4 真夜中のエスカレーター
あの忌まわしい出来事があってからは、退屈で平凡な毎日の繰り返しであった。
夏休み前日、最後の授業が終わった金曜日の放課後のことである。校舎の大きな窓から教室の床へと夕日が物悲しく差し込んでくる。
蕨野託生と佐野幹博は日直の業務として教室の掃除を行なっていた。
出雲崎莉奈はそんな二人の姿を退屈そうに眺めていた。
教室にいる生徒は三人だけとなっているため、莉奈は手持ちぶたさから数枚の写真を机の上に広げている。
その写真は火曜日に託生が学校へと持ってきた物だった。
「託生、幹博……ちょっと、いいかな?」
莉奈は遠慮がちにではあるが、手招きしながら明らかに急かしているという素振りで合図を送っていた。
「どうした?」
託生は落ち着かない様子の莉奈に尋ねた。
「昨夜から昌也と連絡とれないの」
莉奈の唐突な話の内容に、託生は幹博と顔を見合わせて苦笑いした。
美樹本昌也のことだから、また何処かで女子と一緒に遊んでいるに違いないと託生は思った。
託生たちは同じ写真部で先日あのカメラのフィルムを現像した写真を見た仲間だった。
莉奈は机の上に広げた写真の中から一枚を指差した。
その写真は昌也が利用する地下鉄の駅ホームと地上部を結ぶ出入口の一箇所が写っているものだった。
その出口は少し離れた場所に鉄道の線路もあり、周りには夜の背景と共に、場所を特定できるような建物がその写真に一緒に写り込んでいた。
鉄道駅の外壁には大きな時計が設置されていた。
その時計の針が指している時刻は八時四十分であった。
莉奈は昌也から聞いた奇妙な話について、深刻な表情を浮かべたまま話し始めた。
昌也はあの写真を見た火曜日の夜から、毎晩のように八時四十分頃に地下鉄駅の四番出口へと通っていたのだった。
地下鉄の駅の改札口から四番出口を通って地上に出るには、長いエスカレーターを利用しなければならない。
毎晩この時間にそのエスカレーターに乗っているのは昌也の独りだけだったはずなのに、階段ベルトの上で動き続ける階段から降りる少し手前辺りから異変を感じた。
彼は人の気配を感じて振り返ると黒い人間の姿をした何かが立っていたのだという。
毎晩エスカレーターを利用している最中は昌也の他には誰もいなかったはずなのに、彼の背後にはいつもいつの間にか真っ黒な人影みたいなのが立っているのだ。
慌てて彼はエスカレーターを降りてから外へと続く階段を登った。
そして、地上の出入口前で真っ黒なその人影が来るかどうか確認するために待っていた。
だが、結局のところ一度も誰も階段から外へ向かって上がって来なかったのだ。
そして、昨日も昌也は莉奈にエスカレーターへ行くと話していたのだ。
莉奈は何度も行くのは止めるように説得したのだが、彼は何かに魅入られているかのような執着を示し説得は受け入れられなかったのだ。
話の中に出てくる黒い人影は毎晩、昌也の背後の方に少し離れて立っているのだが、毎晩少しずつエスカレーターの段差を一段、また一段と確実にその距離を縮めて近づいてくるそうなのだ。
遂に水曜日の夜には彼の真後ろにまで近づいていた。
昌也はうなじの毛が逆立つような悪寒が走り、後ろを振り返った。
そこには人間の形をした漆黒の闇のような黒い姿の中で光る真っ赤な目が妖艶な輝きを放っていた。
「……皆……報いを受ける……」
赤い目は確かにそう呟いた。
彼はこの出来事を生涯忘れることができないと震える声で莉奈へ電話してきたということだった。
木曜日の夜も昌也はエスカレーターに乗ってしまったのだと最後の連絡があったのだという。
その夜に限って彼はエスカレーターに乗った時、自分が自分ではないような状態で夢を見ているような虚ろな感じであり記憶が全くなく、階段ベルトの上で動き続ける階段から降りる瞬間に我に返ったというのだ。
昌也はその夜は背後を振り返ることができないくらいの恐怖を必死で押し殺しながら、慌てて外へと向かい莉奈へ連絡したということだった。
その連絡を最後に、何度も連絡をしたがそれっきり連絡がつかなくなってしまったのだという。
金曜日の朝、昌也は学校を無断欠席し誰とも連絡がつかなくなっていた。