第8話 空戦
(5)サイト
故郷の島を眼下に、サイトはGに耐えていた。
旋回行動を止めれば、すぐに喰われる。
戦いは静かに始まった。
相手は撃ってこなかった。必中の距離までは撃たないつもりだろうとサイトは思った。とりあえず撃つことで相手に心理的圧迫感を与え、ミスを誘発させようとする飛行士もいる。だが、サイトにはそれが効かないことを分かっているのだろう。
こちらも弾薬は限られているため、むやみに撃つわけにはいかない。
ちらりと相手機のノーズアートを見る。
蛇の図柄。
口をぱかりと開け、威嚇するように一点を睨んでいる。
――やはり、お前か。
エセルが嫌いな、蛇。そんなものをノーズアートにする相手が、さらに憎く感じられた。
――なぜ、そんなものを機首に掲げる。
問うが、もちろん答えなど返ってはこない。
カモメと蛇は、お互いの尻に嚙みつこうと旋回運動を続ける。
一見、単調な軌道の繰り返しだが、それこそが無駄を省いた“空の王”同士の戦いだった。
ぱきっ。
サイトは強く噛み締めた奥歯が割れたことに気付いた。
――ッ。
急旋回の連続で、気を失いそうになる。いまだ、お互いに一発の発砲もなし。グラデス島の住民たちは、上空で曲芸飛行でも行われていると思っているのではないだろうか。
サイトと蛇は、お互いに相手が辿ったのと全く同じ軌道をなぞっている。
埒があかないだろうが、それでも、緩んだら負ける。じりじりと距離を詰められ、機銃弾に引き裂かれる。
――エセルと、会えなくなる。
ともすると、蛇は僕に勝ったあと、帰路につくまえに荷物である銃弾をグラデス島に捨てて帰るかもしれない。それに、もし万が一、エセルが巻き込まれたら。
エセルが引き裂かれる嫌な想像が頭をよぎる。
そんなことは、絶対に起きて欲しくない。
いや、起こさせない。
僕が勝つのだ。
戦争を終わらせるのだ。
抗う操縦桿を折れそうになるほど無理矢理に押し込み、相手機へと照準を向ける。
機体中心でなくとも、せめて主翼か尾翼に当たれば。そうすれば、旋回性能で差が出る。
最終的には、墜とせる。
相手が落下傘を開こうが関係ない。今回ばかりは見逃すわけにはいかないのだ。
――エセルのためにも。
サイトは13ミリ機銃を放った。蛇はそれをひらりと躱し、銃弾は一面の青へと吸い込まれていった。
しばらくして海面に何本もの水柱があがり、なぜかもう引き返せないところまで来てしまったのだという感慨をサイトに与えた。
(6)エセル
ぶぅぅうん。
スズメバチの羽音のような振動音と共に、機銃弾がかする。
――危なかった。
カモメが先に仕掛けてきた。機体損傷による性能低下を狙ったものだろう。長期戦にもちこむつもりだ。それはマズい。
今やコーパーの燃料は満タンではなく、機銃弾も最低限しか積んでいない。短期決戦で仕留めなければならないのだ。カモメの機体の真ん中、首尾線を確実に一閃する。それがエセルの作戦だった。
だが、それにはまず相手の背後をとらねばならない。だが、カモメの方が旋回性能は良いのか、それとも根気で耐えて無理な旋回を続けているのか、今はこちらが背中をとられつつある。
急いでエセルは周囲に目を走らせ、ひとつのぶ厚い雲を見つけた。
夏を予感させるような、大きな積乱雲。
――あの中へ入り、目をくらます。その隙に、カモメの背後をとる。
頭の中で勝利への計算式を作り上げる。
エセルはコーパーの機速を上げ、雲へと突入した。カモメと、カモメの放つ機銃弾が追いかけてくる。エセルは機体を右に左に振って、狙いを逸らした。
間もなく、風防の外が一面の白に変わる。高度計および水平器のみで機体の位置を確認する。流石にカモメも撃ってこない。ここで闇雲に撃っても、弾のムダでしかない。
エセルはコーパーの機首を天空へと向け、積乱雲の上に出ようとする。
――積乱雲の上に抜けて待ち伏せし、しびれを切らして雲から出てきたカモメを見つけ次第、後ろから掃射する。
それが、作戦だった。
相手が視界を取り戻すまでの一瞬の隙を突く。
急上昇に伴う、へそから背中にかかる強力なGに負けず、エセルはコーパーの操縦桿を引き続ける。これまでの血反吐を吐いて泣きじゃくり、上官から叱責され続けてきた飛行士訓練の賜物だ。
そうして、コーパーは積乱雲の頂点を抜けた。
――やった。
その相手を出し抜いたという喜びも束の間だった。
積乱雲の上には、既にカモメがいた。
(6)サイト
読み切った。
蛇を出し抜いた。
降下状態でにやりとサイトは笑う。
奴は僕が撃ってこないのを、弾薬を浪費したくないからだと思っていたことだろう。だが、違う。僕……カモメが撃ってこなかったのは、一歩先にこちらが積乱雲の上に出ていたからだ。相手の作戦の一歩先をいった。
――悪いけど、僕の勝ちだ。
無防備に正面を晒す蛇に、銃口を向ける。その背後に、壁面のような海。
空戦でのセオリーは、敵機の後ろから攻撃をしかけることだ。それは、相手からの攻撃を受けずにこちらから一方的に攻撃できるという利点があるからである。しかし、本来は正面からの攻撃こそが、最も相手にとって避けにくいため有効な手なのだ。もちろん、それにはこちらも攻撃を受けるというリスクが伴う。だが、今はサイトが上で、蛇が下になっている。蛇の機銃弾は重力に引っ張られるため当てづらく不利だが、サイトの弾は重力の導きに従ってまっすぐに蛇を捉えるだろう。
そしてまさに今、サイトは蛇の不意をつき、その真正面にいる。
――これで、終わりにしよう。
サイトは相手機の至るであろう予測位置に13ミリ機銃を浴びせかける。その全てが蛇を貫く、はずだった。
しかし。
機銃弾は蛇の背後にある積乱雲へと消えていった。
予測位置に蛇がいなかった。
――いったい?!
サイトは慌てて急降下状態の獄風を旋回させ、水平飛行に戻す。
そうか。
蛇はあの一瞬で、上昇中の機体を海面に対し水平にしたのだ。まるで前につんのめったような恰好になり、翼の裏面を海面へと向ける形にした。
風の抵抗をもろに受けたことによる急失速で、相手機にありえないほどの急ブレーキがかかった。そして、偏差射撃をしていたサイトの放った弾は外れた。
やられた。
――やはり、ソル空軍のエース・パイロット。
思わず歯噛みした。
こちらが一歩先をいった、その一歩先へいく。
サイトの額を汗が流れる。
ただでさえ少ない獄風の13ミリ機銃弾は尽きつつあった。対して、蛇はまだ一発も弾を撃っていない。
一転、勝負はカモメの不利に傾きつつあった。