尊の仮面(ペルソナ)
「……40男と、50女の愛憎劇か。醜悪で異質で、心理状態を分析するだけで一本論文か、三文芝居でも書けそうな題材であるが、そんな異常な舞台に尊を巻き込むな」
佐野を睨みつけながら、吐き捨てる。
「あの子は普通の子なんだ。……どんな暗い過去を持とうが、私のように母親にするには相応しくない女に育てられようが、突出した理工学の才能を持とうが……それでも、普通の子なんだよ。普通の幸せを求めるべき子なんだ。ーーあの子に手を出したら、生まれて来たことを後悔させてやる」
私の洗脳教育のせいで、マザーコンプレックスを拗らせてはいるが、尊は過去にも環境にも負けずに、真っ直ぐ素直に育ってくれた。
それなのに、今さらこんな勝手な奴らの為に、不幸にさせるわけにはいけない。
ーー誰より、尊の人生を弄んだ私が、人のこと言える立場ではないなんて知っている。
今もなお、尊の人生を壊すかもしれない狂気を抱えている自分が、誰より危険人物だと言うことも。
どこまでも、私の言動は矛盾に満ちている。
それでも、私は、尊を
13年間育てて来た、私の息子をーー……
「ーー普通、ねえ」
私の矛盾を見透かすかのように、佐野は嘲笑を浮かべた。
「いやあ、驚きましたよ。小倉教授に何を言われても眉一つ動かさない、心理学の魔女が、義理の息子のことでこれほど取り乱すとは。思いの他ちゃんと母親をやってらっしゃったようで。……しかし、息子を愛するあまり、お得意の心理分析の目が、随分曇ってらっしゃる」
「……どういう意味だ」
「あれは、化け物ですよ。人の皮をかぶった化け物だ。……今の、佐々木教授の言葉で、改めて確信しました。心理学に精通した母親を、13年間も欺き続けるだなんて。到底私の敵う相手ではありません。ここは、傍観に撤して、隙を見て大切なものをかっ攫う程度にしておきましょう。ーーというわけで、私は貴方の敵にはなりません。佐々木尊。それを覚えていて下さい」
佐野の言葉に、尊が傍にいるのかと慌てて周囲を見渡したが、このスペースに私と佐野以外の姿なぞ、どこにも見えない。
「一体、お前は何を……」
「ーー素敵な、ブローチですね」
「は?」
「化粧気すらない、佐々木教授がアクセサリーをつけるなんて、珍しい。ちょっとお借りしても、よろしいでしょうか?」
唐突に変わった話題に、混乱する。
佐野が指摘したブローチは、先日の私の誕生日に、尊がプレゼントしてくれたものだ。
『母さん、アクセサリーとか、全然つけないけど、これくらいシンプルなブローチなら、構わないでしょ。お守りだと思って、いつもつけててよ』
そう言って、毎朝ブローチをつけたか確認するものだから、最近では言われる前に自主的につける習慣ができていた。
それが、一体ーー?
訳もわからず、佐野に言われるがままにブローチを外して、手渡す。
佐野は興味深げに、ブローチを眺めた。
「なるほど。なるほど。……理工学の天才と言えど、さすがにブローチの修復能力まではないようですね」
「は?」
「よっと……」
次の瞬間、ぱきりと音を立てて、佐野の手の中のブローチが割れた。
「ーー貴様、何を……っ!」
「落ち着いて下さい。佐々木教授。元々割れていて、接着剤か何かでくっつけていた部分を外しただけですよ。……ああ、やっぱり中が空洞になって、入ってた。入ってた。これ、自分で削ったんですかねえ。この下手くそな削り方を見たら、糞生意気な化け物でも、存外可愛く思えてくるから不思議です」
「……………っ」
ブローチの中から取り出された機械に、息を飲んだ。
何も言えずに唖然としている私に、あの笑みを浮かべながら、佐野は手の中のそれを左右に振った。
「ねえ、佐々木教授。ーー母親に【盗聴器】を仕掛ける息子が、本当に普通だと思いますか?」
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
尊が、そんなことするはず……!
「……こ、これはきっと買った時点で、誰かの悪戯目的で入ってたんだ! ……もしくは、盗聴器ではなくGPSか何かなんだ。わ、私が迷った時に備えて」
「誰に購入されるか、そもそも購入されるも分からないのに? 奇特な犯人ですねえ。……後、母親にGPSを仕掛ける息子もどうかと思いますがねえ」
「み、尊は、優しいけど、気遣いが斜め上なんだ!」
尊は、何度要らないと言っても、毎朝母親のトーストにバターまで塗ってくるような子なんだ。
恐らくきっと、これも、尊の心配症が行き過ぎた結果なんだ。
そうだ。
そうに決まってる。
ーーだって、尊は普通の子なのだから。
「……現実逃避も結構ですが、佐々木教授は家の中をもっとよく観察することを推奨しますね」
「…………」
「ブローチを模した盗聴器を用意するくらいですよ……いつでも、簡単に手が加えられる自宅に、あれが何もしていないとは思えないのですが」
愉しげに告げられた佐野の言葉に、私は席に立った。
「……ちょっと、先に失礼する」
嘘だ。
まさか。
あり得ない。
そう思いながらも、私の足は大学を出て、自宅に向かっていた。
「……嘘、だろ」
それは、家の中の至る所にあった。
私の背の高さでは見えない死角に、様々な擬態物の裏に、巧妙に隠されていた。
「ーー私は、いつから尊の監視の中で、生活していたんだ」
私は家中から見つかった、「監視カメラ」の数々に、その場に崩れ落ちた。