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微睡みに落ちる

 口の中が、どうしようもなく乾いた。

 私は今、浸っている液体のせいで首から下の感覚がないが、もし私の体が正常に機能しているなら、心臓は早鐘を打ち、全身に鳥肌が立っていることだろう。


「だって、人体実験の被検体になることを志願したのは、小倉教授だもん。失敗して消える可能性も覚悟の上でしょ。……まあ、もちろん20歳くらいで出すようにとは言われてたけど、それにしたって、うかつ過ぎるよね。共同研究者に裏切られる可能性って、研究者ならもっと想像してしかるべきだと思うけど。すごくよくある話だし。それだけ、俺がなめられてたってことかなー」


 ……それだけ信頼されていたとは、思わないのか。


「お前は……自分のことを格下に見ていた小倉教授が、憎かったのか?」


「え? 全然。寧ろ好きだったよ。だって、すごく扱いやすかったもん。母さんから心理学の知識教えてもらわなくても、何考えてるかすぐ顔に出る人だったから。母さんと違って、栄誉欲とかコンプレックスとかにガチガチに縛られている所とか、可愛いと言えば、可愛いかったし」


「それじゃあ、何故……」


「言ったでしょう? どうでもいいって」


 ーーああ、尊


 お前は、なんて


「どうでもいいんだよ、俺、母さん以外は生きようが死のうが、どうでもいい。母さんが俺の全てだって、言ったでしょう」


 微笑みながら狂気の言葉を紡ぎ続ける尊に、湧き上がる感情を抑えきれなかった。

 ブローチの中の盗聴器を見つけた瞬間から、胸の中からこみ上げて来ていた、その感情の名前は。


 目を瞑って、小倉教授のことを想像してみる。

 小倉教授は、尊のことを異性として愛し、信頼していたからこそ、初の人体実験の被検体と言う危険な役目を志願したのだろう。

 若返って、尊から同年代の状態で愛されることを、望んでいたかもしれない。

 そんな想いが無常にも裏切られた。ーーそれは、小倉教授にとって、どれほどの絶望だっただろうか。

 生命の節理と逆転して、徐々に胎児まで戻り、いずれは受精卵と化し消失してしまう恐怖は、一体どれほどのものだったのだろうか。


 そしてそんな小倉教授の姿を、尊はどんな目で見つめていたのだろう。


 ーー尊。


 私が、13年間育てて来た、義理の息子。


 お前は、なんて


 本当に、なんて


 感情が、決壊する。

 理性が、機能を止めた。


「尊。ーーお前は何て、興味深い経過を、私に示すんだ……!」


 湧き上がる感情の名前は、「歓喜」


 ーーああ、何ということだ! 何という僥倖だ!


 既に分析しきったと思っていた尊が、まだまだこんなに未知の部分を抱えていただなんて!

 こんなにも、研究の余地を残していただなんて!


 ああ、仮説立てたい(しりたい)!


 検証したい(しりたい)!


 考察したい(しりたい)!


 私が、洗脳実験によって、ここまで歪めてしまった(ばけもの)を、分析し尽くしたいー……!!


「尊……とりあえず、その論文を一度私に返してくれ。訂正しなければいけない箇所がたくさんあるんだ……ああ、でもこの状態では、手が動かせない。一度、ここから出してくれるか?」


「…………」


「出すのが無理なら、この際、口頭でもいい。私が言う通りに、代わりに訂正してくれ。ああ、でもやっぱり以前の文書を読み直したいな。このまま、窓越しでいいから見せてくれないか? 頼む、尊……!」


「……母さんの一番は、やっぱり心理学なんだね」


 その時初めて、尊の顔からずっと浮かんでいた笑みが消えていることに気がついた。


「……さっきまでは、それでも良いかなって思ってたんだよね。心理学的な興味でも、俺だけのことを考えてくれるなら、別に良いかなって。……でもこうやって改めて突きつけられると、やっぱり腹が立つなあ」


「……み、尊?」


「それに、今は俺のことだけ実験対象だと思ってても、分析し尽くしたと思ったら、また比較実験だとか言って、別の実験対象を探すんでしょ? ……下手したら、また恋愛心理学とかに興味を持って、別の男に近づいたりするんだよね。やだなあ。それ、すっごくいやだ」


 尊の視線が、手の中の論文に向く。

 少しの沈黙の後、尊は再び笑みを浮かべて、一人頷いた。


「ーーうん。やっぱり、母さんの研究も、俺が引き継ぐことにしよっと」


「……それは、どういう……」


「俺が、この論文を参考に、母さんの洗脳実験の比較実験をしてあげるよ。ーー母さんを被検体にして」


 そう言いながら尊は、機械についていたスイッチを押した。

 次の瞬間、増していく機械の中の水かさに、目を見開く。


「ま、待て! 尊! まだ、私は論文を訂正していない!」


「大丈夫、大丈夫。母さんが訂正したいと思っている部分って、今の俺のことでしょう? だったら、俺自身が一番わかるから、俺だけで訂正できるよ。安心して」


「私は……私の手で、論文をっ!」


「うん。そうだよね。ごめんね。母さんは、自分の手で論文を完成させたいよね。でも、俺はそれは嫌なんだ。だから、うん。ごめん」


 叫んでも、喚いても、尊は私の言葉をただ聞き流すだけだった。

 開いた口の中に、生ぬるい液体が流れ込んでいく。

 残されていた首から上の部分が、徐々に機能を止めていく。



 仮説立てたい(しりたい)

 検証したい(しりたい)

 考察したい(しりたい)


 私の最も根幹に存在していた、唯一の願いすら、徐々に薄れていく。

 ただ、ただ、落ちて行く。

 夢で見た、あの微睡みの中に。


「ーー俺が、母さんを一から育てあげてあげる。俺が母さんが全てなように、母さんも俺だけが全てにしてみせるから……」


 祈るような尊の声を最後に、私は意識を失った。




「……あーあ、退屈だ」


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