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佐野准教授

 虐待で掴まった女教授の、義理の息子。

 その事実が、尊に人生にどれほど障害を負わせることになるのか、私にはわからない。血縁でないことが、私から洗脳教育を受けた被害者だという事実が、尊への圧を軽減してくれるだろうというのは、希望的過ぎる観測だ。人は、自身の好奇心を満たす為に、どこまでも残酷になれることは、他ならぬ私自身が証明しているのだから。

 少なくとも、尊がこの大学に残ってる場合は、あからさまな好奇と悪意の視線に晒されることになることだけは間違いない。最悪、大学を退学に追い込まれる可能性もある。尊の将来の為にもそれだけは、避けたい。

 だが、しかし。尊はこれから一体どれだけこの大学に残るつもりなのだろうか。尊の希望で理工学部に進学させたものの、まさか、尊が修士課程まで望むとは予想していなかった。

 このまま博士課程まで行き、大学に残り続けることを選んだ場合、私は自身の狂気を抑え込み続けることができるのだろうか。


「ーーああ、愛なんて言う非生産的で、無駄な感情、知らなければよかった」


 知らなければ、私はただ、自らの知的好奇心を満たすことだけに没頭できたのに。

 知的好奇心を満たすことだけが、私の存在意義だったのに。


 しりたい、しりたい、しりたい


 ーーだけど、尊を不幸にはしたくない。


 つのるばかりの二律背反の感情に、引き裂かれそうになる。

 何て皮肉な話なのだろう。

 私の狂気の産物である尊の存在が、私がさらなる狂気に落ちるのを防いでいるだなんて。

 

 檻に寄りかかって、一人項垂れる。


「頼むから尊……早く、私から離れてくれ。お前自身と、私の為に」


 それがきっと、私が私として生きる為には、一番「正しい」あり方だろうから。




「ーーお席をご一緒しても、よろしいでしょうか?」


 講義を終え、一人学食で夕飯を摂っていると、不意に声をかけられた。


「……これほど周辺の席が空いている状況で、わざわざ私の傍に座る意図は図りかねるが、まあどうぞ。ーー佐野准教授」


 この学食は講師用のスペースが学生用と分離されている為、夕飯時にも関わらず今このスペースにいるのは私だけだ。

 それでなお近くに座りたがるということは、何かしらの意図があるのだろう。


「それではお言葉に甘えまして。失礼」


 佐野はつり上がった目を細めて、胡散臭い笑みを浮かべると、私の向かいに手に持っていたトレイを置いた。

 席についてトレイの上の天ぷらうどんを一口啜り、片眉をしかめる。


「いや、しかし、この学食。安いのはありがたいですが、味はいまいちですね。せめて、もう少し、天ぷらがさくさくしてれば、まだましなんですが」


「大学の学食なんて、この程度でしょう。天ぷらも揚げおきでしょうしーーで、こんないまいちな学食まで、私を追って来て、何の用ですか」


「あれ、偶然学食で遭遇したとは思われないのですか」


「学食に行くだけなら、理工学部の研究棟の方に行くでしょう。あっちの方がまだ味が良いと、尊から聞いてます。そうでなくても、うどん屋なら大学周辺にいくらでもあるのに、わざわざここで食べる意味がわかりません」


「さすが。心理学の教授。見事な推理です」


「そんなこと、心理学の知識関係なく、誰でもわかるでしょう。心理学を、馬鹿にしているのですか」


「滅相もない」


 どこか全て演技がかったような、佐野の態度に苛立つ。

 通常ならば、無意識のジェスチャーやわずかな表情の変化から、ある程度考えていることを読みとることができるが、こういう「全てが演技がかった」男は逆に厄介だ。

 全てが作りもののようで、どこまでが本心から発生した徴候か、線引きが難しい。


「……小倉教授から、何か嫌味ったらしい伝言でも託されましたか?」


「いいえ。ただ、私が話したかっただけですよ。ーー佐々木尊の義母である貴女と」


 不意に上がった尊の名前に、眉間に皺が寄った。


「……研究室も違う学生を、ずいぶん気にかけて頂いているようで」


「私は彼のことが、大嫌いですからね。……そうそう、先日、佐々木教授が共同出版された本、読みましたよ。あれが、どういう過程を経てああいう風に育ったか知れて、大変興味深かったです」


 ……全く小倉教授と言い、どいつもこいつも。

 何故わざわざ金を出してまで、あの本を読みたがるんだ。


「……生徒に対して、あからさまに悪意を露わにすることも、それを義理とは言え、母親である私に告げることも、人間としてどうかと思いますが、それ以前に、何故嫌いな対象にわざわざ近付こうとするのか、理解に苦しみますね」


 わざわざ、自分で自分の負の感情を増長させているとしか、思えない。

 愛と憎しみは紙一重とはよく言ったものだ。ベクトルが違うだけで、対象に「関心」を向けていることには違いがないのだから。

 心理学的か観点からすれば小倉教授の行動も佐野の行動も理解はできるが、私個人の価値観に照らし合わせると、実に愚かで無駄なことをしているとしか思えない。

 ただ関わらなければ良いだけの対象に、時間やエネルギーを費やすことに、何のメリットがあるというんだ。馬鹿馬鹿しい。

 

 私の言葉に、佐野は何故かますます笑みを深めた。


「仕方ないでしょう? ーーだって佐々木尊は、私の敬愛する小倉教授の『想い人』なのですから。大嫌いでも関心くらい抱きます」


 ーーな、に?



 


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