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黄泉の夢物語

作者: 夜鳴つばさ

妻が死んだ。

私にとってそれはまさしく悲劇だった。

「いってらっしゃい」

あの日も、私を送り出してくれた。

結婚してもう15年以上経ったが、それでも妻の優しさは変わらなかった。




高齢者の誤作動による交通事故に巻き込まれた。

妻はただ、横断歩道を渡っているだけだった。

会社でちょうど仕事に一区切りついた時、電話を受け取り、事故に巻き込まれたと電話があった。直ぐに運び込まれた病院に直行した。

既に妻の顔には白い布がかけられ、全てが終わった後だった。

私は心から絶望した。


何もかもやる気を失った。

一通り逝去の事が終わり、私は会社を休職することにした。

朝起きて、写真を見返して思い出を振り返るばかりだ。

食事も喉を通らない。





今日もまた、ひとり、朝起きて酒を呷りながらアルバムを眺めていた。

目を閉じれば、妻に会える気がする。

肩を叩かれた。

叩かれる?ひとりで?

「私よ。」

ついに幻覚まで見えるようになってしまったのか。

「幻覚じゃない。私なの。あなたと結婚した、私。」

あぁ、声まで聞こえる...。気がおかしくなったのか。

「だから!」

ハッと我に返った。

辺りは草原で、気がつくと背後に小川が流れていた。

家はどこに行ったんだ?

「また、会えたね。」

「....キミは!」

「そう。私は、2週間前に死んだの。」

「いったい、どういうことだ?これは、夢なのか?」

「あなたが見ている夢でもあるし、現実でもあるんだと思う。ここは、紛れもなく死後の世界」

「死後の世界....」

「和風に言うと、隠世っていうのかな。」

「君は、本当にそういうのが好きだったな」

「ええ。ひとまず、生きてた頃みたいに、歩きましょ」

私たちは、近所のスーパーに2人で歩いて買い物によく行った。





「あの小川は、やっぱり...」

「三途の川でしょうね。私は、自分の力で渡ったのよ」

「僕はどうやって、あの川を超えたんだい?」

「私があなたを、あなたの魂を、呼び寄せたの。」

「魂...、信じられないな」

「好きにすれば。でも、これは実際に起きていることなのよ」

「僕は死んだの?」

「死んでない。あなたは現し世の魂だから、ここには長く留まれない」

「君は、死んでる魂として、その現し世には行けないの?」

「代償があまりにも大きすぎる。私もあなたも。でも、」

「でも?」

「今から行くのは、いわば黄泉の国。そこでは、認められれば、私は現し世に戻ることが許される」「ほんとうに?そんな事が?」

「認められればね。私は、あなたとまた暮らしたい」

「もちろん、僕もだ。君がいなくなってから、ほんとうに苦しかったんだ」

「見てたわ。私も同じ。でも、黄泉の国では、それ以上の試練が与えられることになる」

「試練か....タダでは出れないんだね」

「もちろん。でも、あなたを信じてるわ。」

「僕もだ」




黄泉の国に着いた。

そこは、和風というか、中華風というか、そんな城壁で囲まれ、いかにも閻魔大王が住んでいそうな場所だった。

なくよウグイス平安京、という言葉が何故か頭で木霊した。

「やっぱり、舌とか抜かれるのかい?」

冗談で言ってみた。

「ベロ1枚で済むなら、よっぽどそうしたいわ」

どうやら、軽口が通じるような場所ではないらしい。

「どこで、こういったことを学んだんだい?」

「こういったこと?」

「つまりさ、黄泉の国がある場所とか。今から向かう場所とか。」

「ふふ。あなたも、死ねばわかるわ。死んでみる?」

「死んだら、君と....?」

「結婚の契約は、死とともに燃やされる。魂は、巡り会うことができない」

妻は、悲しそうに言った。

「もしかしておたく、生きてない?」

突然、すれ違った汚らしい老婆に話しかけられた。

老婆の声に反応したのか、辺りにいた人がこちらをジロジロ見てきた。

「現し世の魂じゃろ?」

「いいえ、違うわ」

私が話すより前に、妻が遮った。

「この人はね、まだ死んだばかりなの。だから、生を感じてしまうんじゃない?」

「ほんとかいな?」

老婆がジロジロと私の顔をのぞき込んだ。

肌の至る所に泥がついて、来ていた着物は所々が破れていた。

「まぁ、いいけどな、おたくら、蘇りを考えてるなら、やめといた方がいい」

「まさか」

私は妻にあわせ、失笑してみた。

妻もそんな馬鹿なといった顔をした。演技だろう。

「蘇りっちゅうのはな、この世で一番危険な儀式じゃ。現し世でも、隠世でもな。」

「そういう人、よくいるんですか?」

「あぁ、よくいるっちゃ。ワシもな、昔死んだ爺さんに呼ばれて、隠世に来たことがある」

「その時は...?」

「失敗した。酷いもんじゃ。死ぬ瞬間より苦しい。永遠の地獄じゃ。」

「おばあさん、どうもありがとう。」

妻はいつも老人に優しい人だった。

老婆が、突然私の胸ぐらをつかみ、私の目をのぞき込むようにして話しかけた。

「いいか、お前さん。蘇りに間違うたら、死よりくるしいんじゃ、引き返すなら、今のうちじゃぞ

私は老婆の手を振りほどき、妻に目配せして行こうと促した。

「蘇りに間違えたら...」

「間違えない。私は必ず、生き返る」

自分に言い聞かせているようだった。





人通りから離れ、中心からはだいぶ遠くなった。

妻はある井戸の前で立ち止まり、私に向かって言った。

「これが、蘇りの井戸」

「井戸...どうすれば?」

「井戸の中に、入るの。」

「中に?まさか....下に?」

「そう。この井戸の水路は、三途の川の向こう側に繋がっている」

妻の顔は、似合わず強ばっていた。

「じゃあ、この井戸を無事歩いたら...」

「私は蘇る。でも、気をつけなければいけないことがいくつかある」

「きをつけること?」

「私はあなたの後ろを歩く。絶対私の方を見ちゃダメ。それから、井戸の中はもちろん灯りはない。でも、絶対に何かを照らしちゃだめ。」

「でも、照らすものなんてなにも....」

ポケットの中に、昔煙草を吸っていた頃に妻からもらった、懐かしいジッポライターが入っていた。

「いい?なにがあっても、私を見ちゃダメ。きっと、私を見なきゃいけないことが起こる。

私が私自身、明かりを照らすように諭すことがあるかもしれない。

でも、無視して。井戸の水路に従って、歩くの。なにがあっても。」

「君が何を言っても無視する。わかった。」

「そう。それでいい。出口が近づくにつれ、私は私でなくなる。でも、出口からでれたら...」

「きみはいきかえる。」

「もし、失敗したら、私たちが巡り会うことは二度とない」

「え?」

「魂レベルでね。永遠にない。私がたとえ生まれ変わってもあなたと出会える事はないし、あなたが死んで隠世に来ても、私と会えることもない。」

「そんな...」

「蘇りの代償は、それほどまでに大きいの。自然の摂理に反する事だし。」

「でも、僕が間違えなければ、君は蘇るんだね?」

「そう。私の言葉を無視すること。絶対、私の姿を見ないこと。」

「わかった。誓うよ。」

「絶対よ。」

妻の目は、極めて真剣な顔をしていた。

「一緒に縄を上げましょう」

井戸の釣瓶の縄を2人で引っ張り、底で沈んでいた桶を上げた。

見た目以上に桶は重かったが、桶の中に水は入っていなかった。

桶の中に私たちは入り込むと、括りつけておいたはずの縄はいつのまにか解け、桶がゆっくりと下がり始めた。

段々と薄暗くなり、僅かばかりの月明かりさえも届かなくなってきた。

底につくと、そこに水はなかった。

横に向かって洞穴のような洞窟があるようで、どうやらこれが水路とやららしい。

「最初に降りて。洞穴に向かって、歩いて。その先が出口だから。」

「わかった。」

「桶から出たら、私を見ることはだめ。話しかけることもね。」

「わかった。愛してるよ」

「私も。」

私は桶の中から出て、一歩一歩歩き始めた。

そのあとに続き、妻も桶から出たような音がした。

妻が呻いた。

「うぅ..熱い.」

「だ、大丈夫か?」

私は振り返らずに聞いた。

「大丈夫よ。歩いて。」

私は歩き始めた。

妻もついてくる音がした。

この洞穴は、随分暗いが、ジメジメとしていかにも陰気くさかった。

これで虫がいれば最悪だが、この洞穴にはそんな生き物の匂いはしなかった。

あらゆる生命の香りが、魂の匂いが、完全に失せていた。

そこにあるのは静寂と、我々の足音だけが響いていた。

「フーッ フーッ フーッ」

妻の呼吸音が荒い。

おそらく、これが試練なのだろう。

「あぁ....あつい、あつい、あつい....」

妻は、熱いのが苦手だった。

私は風呂の温度は高めに設定するのが好きなのだが、妻は苦手で、よく喧嘩になった。

『そんなに熱いのが好きなら、やかんのお湯でも浴びればいいじゃない』

『君こそ、冷たいのが好きなら庭のホースを浴びればいいじゃないか』

『あーあ。こんなことなら、お風呂ふたつ作るんだった』

妻は、真冬でさえ冷やしたそうめんを食べていた程だった。

「あぁ...裂ける...痛い...助けて...」

よく転ぶ人だった。

もういい歳した大人だったのに、段差に躓き、転んでいた。

いちど、玄関のドアの段差に躓いて、あろうことに家の中で擦り傷をつくっていた。

『まったく...、君は本当によく転ぶね』

『わたしだって、転びたくて転んでるんじゃないんだから!』

『そんなヒートアップするなよ。大人なんだから』

『なにそれ!馬鹿にしてるんでしょ!』

『落ち着けって』

『うるさい!あっちいって!』

これも喧嘩になった。

「どうして...もう嫌だ...もう辞めたい....もう嫌だ...熱い...」

この人には、辞め癖があった。

私と結婚したのも、早く仕事が辞めたいとか、そんな理由だったと思う。

たしか、専業主婦になりたいとか、そんなことを...、

突然頭に情景が浮かんでくる。

『あの人と結婚したのはね、そうすれば、私が働かなくて済むからよ』

私はその情景にいない。

というか、私が初めて見る情景だ。

妻は、妻の妹と喫茶店で駄弁っていた。

『給料がいいわけじゃないけど、でも、有効活用してやるわ』

『旦那さん、クビになったりしたらどうするの?』

『私からもクビってことよ。価値がなくなるわ』

怒りが湧いてくる。殺意さえも芽生えそうだ。

妻は、この女は、こんな奴だったのか。

「あなた...もうこんなことはやっぱり辞めましょう.....あつい、あついの、あつすぎる...」

うるさい。

頭にこの女の言葉がワンワンとこだまする。

頭痛がする。

『元カレの方がかっこよかったなぁ』

『お姉ちゃん、やめなって』

妻の妹が窘めるようなことをいうが、それも冗談のようにいって笑った。

『あんた、なんであんな旦那と結婚すんの?』

こいつの親友だ。

『あの人、悪い人じゃなさそうだけど、つまらなさそうね』

こいつの母親か。

『あの男は、大丈夫なのか。信用ならん』

こいつの父親だ。

妻の、いろんな人が私を罵ってくる。

『たいして顔よくないよね』

『要領悪そう』

『あの人の大学、聞いたことある?』

『いかにも、頭悪そうって感じ』

『友達いんのかな、あの人』

やめろ...やめろ...うるさい。

「あぁ...苦しい。苦しい。」

そうやってくるしめ。

事故に巻き込まれたのは、お前に与えられた罰なんだよ。

「あつい!あつい!あつい!もう嫌だ!嫌だ!」

そうだ。

この女の苦しんでる顔を見てやりたい。

いちど、この女の苦しんでる顔を見れば、私の魂も報われるというもんだ。

咄嗟にポケットの中のライターを取り出して、あかりをつけた。

「あなた...、」

どうだ。

苦しんでる顔は.....。

妻は妻じゃなかった。

人の形をしておらず、おぞましい化け物の姿をして、そこにいた。

しかし、すぐにわかった。

妻は私が振り向いたことに対して、悲しい顔をしていた。

私はハッと気がついた。

今の情景は、試練だったんだ。幻覚なんだ。嘘なんだ。

妻の涙が見えた気がした。

その刹那、洞穴が歪み始めた。

大きな音を立て、妻が井戸の入口の方に吸い込まれて言った。

私は思わず、手を差し出し妻をつかもうとするが、追いつかなかった。

私も同じく、反対の出口の方に吸い込まれたからだ。

そこで、意識を失った。




目を開けると、家にいた。

仏壇には妻の写真があって、相変わらず私の身体の周りには妻の写真が散らばっていた。

テレビでは、高齢者の事故が後を絶たないと番組をやっていた。

「夢か...」

『夢でもあり、現実でもあるだと思う』

愛しい妻の声がこだました。

夢でいいから、また妻と会いたいものだ。

もう永遠に願わぬ夢を。

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