マッドサイコロジストの邂逅
経営者が私利私欲を肥やす為に劣悪な経営を行っていると噂される孤児園を、私は敢えて選んだ。
私自身が、養子の引き取り手としては相応しいとも思えなかったので、親としての適性審査等を金で誤魔化せるようにする為だ。
それに、善良な福祉施設によって、せっかく崩壊していた被検体の自尊心が、回復しかけていても困る。それの自尊心を再構築するのは、私の仕事だ。再構築していく自尊心の中に、洗脳言語を練り込んでいくのだから。0から始めるのと1から始めるのとでは、効果が違う。
「それを聞いて安心いたしました! ……しかし、本当に引き取る孤児が、『園内で最も酷い虐待を受けて来た児童』でよろしかったのですか? ……いえ、こちらとしては、助かりますが……」
「ご存じのように、私は心理学者です。精神科医ほどではありませんが、精神的な病についてもそれなりに学んできました。……だからこそ、私は今まで蓄積した知識を使って、かわいそうな子どもを救いたいと思ったのです」
予め考えておいた、耳障りの良い言い訳を口にするも、園長が全く信じていないことは明らかだった。
私でも、こんな偽善的な言葉は信じられないから、仕方ない。
駄目押しのように、私は敢えてわずかな真実を吐露することにする。
「……まあ、それすらも自らの実験の為だと言われたら、否定はできませんがね。被虐待児の心のケアの経過観察だけで、私は一本論文が書けますから」
嘘をつく時は、わずかな真実を混ぜると、一気にその信憑性を増す。
「実験」という言葉に、園長はあっさりと納得した。
「いえいえ、やらない善よりも、やる偽善! 実験の為でも何でも、それが傷ついた孤児の為になるというのなら、素晴らしい志だと思いますよ。……しかし、いくら佐々木教授とはいえ、あれは……」
「そんなに、ひどいのですか? 電話でうかがっていた『彼』は」
「ひどいというか、もはやコミュニケーション自体が不可能というか………基本的には、一日中にうずくまって、人形のように何も話さずに大人しくしてはいるのですがね。ちょっとしたことがきっかけでひどく暴れ出すこともありまして。一度暴れ出すと、動物のように理性が効かず、手に負えなくて。他の子ども達の生活にも支障があるので、彼だけ別部屋に隔離しているのです」
……暴れ出す、子どもか。
暴れ出すということは、まだ自分の意志を表示できているということだから、残存する「自尊心」の現れとも解釈できるが、さて。どれだけものか。
「……ここから、彼の様子が見れるようになってますので、まずは見てみて下さい」
園長に促されるがままに、マジックミラーを覗き込むと、見えたのは独房のような劣悪な環境だった。
押し入れのようなひどく狭い部屋の中には、窓もなく、どこもかしこもひどく薄汚れている。
通常の人間なら、それに怒りを感じるのかもしれかいが、私はむしろその事実に歓喜した。
つまりこれは、私が手を下さずとも、園長が被検体に「監禁」同様の異常環境を与えてくれているということなのだから。
益々、理想的な被検体だ。
「……男の子と伺っていたのですが、ずいぶん髪が長いですね」
「母親から戸籍を与えられずに、女の子として育てられたらしいですから。髪を切ろうとすると、ひどく暴れるので、あのままにしてます」
「彼は戸籍がなかったのですか?」
「ええ。学校に通わせるのが煩わしかったようで。彼は戸籍がないまま、女装させられて、義務教育すら受けることなく9歳まで育てられたのです」
「9歳!? 5歳にも見えないですね……」
「母親から、ろくに食事も与えられてなかったようですから。保護された時は、栄養失調で倒れる寸前で外のゴミを漁っていたようです。体には、あちこち殴られた痣があり、酷い虐待されていたのは明らかなのですが、母親は自分じゃないというばかりで、彼は彼であの状態なので、全容は分かってません」
園長の話を聞けば聞くほど、ぞくぞくとした興奮が湧き上がって来た。
親から自らの性を否定され、虐待の中で育った少年。それと同様な事例を、私は以前見たことがある。ーーアメリカで発生した猟奇殺人犯の生い立ちの中で。
勿論、同じような境遇で育っていながら、全うな生を歩んでいる人もいるだろう。
だがしかし、そのような例外をさし引いたにしても、彼の精神が「歪ませ」やすいことは、確かだ。性と、生。生物としての根源的な部分を、彼は実の母から否定されて育ったのだから。
「彼の名前は……?」
「戸籍がなかったので、名前もなかったようです。母親は、警察の事情聴取で「これ」とか「あれ」とか呼んでいたようで……」
「この施設では、彼は何と?」
「……コミュニケーション自体取れないので、特には。出生届なしで新たに戸籍を取得する手続きも色々複雑で、その辺りは養母になった方にお任せしたいと……」
つまり、丸投げということか。
しかし、その方が私には都合が良いかもしれない。
名前が人を縛る部分は、あるのだから。
「ーー彼と、二人で話をしてみても?」