私は直ぐに宿屋を探し
フカフカのベッドに体を沈めた
まだ旅立って数日しか経っていないが
その数日が普通の人生では味わうことの無いような事ばかりで体は疲れきっていた
いや、時間を移動している私にとって数日と言う表現はおかしいのではないだろうか
そんな事を考えているうちに私は死んだように眠りについた
私は不思議な夢をみた
私の目の前には巨大な二人の神が立っている
そしてその神々は今から聖戦を始めようとしているのだ
神々が怒り、響めき、泣き叫ぶその声で海は割れ
殴り合い、切りつけあい、ふみ鳴らした大地は崩れ落ちていく
私はただそれを眺めていた
そして世界は消えていく
その黒い闇の中に消失していく世界の欠片に一輪の黒い薔薇が咲いていた
目を覚ました私は街に繰り出し旅に必要な食料などを買い込んだ
そして宿屋に帰ってからは今まで見た事のスケッチや詳細をこの本に記載していった
そんな穏やかな日々を一週間ほど過ごしてから私はまた旅に出ることを決めた
しかしこんな街中で「鍵」は使えない
突然空中に光の渦が出現してその中に私が入って消えるのをもし誰かが見ていたら大騒動になりかねない
私は夜中を待って人気のない公園へと向かった
満月の浮かぶ静かな夜だ
体の疲れも取れた私は意気揚々と首にかけていた「鍵」を前に向かって構えたその瞬間だった
目の前に黒と青の混ざり合った煙幕のような靄が空中から現れた
その靄はどんどん増え徐々に形を形成していき、子牛ほどの大きさの得体の知れない黒い塊に姿を変えた
それは生き物だった
と言っても到底言葉では伝えきれない醜悪な容姿で
足が六本ある前傾姿勢、形としては虎などの猫化に近いフォルムではあるが
全身が昆虫のような外骨格で覆われ、尻尾はとても細く竹の節のような関節で繋がれた針のような形状
顔は鋭く長い、目は確認できず鋭い牙が口中に生えており青色の唾液が垂れていた
こんな化け物がなぜ急に現れたのだ?扉からか?
いや違う、靄は扉の向こうの何もない所から現れた
もしやこの生物も次元を移動してきたのか?
動揺と恐怖で硬直する私にその生物はジリジリと迫りよって来る
グルリグルリと聞いたことの無いような唸り声をあげながらゆっくりと、しかし確実にこちらに迫ってくる
ダメだ、このままだとやられる
どうする…このまま扉を開いて投げ込むか
いや、走って逃げるか…
だがこの生き物の足の速さや危険性もわからない…
そう考えながら距離を取ろうと軽く左足を後ろに引いた瞬間その生き物は捉えられない速度で私に飛びかかってきた
死を覚悟した
この旅がこんな形で終わるとは…様々な感情や記憶が吹き上げた
しかしその一瞬の永遠を終わらせたのはその生き物の牙でも爪でもなく一本の黒い閃光だった
その眩いばかりの漆黒は私を跳ね除けあのケダモノを切りつけた
飛ばされて空中から地面に叩きつけられるその間私は何があったかまったく理解できなかったがそれをみた
それは一本の薔薇だった
首を切り落とされたケダモノの体から吹き上がる青い血液の雨の中に咲く一輪の黒薔薇だった
私はそのまま地面に打ち付けられ遠のく意識の中で
見たのだ
漆黒の剣を構えた「黒薔薇の騎士」彼女の後ろ姿を




