第2話 『直感と握手』
早速、兄上と呼べた事に私はとても満足している。
これで兄上との接触という今日の目的を果たす事ができた。ここから私の事を一杯見てもらわないと。
「あれ、葵じゃないっすかー」
独特な口癖を持つ声が後ろの方から聞こえてくる。そう言えば、最初に兄上たちにあったのは彼女だったわね。
振り向くと黒髪のショートで前髪に青いメッシュが入っている女の子が立っていた。
「おはよう、望海。今日も元気ね」
「元気元気っすよー。それがうちの取り柄みたいなものっすからね」
にこっと笑顔の望海。笑うと可愛いけれど、普段は無気力な顔をしているのよね。
さらに目を引くのは、黒ローブの上にパーカーを羽織っている事かしら、とても似合っていないのだけれどね。
ちなみに望海とは初日のうちに仲良くなったわ。
人懐っこい性格だから、苦労しなかった。どこで会っても望海は望海よね。
「の、望海だって?」
「兄さん?」
案の定、兄上は驚いている。
それもそのはず、本来であれば望海はここにいないのだから。
兄上はここからどうするのだろう。
「あれ、うちの事知ってるんすか? って、あ! 今朝早く寮を出たみたいっすけど、何か用があったんすか?」
望海は薫流に気が付いて話しかけた。
そう言えば、変わらず二人の部屋は隣同士だったから、気になってしまうのも分かるわね。
特に彼女は今まで教室に来ていない訳だし。
「それはこちらにいる兄を迎えに行っていました。今年転入される事になったので」
「なるほど、納得したっす。もし、何か特訓でもしているなら教えてもらおうと思ったんすけどね」
望海って、意外と真面目なのよね。
自分を鍛える事には余念がないと言えばいいのかしら。
それにしても、兄上はどうやって望海を誤魔化すか考えているわね。
顔に考えている事がそのまま書いてるのだから、面白い。
「兄上、何か考え事ですか?」
「うーん、ちょっとなー」
まだどうすればいいか、考え中のようです。
普通に考えれば一年生である望海の事を知っているのはおかしい。
というより、女子からすればちょっと怖い。
望海はそういう風には考えていないみたいだけれど。
「兄上? 葵ってお兄さんがいたんすか?」
「ううん、そういう訳じゃないの。私が勝手に兄上って呼ばせてもらっているだけよ。薫流が言ったように、この人は私たちの先輩になる人だから」
「ほへー、そうなんすね。それで、どうしてうちの事知ってるっすか?」
ここで本日二回目の質問。
兄上はどう切り抜けるのだろう。
しかし、兄上は何も答えない。そして、望海は乗り出すようにじーっと兄上を見つめている。
薫流も状況を把握していない以上、助け船を出そうにも出せない。
さて、ここは好感度を上げるためにも私が何とかしようかな。
「望海、おそらく名前に反応したのだと思うわ」
「名前っすか?」
「私が最初に望海の名前を呼んだでしょ? 兄上も名前に反応していたから、知り合いに同じ名前の人でもいるのではないかと思うのだけれど……合っていますか?」
そこで私は兄上に話を振る。
ぽかん、と兄上は私を見つめているけれど、すぐに正気に戻る。
「そ、そうなんだよ! 知り合いにも同じ名前の人がいるから、びっくりしたんだよ」
「そうなんすねー。っと、今気付いたっすけど、うち二人には名乗ってなかったっすね。うちは青海波望海っす。どうぞ、よろしくっす。お二人は?」
という感じで、望海は自己紹介をする。
それに続く感じで兄上と薫流も名乗った。
薫流の名前を聞いても望海は大して驚く事もしない。
あの子、同じクラスだって気が付いていないのかしら?
この様子だと気付いてなさそうね。
「薫流に、龍先輩っすね。うちの事は望海でいいっすよ。ちなみに葵、この二人とどういう関係なんすか?」
「今日知り合ったばっかりよ。この時間に学外からやってくるなんて、気になるじゃない?」
「確かにそうっすね。うちの学校は全寮制で、中に寮があるっすもんね」
望海が聞いてきたので、適当に答えておく。
でも、嘘は言っていないわ。目的をはぐらかしているというだけ。
彼女の言う通り、エレメンタル・アカデミーは全寮制で、敷地内にその寮はある。
だから、この時間に正門に入ってくる生徒がいない訳ではないが、珍しい。
私がフォローした事に対して、薫流は監視するような視線を向けている。
でも、敢えて気が付かない振りをしている。ここで薫流に反応すればさらに警戒されるでしょうから。
隙を晒すのは重要な事。
「あの龍先輩、いきなりっすけど、お願いいいっすか?」
「何だ?」
「お兄さんって、呼んでいいっすか?」
「え? ちなみに理由は?」
兄上も立て続けに兄と呼んでいいかって、聞かれれば困惑するわね。
私はここで登場しないはずだったから、さらに困惑しているかもしれないけれど。
「理由っすか……理由らしい理由はないっす。ただ、そう呼びたくなったとしか」
少し顔を赤くする望海。
無意識のうちに兄上の事を意識しているのでしょうね。
「――直感って事か?」
「そう! そうっすよ! お兄さん、何で分かったっすか、すごいっす」
望海がぱあっと顔を明るくして、はしゃぎ始める。
すごい喜びよう、ノリで生きているような所が彼女にはあるから仕方ないのわね。
兄上も望海の事を知っているから、一発で直感なんて言葉が出たのでしょう。
「何だか賑やかな人ですね」
私に対して警戒を強めていた薫流も望海のはしゃぎっぷりには、毒気が抜かれたみたいで苦笑している。
でも、彼女を見ていると暗い気持ちなんて吹っ飛んで楽しい気持ちになるわね。
「うーん、お兄さんとは初めて会った気がしないっすね。いえ、もちろん、初めてなんすよ?」
「結局、お兄さんと呼ぶのは確定なんだな」
「確定っすね。葵もお兄さんの事、兄と呼んでいるのでもう一人増えても問題ないっすよね」
「まあ、そうだな」
「なら、これからよろしくお願いするっす、お兄さん」
「ああ、よろしく」
望海が手を差し出して兄上が握る。
彼女はすぐに兄上の懐に飛び込んだわね。
私は本当にどきどきしていたのにね。
こういう所は羨ましく思うわ。
そして、薫流が兄上の耳元で何かをささやているようだ。
おそらく……私もそうだけれど、望海の事も信用できるかどうかって事じゃないかな。
兄上が何かを言った後、うつむきながら、ちらちらと私と望海を見ている。
「薫流? どうしたっすか」
「何でもないよ」
「何だか気になるっすよ」
その後、二人のやり取りが続いた。早く終わらせたい薫流に、食い下がる望海。
二人のやり取りは微笑ましくて、懐かしくて顔が綻んでしまうのが分かる。
「良い笑顔だな」
「兄上……」
二人のやり取りが続く中で、兄上が私に話しかけてくれる。
内心、すごく喜びながら、ぼろは出さないように気を付けないとね。
まだ時期ではないから。
「さっきは助かったよ。ちょっとどう説明すればいいか、分からなかったからさ」
「いえ、顔に出やすいですね。すぐに分かりましたよ」
「あ、やっぱり? うーん、初対面の人にもそう言われると、へこむなー」
軽く肩を落とす兄上。
やはりその事は気にしているのですね。
最終的には諦めて悟りの域に入るのだけれど、今はまだその段階にはいないという事なのでしょう。
私としては兄上の考えている事が分かった方が動きやすいので、このままでいて欲しい。
そして、薫流と望海のじゃれ合いが終わった。
望海も満足したような顔をしている。
「――何となく分かった気がします」
神妙な顔で兄上に言った。
兄上は軽く頷いて見せた。さっき小声でやり取りしていた内容かな。
そして、私へ視線を向ける。
心なしか私への視線が和らいだように感じた。
でも、薫流は完全に私を信用した訳ではないだろう。
もちろん、これから仲良くなっていくつもり。
私の恋を成功させるには、皆の協力が必要不可欠だもの。
「これからもよろしくね、薫流」
「よろしく、葵」
そして、望海がやったように手を前に出した。
薫流はすぐに私の手を握ってくれた。
ここでの私たちの関係は握手から始めよう。
「――ふん! 貴方たちみたいな、雑魚に用はないの。もっと強い人を出して!」
その時、甲高い声が私の耳に届く。聞いた事のある声に私ははっとなった。そして、視線の先には生徒たちが集まっている所があった。
そして、兄上を見ると少し驚いた顔をしていた。