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羊水に浮かぶ

 知らない。

 知らない。

 知らない。

 こんな尊は、私は知らない。

 13年間傍にいた。13年間、観察してきた。

 それなのに。


「ーーまさか、地下室は」


 慌てて階段を駆け降りて、地下室の鍵を開ける。

 鍵にも、檻にも、収集した洗脳実験の資料にも、どこにも変わったところは見られない。

 ダイヤルを回して、部屋の隅に置いていた金庫の鍵を開ける。金庫の中には万が一でもデータ漏洩してしまわないように、手書きの紙媒体でまとめた、尊の洗脳実験に関する書きかけの論文と、13年分の尊の詳細なデータが入っている。

 以前見た時と、何も変わらない。誰かが見た跡などどこにもない。


 ーーああ、それなのに。


「……あ、はは」


 口から乾いた笑いが漏れた。

 資料を置いた棚の上の、角。

 見つけて、しまった。


「なんで監視カメラがあるんだ……ここにまで」


 一体、いつから。

 そしてどこまで。

 尊は知っていたのか。


 肌が、粟立つ。

 心臓がうるさい。

 胸の奥から、込み上げてくる感情に、体が震えた。


 尊、お前はなんて。

 なんて、お前は………。


「ーーあーあ。佐野准教授、よけいなことしてくれちゃって。俺、やっぱり、あの人嫌いかも」


 不意に、耳もとで声がした。

 次の瞬間、薬液を染み込ませた布が、口もとに当てられる。


「ま、いっか。人体実験もほぼ終わってるし。……計画がちょっと早まっただけってことで」


 意識を失う瞬間見えた尊の顔は、私がよく知るいつもの尊だった。




 ーー母親の胎内に、回帰する夢を見た。

 生温い羊水の中に、膝を抱えるような体勢で浮かびながら、微睡む。

 

 目が醒めたら、知らない世界が待っている。

 私を誰より愛してくれる、父が待っている。

 外の世界は愛に満ちて、輝いている。

 ここから出る日が、ただただ待ち通しくて仕方ない。


 ーーちょっと待て、おかしいぞ。

 私の父親は私同様に人に興味がない人間で、娘である私を、録に顧みることはなかった。

 母親は母親で、子どもらしさがない私を不気味がり、年が離れた弟ばかり可愛がっていた。

 心理学を学ぶ上で必要な金は惜しまず出してくれたので、別にどうでもよいのだが、私は両親から特別愛された記憶はない。血が繋がっていて、経済援助してくれただけの、ほとんど他人だ。

 それなのにーー私を待つ、「父」とは、誰だ。

 そして、愛に満ちて輝いている、世界とは。


 そんなことを考えているうちに、意識が覚醒した。




「ーーここは」


 生温い羊水の感覚は、夢ではなかったらしい。

 目が覚めると、私は奇妙な円柱状の機械の中で、液体から首だけ出すような状態でうずくまっていた。

 目が醒めてなお、先ほどまでの夢の続きにいるかのように、意識がぼんやりする。

 首から下の部分に至っては、脳からの伝達神経が遮断されてしまったかのように、全く動かない。


「あ、母さん。目が醒めた?」


 透明な窓ごしに、尊が笑いかけて来た。


「さっさと始めてもよかったんだけどさ、せっかくだから最後に『今』の母さんとちゃんと話しておきたくて。ごめんね。狭いところに、閉じ込めて」


「……狭いのが不満だとか、そういう問題じゃないと思うのだが」


「だよね。ごめん、ごめん。承諾なしに、いきなりこんなことをして、びっくりしてるよね。でもさ、俺も、こんなに急ぐつもりはなかったんだよ。もう、二、三体、人体実験が成功してから、安全性もしっかり確かめた万全な態勢で、母さんにしてもらう予定だったのに、佐野准教授がよけいなことするからさあ。……でも大丈夫だよ。小倉教授だけでも、理論はほとんど証明されてるから。母さんが傷つく可能性は、ほとんどないから安心して」


 こんな状況にも関わらず、機械ごしの尊は、私の知るいつもの尊と何も変わらなくて。

 それが、今の状況の異常性を益々際立てていた。


「ーーなあ、尊。お前、地下室の存在、知っていたんだよな」


「え? あ、うん。もちろん。母さん、俺がいない時狙ってしょっちゅうあそここもってるの、カメラに映ってたから気になって。母さんが長期出張の隙狙って、鍵を拝借して、合鍵作ったんだよね。ほら、一年前くらい前の、アメリカ出張の時」


「……じゃあ、金庫の中身も」


「ああ、これ? もちろん見たよ。カメラの映像だけじゃダイヤルわかりづらくて、苦労したけど。俺に対して、こないだの論文以外にもこんなに書いててくれたんだね。……こうやって改めて見ると、母さんの俺への関心の象徴みたいで、すっげえ嬉しい。ある意味俺と母さんの愛の結晶だよね、これ」


 心底幸福そうに、私がまとめた論文と、データを抱きしめる尊に、困惑する。


「なあ、尊ーー今の私の状況は、お前を洗脳実験に使った私に対する復讐ではないのか」


 洗脳実験の被検体として扱われていた復讐に、私を自らの実験の被検体にしようとしたわけではないのか。

 そんな私の問いに、尊は不思議そうに首をかしげた。


「復讐? 何で? ……俺、前の論文の時も言ったよね。被検体になることは俺自身が同意したことだし、母さんが喜んでくれるなら、それでいいって。精神ケアだろうが、洗脳実験だろうが、一緒だよ」


「じゃあ、なんで……」


「だって俺、もっとずっと母さんといたいから」


 そう言って尊は、窓に手を当てると、愛おしげに頬ずりをした。


「三十五年分の年齢差を埋めた上で、母さんに俺だけを見て欲しいから……だから、俺、頑張ったんだよ? 頑張って、興味もない理工学分野を勉強して。小倉教授も利用して。今までの技術じゃ不可能だった、若返りの機械を完成させたんだ。……すごいでしょ。母さん。褒めてくれる?」


『母さん……ぼく、このテスト、100点だったんだ! がんばったから……ほめてくれる?』


 幼いあの頃と、変わらぬ笑みを浮かべて。



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