マッドサイコロジストの狂気
どれほど完璧な仮説であろうと、検証されなければ何の意味もない。机上の空論に過ぎないのだ。
私は自ら行った数々の研究から、その事実を身に染みて理解している。私の想像を超えた予想外の研究結果は、必ず定期的に発生したのだから。
想像して欲しい。99%間違いないと思っていた仮説が、崩れ去った瞬間を。
今まで積み重ねてきた研究が不意になった瞬間を。
まさにそれはーー私が生きている中で一番幸福だと思える瞬間だ。
もっと考察する(しる)ことができる!
新たに仮説を立てる(しる)ことができる!
新たに検証実験する(しる)ことができる!
仮説を立てることならば、一人でもできる。
だが私の脳内という狭い世界を超えた現実は、第三者の存在なくてはあり得ない。
だからこそ、私は仮説の検証に理想的な実験対象を、いつだって求めてやまないのだ。
「ああ……どこかに、合法的に実験を行える被検体は落ちていないものか」
限られた時間ではなく、長期間にわたり、一日中その行動を束縛できるような被検体など、合法的にはそうそう手に入らない。
特に使い道もないので、金はそれなりに貯蓄はあるが、貧しい発展途上国ならともかく、現代日本で誰かの人生を丸々買うのは難しい。
「……高齢出産にはなるが、まだぎりぎり私の卵子は生殖能力を有している。いっそ、適当な男性から精子を買い取って、自らの腹で被検体を作り出すか……いや、駄目だな。どちらにしろ、私の仮説を検証しようとすれば、法に触れる可能性が高い」
たくさんの洗脳実験の資料に目を通したが、どの実験にも共通して行われているのが、「被検体の自尊心の破壊」だ。
「監禁」や「暴力」「拷問」等、苦痛を伴う異常な経験を一定期間被検体に経験させることにより、一度その精神を壊して、実験者の都合のよいように、作り替えるのだ。
人間の持つ「自尊心」とは、言うならば、その人がその人である為の防御膜だ。内包された「精神」に送られてくる情報を取捨選択して、「精神」の健康を守ろうとする一種の濾過装置。
洗脳とは、その防御膜を破壊し、他の不都合な情報を遮断しながら、こちらに都合のよい情報だけを精神に植え付けることに他ならない。
「……自尊心を破壊するのに、最も有効と考えられる手段は、第三者から見れば間違いなく『虐待』と認定されてしまうだろうな」
まだ生まれてもいない我が子に対する同情心などは、微塵もない。母性や良識も、私は恐らく母の腹に忘れてきたのだから。
だがしかし、簡単に違法行為に手を染めることもできなかった。
「……虐待で訴えられ、大学から解雇されれば、今のように実験はできなくなる……論文を手に入れるのも一苦労になるな」
大学教授という肩書は、何かと制限はあるものの、それでも一般人に比べれば遥かに研究に集中できる環境をもたらしてくれることは確かだ。
地位や名声はどうでも良いが、好きな研究に没頭しながら、衣食住足るだけの給与が保障される今の環境は、捨てるには惜しい。
だがしかし、はっきりと虐待とは見なされない程度の自尊心の破壊では、恐らく私が満足できるだけの結果は出せないだろう。
どうすればいい?
どうすれば、合法的に被検体の自尊心を破壊したうえで、その行動を束縛することができる?
どうすれば………。
その時、私の脳裏に、天啓のごとく一つのアイディアが浮かんできた。
「そうか……私が、被検体の自尊心を破壊しようと思っていたのが間違いだったのか。ーー既に第三者の手で、自尊心が破壊された被検体を、手に入れればいいのだ」
「ーーいやあ、まさか高名な佐々木教授から、ご連絡を頂けるとは思いませんでしたよ」
わかりやすい作り笑いを貼り付けた男は、どこか値踏みするような視線で私を見つめた。
その目にはわずかな警戒と、過分な期待の兆候がうかがえる。
「……私も40を過ぎて、一人で生き抜くのが辛くなってきましてね。パートナーにも恵まれなかったもので、せめて養子をと思ったのですが……やはり、シングルマザーで養母になるというのは、難しいですかね?」
「いえいえいえ! もちろん金銭的に裕福ではない独身女性の場合は、特別養子縁組をお断りすることもありますがね。佐々木教授ならば、地位も収入も十分。何の問題があるものですか! 佐々木教授は、堂々となさって下さい。なあに、誰かが何か言ってきたとしても、私が黙らせてやりますよ」
オーバーリアクションで、自身の胸を叩いた男は、その代わり
と言っては何ですが、と話を続けた。
「……うちの園の経営も、なかなか厳しくてですね……国からの補助金なんて、雀の涙ですから。……もし佐々木教授のような、地位が高い方に、寄付と言う形で援助して頂けるとありがたいのですが」
……なるほど。事前に調べた評判通りの男だ。
「ええ、もちろん。ーー無事に特別養子縁組が成立したら、相応の礼はさせて頂きますよ」
ーーその金は全て園長の私利私欲の為に使われ、この孤児園用には一円も残らないであろうことは分かっていても。