第3話 『高慢と実力差』
「何だか向こうに人だかりができているっすね」
「どうしますか、兄さん?」
薫流と望海が兄上に尋ねている。
特に望海は小刻みに体を揺らして、今にもそこへ行きたそうな顔をしている。
本当にノリで生きているって感じよね。
面白そうな事があったら、すぐに食い付くような感じ。
「葵はどう思う?」
「私、ですか? そうですね……この声、私のクラスメイトかもしれません。気になるので行ってみたいです」
兄上がいきなり私に振ってきたので驚いた。
とりあえず、当たり障りのないようには答えられたと思う。
兄上、私の事を試している?
「よし、行ってみるか」
兄上、薫流、望海と共に人だかりの出来ている場所に向かった。
まだ人と人の間に隙間ができていたので、私たちはそこを滑り込むように抜ける。
人垣の前に出てきた私たちはそこで、この騒動の中心である三人の生徒を見つけた。
一人は桃髪でボブカットの可愛らしい少女――クラスメイトの九条桃花。彼女は倒れている二人の女子生徒を冷めた目で見下していた。
その異常な状況にただ囲むだけで他の生徒は何もしない。
おそらくこの三人の間で戦いが行われたのだろう。
その証拠に倒れている女子生徒たちの黒ローブは切れていたり、汚れていた。
一方で、桃花には汚れ一つない。
それが示すのは圧倒的な実力差。
この学校で今の彼女に勝てる人はどれくらいいるだろう。
さらに言えば、本来の実力に加えて事象系練気も使えるのだから、強いに決まっている。
「――はあ、何で私ここに来ちゃったんだろう。琥鈴先輩がいる、桜花白蘭学園が良かったのにな……。こんな雑魚ばっかりな所、ほんと最低」
吐き捨てるように言う桃花。
周りを囲んでいる生徒たちにも聞こえるように言う辺り、随分と高慢だと思う。
案の定、生徒たちがざわついたのが分かる。
でも、それで何かしようと動く生徒はいなかった。
私が知っている桃花からは想像できないのだけれど、入学したての彼女はこんな感じなのよね。
最初は私も偉そうな女の子だと思っていたもの。
私が色々と頭を巡らせている間に、兄上が桃髪の少女に近付いていた。
「何か用ですか?」
めんどくさそうな顔をしながら、先に話しかけたのは桃髪の少女。
兄上の顔は私たちに背を向けているので、分からない。
「お兄さん、すごいっすねー、物怖じせずに話しかけたっす」
「大丈夫でしょうか、兄さん」
「大丈夫よ、それに兄上の実力を見る良い機会だと思うわ」
断言した私に二人の視線が突き刺さる。
薫流は怪しむ感じで、望海は面白そうな感じで見ている。
「いや、喚き散らしてうるさいから黙ってもらおうと思って」
あ、兄上! 何を言っているのですか……その声音は優しく言っているつもりかもしれませんが、嘲笑っているようにしか聞こえません。
まさかそんな事を言うとは思わなかった。
他の生徒たちも同様だったのだろう。しん、と場が静まり返った。
「ふーん、私に命令する訳?」
案の定、火に油を注ぐような行為。
桃花の口調はまだ静かなものの、怒っているのは火を見るより明らか。
兄上が私たちの方を振り向いた。
その顔には、『選択を間違ったか?』と言っているように見えた。
だから、私は大きく頷いたし、薫流はため息、望海は首を横に振った。
兄上が明らかに落胆したような顔をした。
それと同時に桃花から命力が高まっていくのが感じられる。
向こうは完全にやる気みたいだ。
「私にそう言うからには、強いのでしょうね! 雑魚には興味ないですよ!」
怒声を発し、命力を練った練気が彼女から溢れ出る。そして、彼女の得物であるショートソードを構える。
授業が本格的に始まるのは来週から。
それまでは武器も各々が持っている物になる。
だから、桃花がショートソードを持っている姿は新鮮に映る。
「望海! 小太刀を貸してくれ!」
「……何で知っているんすかねー。お兄さん、いくっすよ!」
望海がそうつぶやきながら、パーカーの下、腰に隠していた小太刀を投げる。
兄上はそれを自然な動作で受け取り、距離を取って構えた。
「葵、望海。私、二人の審判をしてくるね」
「ええ、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいっす」
薫流がすっと前に飛び出して、兄上と桃花の間に立つ。
兄上の実力をまだ知らないから、保険のような形であそこに立っているのでしょう。
「葵はどっちが勝つと思うっすか?」
「兄上に決まっているよ。今の私たちでは兄上には到底及ばない」
「ほへー、それはすごいっすね」
望海に答えている所で、薫流が腕を振り下ろした。
先に動いたのは桃花。
兄上に向かって突っ込んでいく。
思い切りよく突撃し、スピードを殺さないままに桃花がショートソードを振り下ろす。
でも、練気も纏っていない斬撃が兄上に届くはずもなく、簡単に止められる。
刹那――ばしん、と大きな音が響く。
桃花の振り下ろした斬撃はフェイントだったようで、本命は練気を纏った蹴り。
それを兄上が手で止めたので、良い音がしたってこと。
桃花も驚いているみたいだけれど、兄上にあの程度の攻撃が届く訳もない。
焦りからか、逃げるように桃花が後ろに距離を取る。
――が、兄上は桃花に肉薄し小太刀を一閃。
それを桃花はショートソードの腹で受ける事で受け流した事で、兄上がバランスを崩す。
桃花は追撃するため、ショートソードを持っていない手で練気を纏った手刀を放つ。
兄上は体を前に投げ出して、すれ違いざまに方向転換と足払いをかける。
しかし、桃花は軽くジャンプして足を躱す。
兄上は敢えて攻撃に繋げる事はせずに、後ろに下がった。
「お兄さん、すごいっすねー。あの子もすごいっすけど」
「そうね。兄上はまだ本気を出されてはいないけれど、それでも桃花もやるわね」
「あの子、桃花って言うんすねー」
「同じクラスメイトよ? 覚えているでしょ」
「うーん、忘れたっす。まだ一週間も経ってないっすよ? クラスメイトの事はまだ把握しきれてないっすね」
望海が言う事も間違ってはないけれど、桃花はかなり目立っていたと思う。
普通なら記憶に留まるはずだけれど、彼女を普通の枠に入れてはいけないわね。
兄上と桃花の実力差は歴然。
なぜなら、兄上は全く息を乱していないのに対して、桃花はすでに肩で息をしている。
あの攻防でかなり体力を消耗したようだ。
「私も本気で行きますよ! 手加減なんてしませんから!」
桃花が高々と叫ぶ。
それは自身を奮起させているようにも見える。
そして、ショートソードを横に一閃。
彼女の周囲から桜の花びら無数に出現する。
「いけッ!」
桃花の命に従って、兄上へ全ての花びらが殺到する。
事象系練気“木”、桃花の場合は“桜”と言ってもいいかもしれないけれど、強力だよね。
目の前を覆いつくす桜の花びらを前に、兄上は小太刀を持っていない手で銃の形を作る。
伸ばした人差し指から緑の練気の銃弾を連射する。
「あれは放出系っすか!?」
望海だけでなく、二人を囲んでいる生徒たちが一斉に息を呑む音が聞こえる。
今、兄上がいかに特異な存在か証明された事になる。
私は自分の事のように嬉しかった。兄上が他の人に認められる事がね。
「ええ、そうよ」
「お兄さん、すげーっす!」
望海が横で興奮した声を上げている間にも戦いは続いている。
放たれた練気の銃弾は、桜の花びらを蹴散らしながら、桃花へと向かっていく。
打ち払うには数が多すぎる。
であれば、桃花が取る選択は一つ。
思った通りショートソードを地面に突き立てると、桃花の目の前の地面から太い木の幹が出現した。
それを見ると同時に兄上は低姿勢になって走り出す。
桃花を守るように出現した木の幹は、兄上の練気の銃弾を防ぐ。
そして、役目を終えたように木の幹が消えると桃花の前には兄上の姿がなかった。
桃花はきょろきょろと顔を動かしているけれど、もう遅い。
兄上の小太刀が桃花の背中に突き付けられた。
「試合終了です。兄さんの勝ち」
試合の終了宣言がなされると、野次馬から一斉に歓声が起きる。
今の試合は面白い試合だったと思う。彼らが声を上げるのも分かる気がするわ。
「さ、葵、行こうっす」
「分かったわ」
野次馬たちが消えて行く中で、望海と一緒に桃花の所へ行く。
桃花は兄上に負けたショックか、うずくまっている。
そこへ望海が話しかけていた。薫流も彼女の側に寄っている。
「兄上、お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
兄上に労いの言葉を贈る。
にこっと私に笑顔を向けてくれて、どきっと心臓が高鳴ってしまう。
そういう意味で私に笑顔を向けている訳ではないと知っているのはずなのに、反応してしまう私は重症かもしれないわね。
そして、桃花が二人との話を終えて、兄上の前にやってくる。
「その……偉そうな事言って、すみませんでした!」
大きく頭を下げる桃花。
先程の高慢な姿はなく、素直な桃花になっていた。
兄上が何かをつぶやきながら、桃花の頭に手を乗せる。
びくりと反応する桃花。叩かれると思ったのかもしれない。
しかし、想定とは違って兄上は彼女の頭を撫でる。
少しの間撫でていると、桃花の顔がふにゃっとなる。
兄上の頭撫で撫での破壊力は絶大で抗いがたいものなのよね。
私もやって欲しいわ。
「さて、そろそろ行こうか、三人とも」
「「「はい」」」
桃花の頭から手を離して、私たちに声を掛ける。
彼女はとても残念そうな顔をしていた。
そして、すぐに意を決したような顔になる。
「あの!」
「どうした?」
「私も一緒について行っていいですか!」
と、桃花は叫んだ。意外と桃花も積極的ね。
もし、何も言わなければ、私が連れて行くつもりだったけれどね。
「いいよ、ついて来たかったらついてくるといい」
「あ、ありがとうございます! 私は九条桃花と言います! よろしくお願いします!」
桃花は兄上に謝った時よりも大きく頭を下げる。
そして、私たちも改めて名乗る。
私たち一年生の名前を聞いて、桃花は全員同じクラスだという事に気が付いたらしい。
さらに謝ってくる。主に昨日までの事を。
「それで、ですね……私も立花先輩の事を兄と呼びたいのですが……」
「ああ、いいよ。三人も四人も同じだからな」
と即答。
桃花は許可が出たという事で、にぱあっときらきらした笑顔になった。
「はい! 改めてよろしくお願いします! お兄様!」