第2話「怨嗟の声は不幸を呼ぶ」
「……」
陽木はゆっくりと目を開く。視界には、木の枝と葉。そしてそこから溢れる木漏れ日が、陽木の身体を照らす。
「よっと……。」
陽木はゆっくりと身体を起こして、周りの景色を確認した。
「おいおい、マジモンの異世界じゃねーかよ……。」
目の前に広がる、都会には絶対にない広大な草原に向かって、陽木はそんな独り言を呟いた。
ーーー
「さてと…。あのクソ女神は夢じゃなかったってことか…忌々しいな。」
しばらく景色を眺めた後、現実に帰還した陽木は、仮にも女神を名乗ったオリオンに向かって、普通に罰当たりなことを口にしながら、全く土地勘のない草原を、あてもなく歩いていた。
微かにふくそよ風か心地よい、なんて柄にもなく思ってみたが、大した気晴らしにもならなかった。
「全く……異世界っつったってこんななんもないとこにおかれちゃどうしようもないんだよなあ。」
身勝手に放り込んでおいて、ナビゲートの一つもないとか、なんの嫌がらせだよ。なんて、またさらに悪態をついたところで、陽木はあることに気づいた。
まだ装備チェックしてなかったな、と、なんとなく期待を込めて自分の初期装備をチェックする。
「あんな女神でも女神は女神だ、少しは自分の職業らしく、なんか慈悲をくれてもいいんじゃないか?」
そんな独り言を呟いて、全身をくまなく捜索する陽木、しかし、陽木の身体には、なんの装備も付いてなかった。便利アイテムどころか、ポケットにコイン一枚すら入っていなかった。
「ハァ?マジかよ。なんのアイテムもなしとか、あいつ女神じゃなくて邪神かなんかじゃないか?」
そう言いながらもう一度ポケットの中に手を突っ込む。奥の方まで念入りに探っていると、何か硬いものが陽木の指にあたった。
「ん?なんだこれ。」
陽木は微かな期待を込めてそれを取り出す。その手に握られていたのは、なにやら黒っぽい包み紙に包まれたもの。陽木はそれを、なんらかの魔法的なアイテムだと思い、期待を込めてその包み紙を開く、しかしそこから出てきたものは、
ーただの、飴だった。
「……ぅおい、飴って、ここまで期待しといて出てきたものが、飴て。」
そう言いながらも、陽木はその飴を口に入れた。口のなかに、甘ったるい味が、、、
広がらなかった。
陽木が舐めたその飴の味は、納豆だった。
「死ねええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎」
肺活量の許す限り、陽木は叫んだ。こんな、くだらなくも悪質な悪戯を仕掛けた女神に、呪いあれと。
だがその叫びは、女神には届かなかった。もしかしたら聞いていたかもしれないが、とりあえず陽木のもとに返答はなかった。
ーだが、不運にも、陽木の叫びを聞いていた者がいた。その者は、遥か上空を飛翔していた「竜」だった。竜は、その圧倒的な聴覚と視覚で、陽木の位置を特定した。
ーさらに不運なことに、竜は腹が減っていた。竜はすぐに陽木を今日のディナーにしようと、その巨大な羽を一打ち、陽木のもとへと、急降下して行った。
「ああ〜おぇっ……クッソぉぉ…やってくれたなあんのクソロリぃぃぃっ……納豆て、納豆て!ふざけんのも大概しろよなぁ⁉︎ううぅ…何か飲み物が欲しぃぃぃ……」
陽木本人は、上空から迫ってくる脅威に、全く気づいてないようだった。今の陽木には、飴をポケットに入れたオリオンへの殺意と、口の中に広がる納豆の味を早く消し去りたい、ということしか頭になかった。
陽木が迫りくる命の危機に気づいた時には、竜はもう、陽木の目の前にいた。
「おい、ドラゴンじゃねぇか。……ってぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁈‼︎」
一瞬真顔で竜を視認し、直後、自分が今にも竜のメシになりかけていることに気づき、陽木は喉が割れそうになる程の悲鳴をあげながら、全力で逃げ出した。
陽木は顔が残念になる程必死で走り続けたが、お伽話において最強生物の竜なんて簡単に巻けるはずなく、いくら走ったところで、後ろを見れば竜がすぐそこに迫ってきている。
「はぁっ……はぁっ……ちょ、タンマ、俺もう走れないんすけど……。」
今にも陽木に喰らい付きそうな竜に向かって、精一杯の命乞いをするが、竜は陽木のいうことなんて知ったことではない。竜は遠慮なくその口を開き、陽木を飲み込もうとする。
「……あ、俺、死んだわ。」
人は、本当にどうしようもなくなった時は、笑うことしかできないという。陽木は今、爽やかな笑顔で、死のうとしている。
ーこんな短時間で二度も死んだ奴なんてなかなかいないよな。
なんて呑気なことを考えながら、暦縫陽木の短すぎる異世界生活は終わりを迎えた。
ーはずだった。
突如、爆音とともに、竜の目が、爆発した。
「オオオオオォォォォォォ‼︎‼︎」
竜は、耳を塞ぎたくなるほどの叫び声をあげて、その場で苦しみ始めた。
「……はぃ?」
陽木は、何が起こっているのか、理解ができなかった。死を覚悟した直後に、突然生き残ってしまったのだから当然だろう。苦しむ竜を間の抜けた顔で棒立ちになりながら眺めていると、誰かが陽木の腕を引いた。
「こっち…急いで。」
腕を引かれる勢いと、耳に入る少女の声で、陽木は我に帰った。そしてそのまま、少女に腕を引かれながら、走った。竜の姿が見えなくなるまで。