第5話 ホームパーティー
(3)エセル
空母ケンドルの小会議室で、明日のコーパーのテスト飛行経路が発表された。
グラデス島を折り返しで、空母へと帰ってくるルート。貴志国制空圏を避けるかたちで、コーパーの継続飛行距離を測る目論見だ。
グラデス島。
――あの人がいる島。
その上を、飛ぶ。
そう考えただけで何だかどきどきしている自分がいた。
――あの人は志願兵になっていないだろう、と思う。
まだグラデス島にいるはず。
何しろ、飛行士になることをあんなに嫌がっていた人だ。彼を空軍飛行士に志願させるほど気持ちを強く動かすものなどこの世にない、と思う。
「大丈夫ですか、ヒロイズ飛行士……」
物思いにふけりすぎて、ブリーフィング中の海軍少尉に心配されてしまった。
「大丈夫です、ええ。続けてください」
真面目な顔を作り、そう告げる。
エース・パイロットたるもの、たるんだ気持ちでは駄目だ。
駄目なはず、だけれども。
あの人のことを考えるとどうも……。
こほんとひとつ咳ばらいをして、エセルは自分を引き締める。
「では、弾薬類は最小限ということですね?」
少尉に尋ねた。
「はい。機体を軽くするためです」
コーパーは12.7ミリ機銃と20ミリ機関砲を装備しているが、それを明日は使わない予定だった。妥当な判断だろうとエセルは思う。コーパーの機速を活かせば、相手の戦闘機も容易に振り切れるだろう。コーパーに付いてくることのできる戦闘機は、貴志国には存在していないはずだ。
「途中のローホル島までは海軍航空隊の直掩が付きますが、グラデス島周辺では単機行動となります。これは敵に発見されるリスクを避けるためです」
「わかりました」
「燃料はもって一日です。予報では明日の雲量は充分で、隠れる場所は多いでしょう。あと、以前に指摘されていたフットバーのあそびはなくなったそうです」
「そう。迅速な調整を感謝します」
「では、明日はお気をつけて」
そこからしばらくは整備士への細かい注文をし、エセルはブリーフィングを終えた。
ぱたん、と会議室の扉を閉める。
明日のテスト飛行に成功し、コーパーが実戦投入されたら。
――そうしたら、あのカモメも墜とせる。
これまで、私はあの人に守られてばかりだった。
だから、今度は私があの人を守る。
エセルは空母の通路を歩きながら、4年前のあの日のことを思い返していた。
エセルが16歳のとき。
グラデス島には高校がないため、エセルとサイトはソル連邦寄りにあるローホル島にある高校に船で通っていた。ローホル島はグラデス島とは比べものにならないほど栄えており、以前は貴志国の首都に住んでいたサイトはともかく、エセルにとっては全てが未知のものに見えた。
「ねぇ見てサイト! ほらほら! 電車!」
「あーうんうん。電車があるね」
「サイト! すごいよ、10階立てのビル! 高い!」
「わー本当だ、高いねー」
「カフェ? すごいお洒落! ねぇ、行ってみようよ!」
「はいはい。明日はテストだから、それ終わってから行こうねー」
……サイトには迷惑をかけていた、と思う。
でも、あの人は不満も言わずに付き合ってくれていた。
今でこそ多くの男性から言い寄られたりするが、当時の私は全くそういったことがなかった。サイトは街での立ち振る舞い方を理解していたが、私はそういったことに疎かったのだ。
また、グラデス島の中学校は全校生徒15名ということもあり気が付かなかったが、ローホル島でサイトはかなり女子からの人気が高かった。高校でもソル人・貴志人問わず、多くの女生徒からラブレターをもらっていた。サイトがそれを断るたびに、エセルはほっとする自分に気づいていた。
当時は、なんで自分がそんな気持ちになるのかは分からなかった。
――あの二人、いつも一緒にいるよね。
――なんか、幼馴染みらしいよ。
――あー、お情けで切れないわけね。
――宇津井くんも迷惑してるんじゃないかしら。
廊下などで、そんな声が聞こえてきたこともあった。でも、エセルは気にならなかった。他にも女友達はいたし、サイトがいつも自分の隣にいたからだ。
そんなある秋の日、エセルはふたつ上の学年の女子からホームパーティーに招待された。聞けばエセルのクラス全員も来るという。場所はローホル島の高級住宅地の中、丘の上にあるレンガ造りの家だ。主催は、高校でも人気のある女の子だった。美人で、運動と勉強もできて、生徒会長なども務める娘だった。確か、レティアという名だったと思う。
ホームパーティーなんてものはグラデス島にはない文化で、エセルは当日までわくわくが止まらなかった。どんな服装をしていけばいいのかも分からなかったので、こっそりとレティアに尋ねたくらいだ。レティアは、「制服のまま来ていいんだよ!」とほほ笑んだ。なので、当日は授業終わりにそのまま向かうことにしたのだ。
それが間違いだった。
制服の人は誰もいなかった。門をくぐってレティアの家に入ると、クラスの人は誰もおらず、別の学年の知らない人たちばかりだった。そして皆、ちゃんと正装をしていた。女子生徒は綺麗なドレス。男子生徒はシャツとジャケット。
制服なのはエセルだけだった。
自分は笑いものにするために呼ばれたのだ、と気づいた時には遅かった。女生徒たちからは笑われ、男子生徒たちからは好奇の目で見られた。
その場に30人ほどいただろうか、エセルは完全に浮いてしまっていた。
見ると、奥のテーブルにサイトもいた。ちゃんと正装をしていた。驚いたようにエセルを見ている。
「だれー? こんな人を呼んだの?」
レティアの取り巻きの女生徒が周囲に聞こえるくらいの声で言った。さらに嘲笑が起こる。さざめきのようなクスクス笑いが広がっていく。
あまりのことにエセルが帰ろうとドアノブに手をかけると、すばやくレティアが近づいてきて立ちふさがった。彼女は深い赤色のドレスを着ていた。悔しいが、似合っていた。
「わかった? 貴方みたいな田舎者、宇津井君と釣り合わないから。今も彼に恥をかかせてさ。二度と宇津井君に近づかないでね?」
レティアに、耳元で囁かれた。
これは見せしめだった。レティアがサイトを手に入れるために、邪魔なエセルを公開処刑の場へと導いたのだ。唇を噛む。わくわくしていた自分がバカみたいで、泣きたくなった。サイトにごめん、と謝りたくなった。
――何も知らない幼馴染で、ごめん。恥、かかせちゃったよね?
目から涙が落ちそうになった、その時。
突然、レティアがエセルから離れた。
見ると、サイトに腕を掴まれている。サイトはレティアをぞんざいにそのままエセルから引き離した。
「帰るから、どいて。そこにいたら邪魔」
聞いたことのないほど冷たい声で、サイトは言い放つ。その場の空気が一気に凍り付いた。レティアの取り巻きたちから笑顔が剥がれ落ちる。
「人を笑いものにするようなくだらないパーティー、つまんないわ。帰るよ。行こう、エセル」
ぱっとエセルの手をとり、サイトはドアを開けて家を出る。
「ちょ、ちょっと待って宇津井君……」
レティアの声は閉じたドアに遮られた。
ふたりはそのまま無言で丘を下っていく。日は既に暮れ、ローホル島の街灯りが丘の上にまで届いていた。日中の熱がまだ大気中に残っているのだろう、遠くの方の明かりは揺らいでいた。ふたりが歩いているまさにその時も、夜の暗闇は濃くなり、その固さを増していく。
しばらくして、中腹あたりでサイトが足を止めた。
「ごめん」
突如、サイトが謝る。
「え、なんで。サイトが謝ることじゃないよ」
「いや、手。……手、ずっと握ってた」
どうやら、ずっと手を握っていたことについての謝罪らしい。
「あ……。そんなこと」
何かと思えば。エセルは拍子抜けした。
「そ、そんなことってなぁ」
顔を赤くしたサイトが少し怒ったように言う。
「……ありがとう」
遮るようにエセルが言った。
ふたりの側の街路樹が風に揺れ、さわさわと涼しげな音を立てた。頭上でガス灯が瞬く。
「別にいいよ。本当に不快だっただけだし」
照れ隠しか、そう言ってサイトは丘から海の方を見やる。
明日から、サイトはレティアの派閥の人と気まずい雰囲気になってしまうのだろう。それでも、あの場で自分のために怒り、守ってくれた。エセルには、それが本当に嬉しかった。
はじめて会った日、蛇から守ってくれたように。今日も、私を守ってくれた。熱いものが胸の内に流れる。これが何なのかはわからない。けれど、それは心地よく、大切にしたいと思えるものだった。
「さ、帰ろ帰ろ。戻りの船がなくなるよ」
なおも顔を海へと向けたまま、サイトが丘を下っていく。
ててて、と後ろからエセルはついていく。
「はー。時間のムダでしかなかったな、今日のパーティー……」
サイトは頭の後ろで手を組み、わざとエセルにも聞こえるような声でぼやく。
でも、エセルには今日のパーティーがムダだったとは思えなかった。
――それはね。あなたがいたからだよ、サイト。
――あなたがいて、私を守ってくれたから。
気づけば、エセルはケンドルの甲板に出ていた。
月明かりを反射し、整備を終えたコーパーが鈍く光っている。
――だから、今度は私がカモメを墜として、あなたを守る。
エセルは唇をきゅと結んだ。
テスト飛行まで、あと十時間をきっていた。