再構築される自尊心
まあ、そうなるように仕向けたわけだが、想定以上に早い変化だった。
この様子なら、そろそろ洗脳の第二段階に入っても良いのかもしれない。単に望むだけの飴を与えたのでは、上下関係が逆転してしまう。あくまで私が上位の立場であることを理解させる為に、飴と鞭の使い分けをしなくては。
しかし……今の尊なら、下手に冷たく接すれば、また最初の状態に逆戻りする可能性もあるな。私にまで裏切られたと、ますます人間不信になられたのでは、今後の実験に支障が出てくる。
吃音とチックが治るまでは、この関係性を保った状態で、様子を見るとするか。
「ど、ど、どうした、の? だ、だまって……ぼ、ぼく、か、かあさんに、な、何か、わ、わ、悪い、こと、し、した?」
「……いや、ちょっと考えごとをしてただけだ。だから、そんな顔をするな。尊。吃音がますます悪化してるぞ」
今にも泣き出しそうな尊の頭をくしゃりと撫でてやって、できる限り尊が安心するような優しい笑顔を向ける。
……面白くもないのに笑うのは得意ではないが、ここ一年でこの笑い方もだいぶ板について来たな。尊が見た時に嘘を感じさせないように、目まできちんと笑う練習をしたかいがあった。
「それより、尊。今日の勉強は進んだか?」
「……う、うん! さ、算数は、ここまで。こ、国語は、ここ。理科と、しゃ、社会は、こ、このくらい、終わったよ」
「ほう。……すごいじゃないか、尊。学習段階が、同世代の子どもに、ほぼ追いついたぞ。よく、一年そこらで、今までの分のブランクを埋めたな。えらいぞ」
「ぼ、ぼく、えらい、の?」
再構築中の自尊心が、より強固なものになるように、大げさな程に尊を褒めながら、戸惑う尊の体を抱き締めてやる。
こう言う時には、皮膚の接触は必要不可欠だ。
「ああ、えらい。尊は、努力家で賢い、良い子だな。……私の自慢の息子だよ」
初めて引き取った時に比べ、子どもらしくふっくらとしてきた尊の頬が、紅潮するのが見てとれた。
「ぼ、ぼくも!」
「うん?」
「ぼ、ぼくも、か、母さんが、自慢! 大好き!」
「そうか。なら、よかった。……私も、お前が大好きだよ」
「か、母さんは、優しい。ぼ、ぼくが、欲しかったもの、全部、くれる……ぼくは、か、母さんの息子になれて、し、幸せ」
ぎゅうぎゅうと私の体を抱き締め返しながら、私の胸元に頭をこすり付ける尊の姿に、わずかに憐憫を覚えた。
自分を実験対象にしか思ってない私に、ここまで依存するだなんて、哀れなことだ。この子が望む「優しい母親」なんて、まやかしだというのに。
……だが、まあ、哀れと言っても、あの劣悪な環境にいるよりはずっとましなのは事実だから、別に構わないか。内心はどうであれ、やっていることは 確かに尊の幸福に繋がるわけだからな。そう考えると、別に哀れでもないか。
「それにしても……驚きだな」
わずかとは言え、自分が尊に対して憐憫を感じるだなんて、驚きだ。自分に、そんな人間らしい感情が存在していたのか。
良い母親を演じることで、その演技に感情が引きづられているのだろうか。なかなか、興味深い。
「な、なにに、びっくりした、の?」
「ああ……尊の髪が、ここまで綺麗になるとは思ってなかったからな」
尊の問いかけを、適当に誤魔化しながら、一年でますます長くなった髪を手ですく。
初めて会った時は汚れていたうえに、栄養不足とストレスで、痛みに痛んでいた尊の髪だったが、あの頃に比べると、だいぶましになったのは事実だ。
「と言っても、切ってはいないから、毛先の方は痛んでいるな。せっかく上の方は綺麗なのに、もったいないな」
「…………」
「まあ、髪なんぞ、痛んでても死ぬわけじゃないし、どうでも良いか」
……そう言えば、自分が最後に髪を切ったのはいつだったか。何かの授賞式の時に、美容院に行ったのが最後のだったかもしれない。
縛ればあまり邪魔でもないから、すっかり忘れてたな。その辺のはさみを使って、適当に切っておくか。そのうち。
「……うん? どうした、尊。そんな風に、私のことをじっと見つめて。何か言いたいのか」
「……か、母さん………」
「うん?」
「ぼ、ぼく……髪、切りたい」
予想外の言葉に、思わず素で目を丸くしてしまった。
「あれほど嫌がってたのに、良いのか?」
「い、いい……もう、い、いらないから」
「そうか。……しかし、尊は、まだ美容院には行くのは難しいんじゃないか? お前、私以外の人間に近付かれると、パニックを起こすだろう」
尊の現時点での精神状態を考えると、第三者との接触トレーニングは、まだ時期尚早な気がする。
と言うか、洗脳の効果を考えると、外部の情報は極力遮断しておきたいので、その辺りは極力先延ばしにする予定だった。
……だがしかし、尊の髪は、実の母親に対する執着の現れだからな。それを切る気になったことは、良い変化だ。変に思い直されても困るので、この機に髪は切らせておきたい。
さて、どうしたものか。
「か、母さん、以外の人は、怖い……」
「そうだよな……」
「だから……か、母さんに、切って欲しい」
「うん?」
……私が、尊の髪を?
「私は、そう言った類のことは、下手だぞ。良いのか? 髪の毛がみっともないことになっても。切ったら髪は、すぐには戻らないぞ」
残念ながら、神は私に手先の器用さは与えてくれなかった。
誰かの髪を切ることも経験がないので、上手く切れる自信は皆無だ。
「い、いい! 母さんなら、ど、どんな髪に、されても!」
「そうか……じゃあ、やってみるか」