第9話 『挑戦と蒼き剣』
空が薄っすら茜色に染まる頃合、私たちは校舎裏にあるトレーニングスペースの一つに移動していた。
放課後から時間が経っているので、本来であればトレーニングスペースに空きはない。
数自体は少なくないけれど、放課後は多くの生徒が利用する。
だから、放課後すぐに申請しないと埋まってしまうのが常識。
では、なぜ私たちがトレーニングスペースを利用できるかというと――
「悪いわね、朱莉」
「ううん、大丈夫だよー。丁度、桃花と休憩しようとしていた所だし、葵ちゃんとお兄ちゃんの戦いも見てみたいしね!」
そう、ホームルームの後すぐに飛び出していった朱莉は、トレーニングスペースを申請して、鍛練をしていた。
だから、朱莉と連絡を取って、こうしてお邪魔させてもらった訳ね。
校舎裏の敷地は数ある建物を抜きにしても広いから、そこでやってもいいのだけれど、それだと周りの被害も考えなければならない。
その点、ここはよくある学校の体育館と変わらない内装ではあるけれど、強度は事象系練気を使ってもそう簡単に壊れないようになっている。
だから、兄上と本気で戦うならトレーニングスペースの方が安全でしょうね。
――絶対ではないけれど。
「さ、やるか葵。俺も葵の力は見てみたかったしな」
兄上が肩を軽く回しながら、トレーニングスペースの中央へと歩いていく。私もそれに続く形で歩いていった。
「負けるつもりはありませんし、勝つつもりでいきます」
「ああ、それぐらいの気概で来てもらわないとな」
中央に立ち私がそう言い返すと、笑みを浮かべた兄上が大きくなったように感じる。
すでに戦いは始まっている。兄上の気迫に負けないように私も強く兄上をにらみつける。
これは私が考えるに、貴方の隣に立つための第一関門ようなもの。まずは兄上に私の力を見せてもらう!
「葵、頑張れー。お兄様、頑張ってください!」
「負けるなっす、葵! お兄さんなんてやっつけちゃうっすよー」
「兄さん、葵、頑張ってください」
「葵ちゃんなら勝てるよ!」
四人ともトレーニングスペースの端で私たちを応援している。
この戦いは彼女たちにも得るものがあるはず。
しかし、これは私が兄上を本気させる事ができるかどうかだと思う。
私は杖を構え、兄上も杖を構える。先週から授業が始まっているので、私たちエレメンタル・アカデミーの生徒は全員、太い杖を配られている。
使うかどうかは自由だけれど、武器はこれに限定されている。
その理由は私たちが事象系練気の使い手の集まりだという事もあると思うわ。
「では、私が開始の合図をさせてもらいますね」
桃花の時と同じように、薫流が私たちの間に立った。私たちは薫流に向かって頷いた。
「すぅ――では、始めッ!」
静かに息を吸い、腕を大きく振り上げると同時に合図を出した。
今の私ができる事は少ない。
それでも、この二週間色々と鍛練は積んできたから、この時の私以上の戦いはできると思う。
あの時、勘違いで初めて兄上と戦った時よりもね。
兄上は待ちの構え。おそらく、私の動きを見てからという事だろう。
だから、杖に氷を纏わせ兄上に踏み込んだ。
私が接近戦を仕掛けてきた事に、兄上は驚いていたようだけれど、すぐに口の端を上げた。
氷杖を振り上げ、兄上に向かって振るう――それは迷いのない一撃。
当然ながら、兄上は私の攻撃をいともたやすく受け止める。
私は杖同士を絡めるようにして弾き、横一閃に薙ぐ。しかし、それも簡単に防がれる。
すぐに二、三歩滑るように引いて、足元に打撃を放つ。だが、それも読んでいたかのように、軽く跳んで躱された。
ならば、と流れるように逆袈裟に振った。――ん、ちょっと反応が。
兄上の目が細められ、素早く杖が振るわれた。
私の氷杖は大きく弾かれていた。弾かれた勢いも利用してバックステップ。
頬から顎にかけて汗が一滴、滴り落ちる。一瞬の攻防――しかし、相手にすらならなかった。
「やはり、上手くは行きませんね。少しはいけると思っていたのですが……」
「いや、今のは俺もちょっと焦ったし、すごいと思うぞ。葵はまだまだだと思っているようだけど、経験の差でもあるからな」
笑いながら、さり気ない優しさを見せてくれる兄上に嬉しく思う反面、悔しくも思う。
兄上が私を見る目は後輩を見るそれと変わっていないから。
それは仕方のない事だと分かっている。分かっているけれども――
私はもっと兄上に対等に見てもらいたい。ちょっと朱莉の気持ちが分かったかな。
「はッ!」
氷杖を兄上に向け、先端が鋭利な氷の礫を数発放つ。速さを意識した氷の礫はすでに兄上に迫っている。
しかし、兄上には追い切れないスピードではなく、杖を振って氷の礫を弾き飛ばす。後ろで砕かれた氷がきらきらと舞って消えた。
残りの礫に関しても砕くか避けるか、どちらにせよ全て余裕で処理されてしまう。
氷の礫が全て消えたタイミングで、兄上が杖を持っていない手を銃の形にして私に向ける。
そこから本当に銃を撃つように、くいっと手を動かすと緑の練気が銃弾となって飛んでくる。
私はそれを打ち払う事なく、くるりと回転しながら避け、兄上に先程と同じく氷の礫を放つ。
そのまま回転は止めずに、後ろから戻ってくる緑の練気の銃弾を氷杖で全て叩き伏せた。
「――へえ、やるな、葵」
「兄上!」
兄上が肉薄していて、杖を上から振り落とす。
回転していた事もあって、まだ私の体勢は整っていなかった所への強襲。
氷杖を水平にして両手で兄上の杖を受け止める。どん、と体に重みが掛かる。それだけの威力が籠っているという事だ。
兄上が次の攻撃に移る前に、私は片足を軽く踏み鳴らした。
それに気が付いた兄上は、すぐに私から距離を取った。その直後、兄上が今いた場所に地面から鋭利な氷柱が突き出した。
「っと、危ない。葵は事象系練気を使いこなしているよな」
「そうでもないです、よッ!」
周囲に八本の二メートルの氷の槍を展開し、兄上に向けて放つ。
まず、四本を四方から兄上に突っ込ませる。それに対して、体をこまのように回転させ、その全てを弾く兄上。
でも、そこは読んでいる。そのタイミングに合わせて残り四本もそれぞれ微妙な時間差で襲わせる。
兄上が一本の氷槍に杖を触れた時には、背中から次の一本が迫る。杖で弾きながら、もう一方の腕で兄上は氷槍を叩き割る。そして、残り二本を下から突っ込ませた。
しかし、兄上は全ての氷槍を視線に捉えていたようで、焦りもなく粉砕した。
休む暇を与えるつもりはなく、氷杖を振るって氷の礫をずらりと展開して一斉に放つ。
それと並行して兄上の頭上、三メートル程上に巨大な氷塊の形成を始める。
放たれた無数の氷の礫は迫りくる壁のように兄上を圧迫する。避ける事は不可能だと判断したのだろう、兄上は練気を纏った腕をクロスして飛来する大量の氷の礫を防ぐ。
激しく打ち付ける氷の礫は兄上の防御の前に砕け、地面に落ちていく。
でも、それでいい。地面に落ちた氷が消えないように練気を注ぎ込んでおく。練気を注がなければ、その事象は消えてしまうためだ。
兄上に悟られないように、足元を凍らせてしまうための布石。
そして、全てを防ぎ切った兄上に対して私は強い視線をぶつける。
「何か企んでいそうな顔だな」
「ええ、もちろん!」
私は腕を振り下ろしながら叫ぶ。すでに完成していた巨大な氷塊がゆっくりと兄上へと落ちていく。
徐々に氷塊が近付いてきた事で兄上の周囲が暗くなる。
「上か!」
巨大な氷塊の存在に気が付き、避けようと体を動かして兄上は気が付いた。
「足元が凍っている!?」
「そうです。貴方がその身に受けていた氷の礫が砕けて、足元に溜まっていきました。それを凍らせたのですよ」
「なるほどな」
「終わりですよ、兄上」
分かっている。私の愛している人が簡単にやられるはずはない。
だからこその宣言。兄上の気持ちを揺さぶるように。
案の定、兄上の体からは青い練気が溢れ出していた。
そして、紡がれる。
「――神藤流奥義“双連”」
それは一瞬の事だった。
瞬きをした時には、巨大な氷塊は粉々に砕けていた。
かろうじて見えたのは二筋の剣閃。杖であるにもかかわらず、そう見えてしまう程の動き。
本当なら私はこの後すぐに終わる。
でも――
「まだ終わるつもりはありませんよッ!」
「なッ!」
兄上が足に練気を纏って踏み込むのに合わせて、氷杖から氷を一直線に放った。
ここで反撃が来るとは思わなかったのだろう。緊急回避と言わんばかりに横へ自らの体を投げ出した。
私はそこへ追撃をかける。体勢がまだ整っていない所へ、氷杖を叩き込む。
しかし、片膝立ちになり杖で氷杖を防ぐ兄上。本当にどんな攻撃も防いでしまうのはすごい。
兄上は結構攻撃が得意なイメージがあるけれど、実際は防御がとても上手い。
でも、これはどうかな? 氷杖と杖が接している部分に私は練気を注ぎ込む。
そこから兄上の練気を飲み込むように杖が凍り始め、氷杖と杖をくっつける。
「これは――離れないか」
そう判断した兄上が練気を杖に注ぎ込むのが分かる。
でも、私もそれと同等量の練気を注ぎ込む。私と兄上を比較すると、兄上の方が命力は多い。
それでも、私もある方だから簡単には負けるつもりはありませんよ、兄上。
このような状況なら杖を手放せばいいと思うが、武器を手放すのは誰もが望まない行為だ。
特に放出系を使えると言っても、兄上はまだ事象系練気に目覚めていない。
不利になるのは目に見えているだろう。
そして、私は自身の周囲に強度を上げた氷槍を四本展開する。
「いけッ」
命を下し、目の前の兄上へと氷槍が動く。
その時、ふと体が揺さぶられる感覚を味わう。それは得体の知れない気持ち悪さ。
続けて耳にガラスが砕けるような破砕音が聞こえた。その正体は氷槍。私たちの周りで氷が散っていた。
さらに兄上の杖の氷は溶けており、私の氷杖からも練気が消えただの杖になっていた。
「“波動”って言うんだ。命力を乱す事で相手を揺さぶり、練気も無力化できる。これは練り上げるのに時間がかかるんだけど、今の状況だったら十分な時間があったからな」
命力は乱されたもののすぐに立て直す。この程度で倒れてはいられない。
兄上は私から距離を取って、私が動けるまで待ってくれていた。
攻撃されても迎撃するつもりであっただけに、少し不満に思う。
「…………」
「不満か? これは試合じゃないからな。お互い全力で戦ってこそだろ。そう、全力を出してこそだよな!」
兄上が声に強い意志を感じる。
それから杖を両手で握り、自身の正面に持ってきた。青い練気が杖を包み、上へと伸びていく。
それはやがて剣の形を取った。
――“蒼龍剣”。
兄上が愛している女性の力を借りて、展開する青い練気刃。
今の兄上の中には愛する女性が二人いる。その二人に並び立てなければ、私が求めている愛は手に入らない。
そして、今その一人の力が目の前に強く輝いている。
「それが兄上の本気、という事ですね」
鳥肌がびりりと立って、全神経がその蒼き剣に集中している。
「ああ、まだ本調子じゃないけどな。今はこれが限界だ」
軽く蒼き剣を振るう。兄上が言う通り、本来であれば大剣になるはずのもの。
少なくとも事象系練気が目覚めないかぎりは大剣にはなってはいなかった。
「では、行きます」
杖に改めて氷を纏わせ、氷の礫を無数に放って突進する。
兄上は先程のように受けるのではなく、“蒼龍剣”を振るってその全てを斬り裂いていた。
その鮮やかな手並みに惚れ惚れしてしまうけれど、止まるつもりはない。
蒼き剣を振り切ったタイミングを狙って、氷杖を掬い上げるように――
「遅い!」
タイミング合っていたはずなのに、兄上の剣が先に私の目の前に降ってくる。
杖を持っていない腕を伸ばし、氷の壁を咄嗟に展開、同時に後ろに下が――
「反応が遅い!?」
思わず声に出してしまう。下がろうと動き出した体は、私が想定していたよりも遅い。
その間に兄上が氷の壁を難なく斬り裂き、私に踏み込んでいた。
防御しようと腕を伸ばして氷の壁を出そうとするが、なぜか間に合わず兄上の剣閃が奔った。
仕方なく、氷の壁を出そうとしていた腕に練気を纏ってそのまま防ぐ。強い衝撃に後退させられる。
兄上の攻撃は続く。すぐに私に肉薄、下から伸びあがるように剣が飛び出してくる。
それを杖で受け流し、兄上に向かって氷を放つ。
しかし、すでに兄上の姿はなく腰を深く沈め、胴に向かって剣が振るわれていた。
慌てて杖を地面に突き刺す勢いで移動させ、その斬撃を防いだ――と思えば軽く撫でられたような感触。
――そして、目の前に蒼き剣が突き出されたのだった。




